召しませ

 二月の五条さんは、殊更に甘い香りを携えて任務に行く。どこもかしこもハートマークとチョコレート、年に一度の祭典に、五条さんは誰よりも浮かれている。
 任務が始まる前にこれはロサンゼルスのプライベートブランドのイヴァンっていうとこのやつで、予約しないと買えないの。幻のチョコレートって呼ばれてるんだよ。名前、いる?と差し出されたチョコレートの値段を聞いてびっくりしてしまった。二十四個で一万二千円。幻のチョコレートは高価だ。わたしの二週間分の食費ではないか。チョコレートって高いんですね、と笑顔でお断りすると、これはまだ普通の値段だよと笑われたので自分の無知が恥ずかしくなってそれ以上何も言わなかった。いや、世間一般的にはわたしの感覚は間違っていないはず。
 任務が終わったあとはあのデパートまで乗せてってよろしく、とくる。

「タクシーじゃないんですけど」
「はやく仕事終わらせたんだから、これくらいいいでしょ」
「…わかりました」

 百貨店まで送り届け、待つこと一時間、その間にわたしは今日の報告書を書いておく。そして五条さんは大きな紙袋を両手に持って帰ってきた。総額は一体いくらになるんだろう。すぐお金のことを考えてしまう。貧乏が恨めしい。

「全部チョコレートですか?」
「そうだよ」
「チョコレートって、こんなにたくさんブランドがあるんですね…」
「もしかして名前、バレンタインに縁がなかったタイプ?」
「本当に失礼ですね、わたしだってチョコ渡す相手くらい」
「いるの?」
「…いませんけど」
「僕にくれないわけ?」
「食べきれないくらい両手にチョコレート抱えてるじゃないですか」

 はじめはいつもの悪い冗談と思って聞き流していたが、次の任務でも、名前がくれるチョコ楽しみだなあとプレッシャーをかけられる。嘘でしょ。
 バレンタイン当日も五条さんを任務に送り届ける役目を仰せつかってしまった。なにか見えざる神の手が働いているのだろうか。示し合わせたように感じてしまう。
 五条さんとの任務は早く帰れるので、好きだ。三時のおやつに美味しいものを食べさせてくれるし、やっぱりこの人に任せれば大丈夫という安心感は、見送る側のわたしたち補助監督からしても大変落ち着く。日頃の御礼も兼ねて、チョコレートくらい買っていこうか。まあ、どんなチョコレートを買ったところであんな高級品に叶うわけもない。無難に某有名なメーカーのチョコレートを買って、十四日を迎えた。

「五条さん、これ」
「え?なに?もしかして本命チョコ?」
「義理ですけど、いつもありがとうございます」
「なんだ、義理か、残念」
「からかわないでください」
「ねえ、これ食べていい?」
「どうぞ」

 五条さんはピンクとリボンの包装をぴりぴりと破いていく。缶の蓋を開け、ハート型のチョコあるんだけど本命じゃないの、と聞かれる。しまった、缶の形だけじゃなくて中身まで確認すべきだった。

「今年も金にものを言わせてたくさんチョコ買ったけど、名前がくれたチョコが一番美味しいよ」
「…なら、よかった」
「ほら」

 助手席に座る彼と、運転席に座るわたしの距離は、思っていたよりも近い。一瞬だった。わたしがわたしたチョコレートを咥え、そのままわたしの唇に押し付けた。声も出せない。五条さんは顎をくいっと動かし、食べなよ、と目で訴えかけてくる。チョコレートを食べるために口を開けたが、チョコレートだけでなく五条さんの舌もわたしの唇から入ってきた。

「ん、」

 甘い、チョコレートの味。こんなキスは初めてだ。チョコレートは思ったよりもすぐに口の中で溶けてしまった。うっすら目を開けると、五条さんは目を閉じていて、長い睫毛が目に入る。光を浴びて、輝いているようだ。

「ねえ、美味しかったでしょ」

 いつもと変わらない笑顔で、わたしに話しかける。いつもと違うのはアイマスクもサングラスもかけていない彼の瞳だけ。わたしはこの人の顔を初めてちゃんと見たかもしれない。

「…これじゃ、まだ足りないんですけど」

 毒を喰らわば、皿まで。
 わたしは覚悟を決めてもう一度その甘い唇に噛みついた。


20200211
召しませ