それではふたりに祝福あれ

 今度会ったときには黒いドレスをわたそうと思う。繊細なレースがふんだんに使われている美しいタイトなドレスを。名前は肌が白いから、きっと黒いドレスがよく似合うと思うよ。髪の毛はそうだな、思い切って全部あげてしまうのはどうだろう。ネックレスはシンプルな方がいい。そのかわりイヤリングはうんと派手なものにしてね。それから艶やかな肌をつくって、わたしとおそろいの赤い口紅をさしてごらん。鏡の中にはきっと普段の名前とは違う名前がいるから。
「冥と同じ色の口紅、似合うかなあ」
 名前は照れくさそうに笑う。似合うよ。絶対に似合う。私は名前の頭を撫でながらそう口にする。
 そんな会話をしたのは、ついこの前のことだった。

「今から言うところまで迎えにきて欲しい」
 次に会ったときには、黒いドレスとそれに似合うアクセサリーを渡そうと思っていたのに、その準備もままならないまま名前から電話がかかってきた。まったく、私をこんな風に呼び出せるのは世界広しといえども、名字名前だけだと思う。迎えにいく準備をはじめる。乗る機会はめっきり減ったけれど、愛車のジャガーの曲線はうつくしく、夜の底に匹敵するほどの漆黒を携えていた。名前の通り、黒豹のようだ。
 任務が終わった後の真夜中のカフェで朝まで話を聞いたこと、互いの長い髪の毛をドライヤーで乾かし合ったこと、映画を見て泣く名前の涙を拭ったこと。そういったとるにたらない日常が鮮やかに思い出せる。初めて名前に会ったのはもう十年近く前のことだ。名字名前は出会ってからずっと、まるで本当の姉妹のように愛情をおしみなく注いできた大切な子だ。
 エンジンをかけると低い重低音が鼓膜を震わせる。夏になる手前の季節の夕方は、どこか懐かしいにおいがした。

 名前と待ち合わせしていたのは、有名なレストランでも洒落たショッピングモールの前でもなく、名前の実家の近くのバス停の前だった。大きなキャリーケースを持った名前は、ぽつんとひとりで立っていた。
「おまたせ」
「冥、このままわたしと駆け落ちしよう」
「……どこにいこうね」
「どこか遠く。わたしたちのことを誰も知らない場所まで」
 駆け落ちの相場なんて昔から決まっている。うん、海に行こう。本当は世界の果てまで、なんて言えたらかっこいいんだけどね。名前にはなにも言わずに車を走らせる。時速六〇キロメートルで窓の外の景色は変わっていく。エンジンが静かに響く音を聞きながら、私は名前とこのままふたりで暮らしていくことを考えた。私たちのことを誰も知らない場所で、ある日は映画を見て、ある日はアフタヌーンティーに舌鼓をうつ。私と名前がどれだけ贅を尽くして暮らしても使いきれないほどのお金を、私は持っている。……悪くないけれど、さすがに彼が黙っていないかな。この世界のどこに行ったって、ありとあらゆる手を尽くして名前を迎えに来るだろう。私は対角線を走る車のライトに目を細めた。
 もうご飯は食べた?
 キャリーケースの中には何をつめてきたの?
 五条くんは元気?
 名前は何も答えない。まだ十七時を過ぎたところだから夕ご飯はきっとまだだろう。キャリーケースの中にはランジェリーと化粧品、それから洋服が詰められているだろうし、五条くんはきっと元気だ。彼が怪我をしたり風邪を引いたり、そういう弱ったところを私は見たことがない。複雑なグラデーションを呈した曖昧な季節のうつくしい夕焼け空。その空の色をを見ることなく、うつむいたままの名前に私がした質問は、ほとんど意味がなかった。エンジンの音だけが耳に届く。
「……明日、結婚式場を見に行くの」
 名前は、ようやく口を開いた。
「楽しみにしてたでしょう」
「なんか、マリッジブルーになっちゃって。悟の家、覚えきれないくらない親戚がいるんだよ。何回も何回もわたしで本当にいいのかなって、思っちゃって」
「うん」
「冥なら、私のことどこか知らないところまで連れ出してくれるでしょ。……でも、失敗だった。冥に会ったら、悟に会いたくなっちゃった」
 私が白いドレスを渡せなかった理由、わかる? もちろん君に黒が似合うっていう理由もあるけれど、名前、君に白いドレスを着せることができるのも、そっと傷つけないように脱がすことができるのも、この世でたったひとり、五条くんだけだからだよ。
「悟、今頃わたしがいないことに気がついて焦ってるかな」
 なんて傲慢で、なんて可愛らしい生き物なんだろう。名前はまるで出会った頃と変わらない笑顔で笑った。
 海から行き先を変更する。新しい行先はもちろん、名前と五条くんが暮らしている、都会のど真ん中にあるびかぴかのマンションだ。




20211231 それではふたりに祝福あれ