フィラメント

※24歳のお誕生日にふたりきりで葬式をする話です。暗くはないです。



 うすいすりガラスから差し込む赤い夕焼けを、黒いカーテンで遮って、わたしたちは夜を呼び込む。
 喪服の黒色は濡れた黒色だ。他の黒い服とは違う。わたしが普段着ているワンピースとも、傑の髪の色とも、高専の制服とも違う深い深い黒色だ。
「葬式をするんだから、喪服を着て」
 傑が言うままに、わたしも喪服を着てふたりきりの葬式に参列している。いつも着ている袈裟も似合うけれど、傑はスーツも似合う。すっと通った鼻筋に涼やかな目元、長い手足と鍛え上げられた身体。言ってしまえば、傑に似合わない服なんてない。首元の黒いネクタイは、わたしが結んであげた。
 写真のない黒い額縁だけの遺影がふたつ、食べきれないほどのご馳走と合わせたワイン、それからホールケーキ。今日は傑の誕生日だ。
「本当に、みんなは呼ばなくてよかったの?」
「今日は今までの誕生日の中で一番特別な日だから、名前だけにそばにいてほしい」
 好きだという言葉を言われたことはないような気がする。わたしがどれだけせがんだって口にしてくれない。そのことを不安に思うことだってあったけれど、それ以上に傑はわたしをたまらなくさせる言葉をくれる。

 私たちの葬式をしよう、そう言ったのは傑の方だった。
「知っていた? 行方不明になって七年経つと、死亡扱いされるんだよ」
「そうなの? 知らなかった。じゃあ、傑がわたしのことを迎えに来てくれてから、七年かあ」
「……私は君を殺したことになるのかな」
「傑と一緒にいたいって思ったのは、わたしの意思だよ。でも、傑が殺してくれるなら悪くない人生だったなって思える」
「名前はいつも私が一番欲しい言葉をくれるね」
 それは傑がわたしにほしい言葉をくれないから。臆病な傑の代わりに、わたしはたくさんの愛を、祈りを、言葉にして傑に伝えるのだ。わたしは答えるように唇をひらく。
「傑、はじめの話に戻るけど、わたしたちのお葬式しよう。死体のないお葬式なんて、ロマンチックでたのしそう」
「じゃあ、私が二十四歳になったら」
「うん」
 そう話したのは夏の終わりのことだった。それから季節が移り変わり、わたしたちは今冬の底にいる。

「……だからと言って、傑の誕生日当日じゃなくてもよかったのに」
 黒い服に合わせて選んだ真珠のネックレスは、傑はつけてくれたものだ。胸元の宝石は室内の蛍光灯の光を反射して鈍く光っている。
「いいんだ。私がそうしたかったから」
「わたしは二十四歳の傑を盛大にお祝いしたかったの」
「気持ちが嬉しいよ。……名前、綺麗だ」
「ほら、はやくごはん食べよう。せっかくのご馳走なのに、冷めちゃう」
「ケーキは名前が選んでくれたの?」
「うん。まずは乾杯ね」
 赤くゆらめくワインが注がれたグラスを合わせると、鈴のような音がした。血の色みたいだ。鼻に抜ける強いアルコールを舌で押しつぶす。こうしてふたりきりの葬式は始まった。食事をすすめながら、わたしたちはいつも通り他愛無い会話をする。傑のために用意された豪勢な食事がなくなって、ケーキを食べようという頃合いに、わたしは今日という非日常でしか聞けないことを傑に尋ねる。
「ねえ、傑は棺桶にいれてほしいもの、ある?」
「考えたことなかったな。うーん。……名前は?」
「わたしはね、傑と過ごした時間かな」
「難しいなあ」
 たとえば、五条でも硝子でもなくわたしを迎えに来てくれたこと、初めて手を繋いだ日のこと、一緒に超えた夜の数々、美々子と菜々子に見せる笑顔、眠っている時の吐息。わたしは、傑と過ごした日々の思い出を天国に持っていきたい。
 ケーキを口に運びながら考える。今こうしてふたりでケーキを食べている瞬間も、もちろんわたしの棺にいれてほしい。
「あ、そうだ。葬式なのに、棺が足りなかった」
「じゃあこのベッドがわたしたちの棺っていうのはどう」
「いいね。……名前、おいで」
 七年前、わたしを導いた時と同じように傑は言った。きっとこれから七年経ったあとも、同じように優しい声でわたしのことを呼ぶんだろう。同じ顔をして。その幸せを享受できるのはわたしだけだと自惚れている。
 傑の腕を掴んでベッドに倒れ込むと、白いシーツが波打った。
「これでわたしたち死んじゃったね」
「うん」
「ねえ、傑、死体はしゃべっちゃいけないんだよ」
「でも、呪いなんてものも存在するんだ。しゃべる死体だっているかもしれない」
「それもそっか」
 わたしが知らないだけで、夜にも星あかりで虹はかかるかもしれないし、泳げない魚だっているかもしれない。人間の悪意が呪いとして形になるのだから、わたしの愛もいつか傑の前に現れるかもしれない。
 傑に抱きつくと、心臓の音が鼓膜を震わせる。わたしも傑も、まだ死ぬつもりなんてさらさらないからこそ笑っていられるのだ。こうしていると、いつか傑が泣きそうな声でわたしに言ったことを思い出す。「私は名前のいない世界で生きたことがない。君がいない世界で生きていける自信がない。だから、私よりも先に死なないでほしい」その告白はまるで呪いのようだった。あとにも先にも、弱った傑を見たのはあの時だけだ。だからわたしは、生きなきゃいけない。傑よりも一秒でも長く。でもね、同じくらいわたしも傑がいない世界に生きていたくないと思うんだよ。だからわたしよりも先に死なないでね。まるで元からひとつの生き物だったみたいにわたしたちはベッドの上で寄り添いあう。お互いを欠いたら呼吸ができなくなってしまって、そうして死ぬことができればいいのに。
「名前、何考えてるの」
「……傑のことだよ」
「嬉しいな」
 お誕生日おめでとう、傑。
 あなたの生命のぜんぶ、皮膚の下に流れる血液が、気高い臓器を包む骨が、わたしの頬を撫でる髪の毛が、あなたがくれたうつくしい呪いが、わたしの幸福の形だよ。見つめ合って、唇を重ねる。傑は七年前から少しも変わらない顔でわたしに笑いかけた。



20220204 フィラメント