まほろ炎昼

※n年後


 日焼け止めを全身にたっぷりと塗って、紫外線カット100%の日傘をさして、気温三十七度を超えた街を名前とふたりで歩いていた。久しぶりにお茶をしようと誘われた。そこまで久しぶりじゃないのだけれど、こういうのは期間ではなく気持ちの問題だと思う。
 空には太陽を遮る雲ひとつない。コンクリートのビル群が、まるで墓標のようにどこまでも連なり続けている。体温よりも外気温の方が高いなんて、毎年夏が来るたびに信じられなくてため息が出る。私は、夏のことをいつまで経っても好きになれない。
「暑い……」
 言葉にすると同時に首筋に汗がつたった。ただ暑いだけならよかったのに。じわりとまとわりつく水分を含んだ熱が身体の中にたまっていく。
「ね、野薔薇知ってた? 気温が三十三度超えるとね、蝉は鳴かないんだって」
「……こんな街中にそもそも蝉がいるとは思えないけどね」
 名前は夏が好きだという。現に今だって、ひとつに結んだ長い髪を揺らしながら、楽しそうに笑っている。まったく信じられない。容赦なく熱を放つ太陽に辟易しながら、ぬるい空気を肺いっばいに吸い込んだ。

 もう何年も、高専にいる時から変わらず、私たちがお茶をする場所は決まっていた。新宿の某百貨店のすぐ近くにある喫茶店で、ランチもカフェオレも美味しい。よっぼどのことがない限りすぐに座れるところもいい。都会の中にありながらも友達の家みたいな気安さがある場所だった。
 何度この場所で名前の恋の話を聞いただろう。わたしの恋を話しただろう。片手じゃ足りない、両手でも足りない思い出の数々がそっと胸に再生される。その大半が、うまくいかなかった苦い記憶だ。

「で、今回はなんで別れたの? 名前」
「まだ何も言ってないのになんでわかったの」
「わかるわよ。何年の付き合いだと思ってるわけ」
 名前がお茶をしようと言った時から、またうまくいかなかったんだろうな、という気はしていた。案の定、ついこの間付き合い始めたという綺麗な顔をした男と別れたらしい。
「……彼の部屋にね、ピアスが落ちてて。野薔薇もそうだけどさ、わたしたちピアス開けてないじゃん。これ誰のって聞いたら自分のだっていうの。小さなピンクの石がついたピアスだよ?」
「別れて正解じゃない」
「やっぱり? もう顔と金だけの男はうんざりだなー」
「はいはい」
 そんなことを言いながら、結局名前は顔と金だけの男をまた選ぶんだろうな、と思う。いつまで経っても名前は名前だ。昔よりも髪が伸びて、身につけるものがぴったりと似合うようになっても。
「恋愛してたらしてたで楽しいけど、別れたら別れたですっごい楽しいの、なんなんだろうね」
「男を見る目がないだけじゃないの。相変わらず」
「……言い返せない」
 窓から差し込む光を受けたまつ毛が頬に影をつくった。あんなに日焼けを気にしているのに、私たちはだいたい窓際の席に座る。ステンドグラスが綺麗だというそれだけの理由で。
「次付き合うなら、野薔薇みたいな人がいい。野薔薇みたいに強くて、優しくて、普段は干渉しないけど、たまに電話して適当なこと話して、わたしたちの職業に理解があって、無言の時間が苦にならなくて」
 そんな男はこの世界のどこにもいないわ。私は世界に私しかいないの。名前が恋を失った時、傷ついた時にそばにいるのは、私だけよ。
 冷たいカフェオレと一緒に言葉を飲み込む。身体の熱はそれくらいじゃちっとも治らない。

「名前。それ以外に言うことはないの」
「野薔薇、誕生日おめでとう」
「ん、ありがと」
「……わたし夏が好きだよ。だいすき。野薔薇が産まれた季節だから」
 名前が手にしているアイスカフェオレはその水位を低くしていった。窓からステンドグラスを通して日差しが差し込んでテーブルの上に小さな虹を作る。それを見て、名前は綺麗だと笑う。わたしも同じことを考えて笑った。


20210813
まほろ炎昼
title by オーロラ片

薔薇様お誕生日おめでとうございます記念