メタモルフォーゼ

 もう両親の顔は忘れてしまったけれど、頭を撫でられて嬉しかったこと、誕生日に一緒に食べたケーキの味、そんなことはちゃんと覚えている。自分がされて嬉しかったことならなんだって傑くんにしてあげたい。昔のことを思い出しながら、わたしは横で寝転ぶ彼に布団をかけてあげた。足の先の方が出ていたから、そこまで隠れるように足の指を器用に動かして暖かな布でふたりぶんの身体を隠した。足を絡めあって、耳を腕にぎゅっと押し付けると血液の流れる音が鼓膜を震わせた。わたしたちは白く日差しが滲む部屋の中で、母親の子宮の中の双生児のように抱き合って眠っている。
「大丈夫? あつくない?」
「ぜんぜん。ちょうどいいくらい」
「よかった」
 傑くんの腕に、私の首はせつないくらいぴったりと重なる。血液が流れる音にこんなに安心するなんて。つい思いついたことをわたしは口に出した。
「ね、わたしたち、前世で双子だったかもね」
「ん?」
「ひとつの魂をふたつの身体に分けていれたの。……だからこうして惹かれあうんじゃないかな」
「随分とロマンチストだな」
「嫌いになった?」
「まさか」
 わたしの髪の毛に溶けるようにすべりおちていく指先が何よりもいとおしい。このまま抱き合って眠ったらひとつになれたりしないかな。聞いた話によると、人間は八割水分で出来てるらしいし。抱きしめられていた腕に一層の力がこもる。手を離したらわたしがどこかへ行くと思っているらしい。なんか子どもみたいだなあ。美々子と菜々子に接する時とは全く別の表情を見せてくれるのがとても嬉しいと思った。
 昔、母親がたっぷりと注いでくれた愛情を、わたしは今傑くんに同じように、いやそれ以上に注いでいる。頬を撫でてそのまま唇を寄せると楽しそうに目を細めた。傑くんはきっとわたしがいないとだめになる。


 少しずつ歪んでしまったんだと思う。高専をふたりで離れたときには、寄り添うように、慰め合うように生きていた。それでも、何度も繰り返し呪いを食べる中で、繰り返し非術師が嫌いだと自分自身に言い聞かせるうちに、歪み続けて戻らなくなってしまった。
 傑くんはこんなにも無謀な戦いを仕掛けるような男だっただろうか。不確定な要素に運命を委ねる、そんな男だっただろうか。そんな張り付いたような笑顔をわたしに向けるような人じゃなかったのに。
 明日、傑くんが願い続けた戦争をはじめる。傑くんにはわたしがいないとだめだなんて思っていたのに、傑くんがいないとだめだったのは、わたしの方だ。
「傑くん」
「どうしたの?」
「……ごめん、なんでもない」
 あなたを失うかもしれないことが、わたしはこんなにもこわい。怖いと、素直に伝えられないくらいに。

 ねえ、もし輪廻転生なんてやつがあるなら、次は普通の人間として生まれ変わりたい。呪いも争いも関係のない穏やかな生活を送りたい。
 出会うのはいつがいいかな。隣の家に生まれて小さい頃からずっと仲良く暮らして、中学生になったら付き合ってみる。悪くない。
 同じように高校生で出会ってもいいな。一緒に卒業証書を受け取って、近くの大学に通って同棲をはじめる。留年せずに卒業して、就職をする。仕事から疲れて帰ってきた傑くんに、愛してるよりも心を込めておかえりなさいって言いたい。好きだよよりも、だだいまって言ってほしい。
 傑くんがわたしの名前を呼ぶたびに涙が出そうになる。いつからかはもう忘れてしまったけれど。
「みんな、行こうか」
 死ぬかもしれない。死なないかもしれない。でもきっと、このクーデターはうまくいかない。変わってしまった大きな背中に、わたしはなにも言わずについていく。

 傑くんが死んだと聞いたのは、わたしたちが逃げおおせた次の日のことだった。泣き崩れる美々子と菜々子を抱きしめたけれど、わたしは泣くことができなかった。おかしいな。もうこれ以上変わっていく傑くんを見なくていいと思うと、どこかほっとしている。わたしが戦場に向かう前に最後に触れたのは傑くんのあたたかな指だった。昔と少しも変わらない指だった。大好きな傑くんの指だった。


20210401
メタモルフォーゼ