※夢が故人
男は家庭を持って一人前。そんな前時代的な価値観がまかり通ってしまうのがこの業界の悲しいところだと思う。憐れな、と言い換えてもいい。自分のような一般家庭の術師、それも高い等級となると珍しく、どれだけ断っても縁談は舞い込んでくる。うんざりするほどに。政治の駒にされるのは気分が悪い。
「ありがたいお話ですが」
そう言って断るのにももう慣れてしまった。縁談用に撮られた写真は見ないことにしている。自分の発した言葉の向こう側で傷つく生身の人間がいることを、写真を見ることで自覚してしまうからだ。重苦しい空気をゆっくりと肺から吐き出す。
「何ため息ついてんの」
「五条さん」
またひとつ縁談の電話を断ったところで、五条さんに声をかけられた。
「七海がわかりやすくため息つくなんて珍しいね。なんかあった?」
「いえ。いつものことです」
「そんなふうに見えないけど」
五条さんは断りもなく私の隣に座る。話すまで帰ってくれそうにない。しかたなく、顛末を話した。モテる男って大変だねえ、というなんとも呑気な返事が返ってくる。モテるだとかそういう問題ではない気がする。それに、貴方だって他人事ではないだろうに。……そういえば、五条さんはどうなのだろう。恋人がいるだとか、結婚を考えている女性がいるだとか、浮ついた話を一切聞いたことがない。家柄、容貌を総合して考えると不自然なくらいに。いや、家柄というのが大きな枷になっているのかもしれないけれど。
私の隣に座った五条さんはこちらの気持ちなんてお構いなしに話しかけてくる。その半分を聞き流していたら、ちゃんと聞いてる? と言って拗ねてしまった。まったく。学生時代の先輩であり、誰もが認める最強の術師である彼のことを尊敬できないと思ってしまうのは、こういうところだ。
「……五条さんが誰かと結婚するのは、まだ先のようですね」
「ん? 僕、結婚する気ないけど」
自分の耳を疑う。特に考えて用意したわけでもなく、ただ当たり前のように五条さんは言った。目を開いたままうまく言葉を発せないでいる。五条さんの口元は笑っているけれど、黒いアイマスクで瞳が覆われたままでは何を考えているのか、いまいちわからなかった。
「七海だって結婚する気、ないんでしょ」
「なんで」
そう咄嗟に口をついて出たのは、純粋な驚きだった。結婚しろ、家庭を持て、周囲にそう言われ続けてきた中で、五条さんだけはまったく逆の言葉を私に向ける。
「なんでって……。まあわかるじゃん。見てたら。お嫁さんに先立たれて、……ほら、最終的には海外で優雅な老後。読書とあと、なんだろう。ガーデニングとかして楽しむんでしょ。ゲートボールもしちゃう? いいなあ。僕も真似しようかなあ」
「彼女と結婚した覚えは、ありませんけど」
「でも、七海が結婚しないのは名前がいるからじゃん」
名前という響きが胸をやわらかく刺さった。おどけた調子で話すけれど、五条さんの言葉は核心をついている。私はこの先、結婚するつもりなんてさらさらない。
私が結婚しない理由、それは彼女よりも素敵な女性がいないからだとか、そんな理由じゃない。もうこの世界にはいない彼女のことを思って静かに年をとっていきたいと思ったからだ。
私たちは大人になった。彼女をこの世界から失ったあの時は、悲しむ以上に出会わなければ良かったとすら思った彼女のことを、今はこうして覚えておきたいと思えるようになった。忘れるくらいなら悲しんでいたいし、それ以上に覚えていられることを大切にしていたい。私たちは、大人になった。それは素晴らしいことだ。彼女を失った自分が、こんな風に思える日が来るなんて、思ってもみなかった。
「僕が隠居したら、たまに七海の家遊びに行くから、そしたらゲートボールでもしようよ」
「……ゲートボールは勘弁してください」
「じゃあなにする? 将棋? 囲碁? 僕どっちもできないけど」
対局中に大勢が決したとき、盤上をひっくり返す五条さんのことを考えると頭が痛くなるけれど、これも五条さんなりの優しさなのだろう。誰よりも孤独を知る、貴方なりの。
20211231 ノットイコール