全ての君へ

「七海から呪術師になるって連絡があったよ」
「…ななみって、七海?七海建人?」
「それ以外に誰がいるのさ」
「わたし、この前偶然七海に会ったんだけど、その時そんなこと一言も」
「名前、あんなに七海と仲良かったのに僕の方が信頼されてるんだ、ウケる」
「ウケない…」

 五条はこれで僕の仕事が減るといいんだけど、と笑っていた。退屈な日々の色を反転させるように。
 七海、なんで。あの時あんなに悲しそうな顔をしてたのに、なんで戻ってくるの。もう会うことなんてないと思ってたから、あの夜は。五条の声でわたしの思考は一度途切れる。

「名前さあ、七海となんかあった?」
「七海とお酒飲んだら、酔っちゃって、みっともないところ見せたから、気まずくて」
「酔った?名前が?お酒強いことくらいが取り柄なのに?」
「あんたは礼儀とかデリカシーとか、全部母親の胎内に忘れてきたの?」
「好きな男の前だと酔っちゃうんだねえ」
「…うるさい、本当、うるさい」
「七海、元気だった?」
「疲れてた、と思う」

 そう、あの日は七海もわたしも疲れていた。疲れていたし、お酒まで飲んで、酔っていた。七海が戻ってきたら、良き先輩としてまた接していこう。七海は優秀だから、うかうかしてたらすぐに抜かれちゃうかもな。…あの夜のことは、忘れてくれないかなあ。わたしもちゃんと忘れるから。
 名前は昔から七海のことに関してだけはめんどくさいよね、五条は呆れた顔でわたしをまじまじと見つめる。ああ、私の歯切れの悪い態度から何かを察したのだろう。わたしは苦虫を噛み潰したような顔で教えてくれてありがと、そう言ってその場を後にした。

 五条が言ったように、七海は本当に帰ってきた。
 オールバックにサングラス、高専の時の面影はほとんどなくなっていた。七海は大人になった。わたしだけ、まだあの頃のまま変われていない。
 七海が呪いに関わらなくなってからの四年間のわたしに、多少の色っぽい話がなかったわけじゃない。それでも結局、思ってたより重いとか、まあそんな感じでフラれてきた。その度に五条と硝子を捕まえて、お酒を飲みながら失恋の悲しみや怒りをを流してきた。お酒を飲めるようになったところで、所詮感情を殺したふりが上手くなるだけで、結局大人になんてなれなかったな。

 ある日の任務の帰りに、七海とばったり会ってしまった。七海が戻ってきてからこんな風にふたりにならないように、細心の注意を払っていたのに。気付いたら周りに人がいない薄暗い道を歩いていた。七海に、どこに行くんですか、と引き留められた気がするが、無視してわたしは夜の道を歩いて行く。ついに七海がわたしの肩を手で掴んだ。

「名字さん、私のことを避けてますよね」
「そりゃ、普通気まずいよ」
「あの日のこと、後悔してますか」
「してないよ、ようやく失恋できて、清々したから」
「失恋?」
「ずっと、わたし、七海のことが好きだったよ」
「…過去形ですか」
「わたしが好きだったのは、高専の頃の七海で、今の七海じゃないの、それがわかったから」

 なんで泣いてしまうんだろう。また情けない姿を七海に見せてしまった。良い先輩として七海に接する?笑わせる。わたしは七海にそんな姿を見せられたことなんて、一回もなかった。
 七海はわたしを戸惑いながらも抱き寄せて、何も言わないままだった。
 こんなふうにぼろぼろに泣くわたしのことを慰める言葉なんて、真面目なあんたはひとつも持ってなかったはずでしょ。ましてや何も言わずに抱きしめるなんて、そんなのわたしが知ってる七海じゃないの。

「あなたは、昔からずるい人だ」
「…なに、それ」
「わたしが高専を辞める時も、この間も、今だって、私の気持ちをひとつも言わせてくれない」
「七海が言いたいこと?こんなめんどくさい女と寝たこと後悔してます、とか?」
「なんでそう自分を卑下するんですか」
「だって…この前は正直ラッキーだって思ったよ、七海とはもう会えないって思ったし、全部酔っ払ったせいにしちゃえば良かったし、これでようやく七海への気持ちに蹴りつけれると思ったし」
「私は、貴女と未来の話がしたい」

 七海はやっぱり大人になった。それにくらべて、わたしいつまでも、もう何年間も、高専での五年間に大切な気持ちを置いてきてしまったみたいで、情けなくなる。

「未来の私のことは、もう好きになってもらえませんか」
「…わかんないよそんなの」
「私は、貴女の未来に自分がいればいいと思ってますよ」
「なにそれ、愛の告白?」
「そのつもりで言ってるんですが」
「…わたしが男なら、絶対わたしなんか選ばないのに、七海、馬鹿じゃないの」
「私のことを馬鹿なんていうのは、貴女くらいですよ」
「…でもね、わたしの方がもっと馬鹿なの、七海がちょっとでもわたしとの未来を考えてくれたことが、嬉しくて、死にそうなの」
「死なないでくださいね」
「あと五十年は生きる、七海こそ、わたしより先に死んだら絶対許さないから」

 七海、好きだよ。昔の七海のことも、今の七海のことも、これから先の七海のことも、誰より好きだよ。こんなにも絡まった愛を少しずつ解いたら、ようやく正解が見つかった気がした。本当はとても簡単なことだったのに、なんて遠回りをしてきたんだろう。馬鹿な女でごめんね、七海。人気のない路地裏から一気に騒がしい街にわたしたちは飛び出していく。
 七海はわたしの下の名前を口にする。いつかこの呼び方になれる日が来るだろうか。わたしは初めて七海のことを建人と呼んだ。ずっと呼んでみたかったその三文字は、思ったよりもわたしの唇に馴染んでいて、七海は嬉しそうに笑った。
 わたしたちのこれまでに後悔がないとは言わないけれど、これから先は病める時も健やかなる時も、紆余曲折あるドラマチックな人生を、あなたとわたし、ふたりで祝いましょう。それじゃあ、明日の未来で抱き合って。



20200229
全ての君へ