うちがわでにじむ
わからない、と思うことが増えた気がする。本当は、ふくらはぎがつんと張って、背筋がすっと伸びるピンヒールが好きなはずだった。友達に会うためにネイルを塗り直したりすることもなかった。けれど、虎杖くんに会うときはスニーカーを履くようになったし、毎回ネイルを塗り直している。なぜだかはわからない。
八月も半ばを過ぎて、連日気温は三十五度を超えていた。日増し強くなる太陽の光と肌に纏わり付くぬるい風に辟易している。それにも関わらず服も化粧品も秋色に染まる。紅葉のようなディープレッド、マスタード、カーキ。秋の色は、夏の人工的な色たちとは対照的に、自然からそのまま抽出したような色が多いなあと、こつこつとヒールの音を立てて百貨店を歩きながら考えた。それが何故か、やっぱりわからないけど。
血を濃くしたようなネイルに目を惹かれる。限定なんです、とても人気で朝から買いに来られるお客様も多いんです、という店員さんの言葉にわたしは気をよくした。わたしという人間は、限定だとか人気だとかそういう売り文句にとても弱い。典型的な日本人って感じで、たまに嫌になる。野薔薇みたいに、自分の信念みたいなものがあればいいのにな。そしたら自分がわからなくなったり、人気だとかそういう言葉のせいで散財したりしないんだろう。わたしはいつも自分がわからない。結局そのネイルポリッシュを買った。寮に帰ったら早速塗ろうかな。爪の端だけでもわたしはわたしを秋に連れて行く。
帰ってきてすぐの自分の部屋は、暑くて暑くて冷房をつけたけど、簡単に涼しくなるはずもなかった。まだぬるい空気の寮の部屋でひとり、ベッドを背もたれにして爪を彩る。濃いネイルは失敗するとあとがめんどくさい。集中して、けれど大胆に爪を彩る。うん、きれいに塗れた。
「虎杖くん」
「名字」
「任務終わったの?」
「そうそう。部屋の冷房がきくまでここで休憩してんの」
「部屋暑いよね、わたしもそんな感じ」
虎杖くんの隣に座って、一緒にテレビを眺める。テレビの中のリポーターは、暑いあついと言いながらかき氷を食べていた。あつい。虎杖くんがいる左側だけがあつい気がする。
「なんかさ、名字の爪、いつも美味しそうな色してる」
「え、今日は血の色みたいじゃない?」
「んー、血の色っていうか、苺みたいじゃん」
苺みたい、と言われた指先は、瑞々しい苺のようにつやつやと光出したきがする。
「…虎杖くんってさあ、モテたでしょ」
「え、モテないよ俺。告白されたこととかねえし」
「んー、そっか」
人気とか、みんなが持ってるとか、流行りとか、そういうものにわたしの気持ちは左右されてきたはずなのに。おかしいな。わからないな。どうしてだろう。いつものわたしじゃないみたいだ。
スニーカーじゃなくて、ヒールが高いサンダルを履いてくれば良かった。そしたら足の爪も褒めてもらえたかもしれないのに。
秋が始まりそうで始まらない、夏の終わりの曖昧な季節。ずっとわからないと思っていた気持ちに名前がついた。苺みたいだと言ってくれた赤色は、わたしのこころの色をしている。心臓の音がうるさくて、たまらなく心地がいい。
20210508
うちがわでにじむ