※五と付き合っている前提
あの時泣いていられたら、わたしは可愛い女でいることができましたか。なんだか涙を流すタイミングを見失ってしまった。そしたら涙の言い訳を考えるのがめんどくさくなって、そのうちに日が経って、いつも笑顔のわたしを少しずつ取り戻した。我ながら、まったく可愛くない。
街を歩いていたら悟に似た人を探してしまう。昼間の東京は夜の東京よりもたくさん人がいる気がするのは、わたしだけだろうか。あの人は身長が悟と同じくらいだけど、悟じゃないな。あの人は眼の色が青だけど、きっとカラコンだな。あの人は黒い服に黒いサングラスをかけているけれど、似合っていないな。たとえば、任務の帰りに。たとえば、買い物のついでに。わたしは、街行く人を眺めては、そんなことを繰り返している。
あの人は肌も髪も、全体的に白くて、ああ、ちょっと悟みたいだなあ、と思ってすれ違ったのは冥さんだった。
「名前」
「冥さん」
「歌姫が、心配してたよ、名前が泣かないから」
「…泣いても、変わらないから」
「すこし話そうか」
冥さんについて階段を降りると、いかにも歴史を感じさせる喫茶店にたどりついた。冥さんの白と黒の服によく似合う場所だった。
「慰めてあげようか?」
「嫌よ、冥さんに慰めてもらったら、高いじゃん」
「…名前は私のことをよくわかってるね」
いつもと変わらない様子で淡々と、でも少しだけ楽しそうに髪の毛を人差し指でくるくると回している。そして、運ばれてきたコーヒーのカップの輪に長くて白い指先を潜らせた。あ、冥さんは砂糖入れないんだ。悟なら、角砂糖を食べてるんじゃないのってくらい、砂糖を入れるのになあ。
「お金さえくれたら、そこら中のありとあらゆる幸せを、盗んできてあげるのに」
まるでぬいぐるみの口にケーキを押し付ける子供のような優しさだ。儚くて残酷で、それでいて、とろけそうなほど甘い優しさだ。それが叶わないことは冥さんだってわかってるでしょ。そんなお金も幸せも、どこにもないってことくらい。
「わたしの幸せは、悟だけなの」
悟がいなければ、幸せになんてなれない。
驚くほどあっさりとわたしは認めた。白旗だ、降参だ。そう、悟がいなければ、わたし、幸せになんてなれない。こんな風に思うなら、死んでしまったと言われた方がまだマシだった。悟は生きている。希望の方が絶望よりもやっかいで、人を狂わせるのはいつだって希望だった。歴史だってそれを証明している。そして、悪夢の中の希望ほど、鮮やかに見えてしまうことも。
「…わかってるよ」
「今日の冥さんは優しいね、怖いくらい」
「そう?」
「ねえ、冥さん、髪の毛触ってもいい?」
「高いよ」
「いいよ、それくらい、悟が払うわ」
わたしは冥さんのふわふわとした色素の薄い髪の毛に触れる。悟に似た色素の薄い髪の毛。それに触ったら、すこしは気が紛れるかと思ったのに、冥さんの髪は思っていたよりも柔らかくて、まるで絹糸のようで、悟の髪とは似ても似つかなかった。悟じゃない誰かに悟との共通点を捜して、悟じゃなきゃだめだと確認して、安心する。そんなことをわたしは繰り返してる。あの日からずっと繰り返している。
冥さんは、やっぱり金以外のしがらみは理解できないな、と言ってようやく泣いたわたしの涙を拭う。馬鹿だなあ、わたし。冥さんに慰めてもらったら、高くつくんだよ。でも、大丈夫、これもいつか帰ってきた悟がお金を払うから。
20200311
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