※暗い
安い居酒屋でもいいから、わたし、まだ帰りたくない。せっかく七海に会えたのに。なんて情けない声で、なんて情けない台詞を言ってしまったんだ。でもこれはわたしの本心だ。わたし、もっと七海と一緒にいたい。彼の瞳が揺れた気がした。
安い居酒屋は、ちょっと嫌なので、店は私が決めていいですか、という彼の声に安心して斜め後ろを歩いていく。こんな浅はかでやましいわたしに、七海はいつだって優しかった。
久しぶりに見かけた七海は、至極疲れきった顔をしていた。七海に会ったのは本当にたまたまで、わたしは夜任務を終えて自分の家に帰る途中、七海も仕事終わりといった風貌だった。
「七海?」
「名字さん」
「…違う人かと思った」
「お元気そうでなによりです」
ひとつ歳下の後輩、七海建人。わたしはずっと七海のことが好きだった。七海が高専を出たら告白して、あわよくばお付き合い頂き、たまには任務で一緒になったりして、なんて考えていたが、七海は呪術師にならなかった。連絡先だってもちろん知っていたけれど、わたしのことなんて、呪いのことなんて、関わりたくないんだろうな。七海の気持ちを全部わかることなんて到底できやしないけど、それくらいの気遣い、わたしにだってできる。七海は律儀に呪術師にはならないとわたしに言いにきた。それが何を意味するか、わたしにはわかっていた。好きだよ、という言葉を何度も飲み込んだ。七海の馬鹿みたいに真面目なところが、まだまだ大人じゃないのに大人みたいに優しい七海が、大好きだよ。わたし、今でも七海のことが大好きだよ。
七海が連れていってくれたのはいかにも老舗といった風のバーだった。ここはご飯も美味しいんです、と七海は教えてくれたが、ご飯を食べる気にはなれなかった。お腹は空いているはずなのに。だって目の前に七海がいる。強くて甘いお酒をください、とお願いした。
目の前にいる七海は強いお酒を煽るわたしに少し困惑したような顔をした。大丈夫、こんなくらいじゃわたし酔わないから。わたしたち、そう言えば一緒にお酒飲んだことも、なかったね。だってまだあの時は高校生だった。あんなに近くにいた気がするのに、もう七海は別の人みたいだ。わたしの知らない友達がいて、きっとわたしの知らないところで恋人を作って、わたしが知らない人間になった。
ねえ、七海、元気だった?今の生活は楽しい?わたしは元気だよ、強くなったよ。
七海は昔から、自分の話をあまりしないので、わたしはわたしの数年間の話をぽろぽろと落としていく。それを聞く七海はなんだかとても悲しそうだ。それなら七海の話が聞かせてほしいよ。でも、七海は自分の話をする時だって悲しそうな顔をしていた。七海のお仕事やお金のことは、わたしにはたいへん難しい。
きっと疲れていたというのに、足元がふらふらするわたしを家まで送ってくれた。今日のわたし、ずっと情けないなあ。先輩なのに。
「家あがってって」
わたしは無理やり七海の手を引いて、家に連れ込んだ。七海はわたしのことを嫌がる素振りを見せなかった。七海の頬に唇を寄せて、ネクタイを緩め、ボタンをひとつずつ外していく。
嫌なら、ちゃんと抵抗すればいいのに。そしたら、わたしだって手を止めるのに。七海に会えたことは夢か何かだと思って、このまま寝るのに。
名前さん、と呼ばれた気がする。七海、わたしの名前、覚えてたんだね。意地悪に言うと、忘れられるわけないでしょ、とつぶやいた。わたしだって、七海のこと忘れたことなんてないよ。ただ、七海が変わっちゃっただけだよ。手慣れた手つきでわたしの服を脱がしていく。ああ、わたしは七海のはじめてになれなかったんだなあ。
数年前の七海なら、わたしにどんなふうに触れたのだろう。きっとこんな甘ったるい触り方なんてしなかったはずだ。どうしても、もうここにはいないわたしの好きだった七海と今の七海をくらべてしまう。これじゃまるで間違い探しだ。その答えも、どこにもないのに。
それなら、ずっと酔っぱらったままでいようかな。たまたま街を歩いていた七海に出会えた運命とか必然とか偶然に。何も考えずに、今目の前に大好きだった男がいて、わたしを抱きしめている事実だけに酔っぱらっていたいな。せめてこの夜が終わるまで。
20200226
間違い探し