溶け出す輪郭

※R15くらい、倫理観が欠如しています





 安いビジネスホテルのセミダブルのベッドの上で手酷く抱かれた。痛いのがいいのか、と吐き捨てるように言われたので首を横に振った。肯定していても、否定していても、結局同じ様にひどくされたのだと思う。痛いのは嫌だ。首筋から背中にかけては絶対血が滲んでいるな、と思われるようにじくじくと傷む噛み跡が点々としている。嫌だと言ったのに、結局こうなる。いつも。

 わたしがこの男と初めて会った時のことだ。アンダーグラウンドの仕事をするのなら子供を作るな、弱点を作ることになる、特に母親はな。初対面でそう言い放ったこの男のことを孔さんは呪術師殺しと呼んでいた。腕だけは確かだと。

「それじゃあ、まるで貴方に子供がいるように聞こえます」
「いたから、捨てた。名前も覚えていない」

 出会った時から嫌な男だった。心臓に黒い翼が生えているような男だった。どうせお前もすぐ死ぬんだろうから名乗らなくていい、三回会ったら覚えてやってもいい。本当に三回会うまで、わたしのことをこの男は嬢ちゃんと呼んでいた。わたしはもう二十を過ぎていたし、そう呼ばれるのは不服だったが、わたしだってこの男の名前を覚える気はさらさらない。口元に傷があるこの男のことを呪術師殺しさんと呼んでいた。年齢を告げると、やっぱり嬢ちゃんだな、と言われて馬鹿にされた。


「煙草辞めたのか、前は吸ってただろ」
「甚爾さんが避妊しないからピル飲んでるんです。ピル飲みながら煙草を吸うと血栓のリスクがあがってしまうので、やめました。貴方のおかげで晴れて禁煙できましたよ」
「そりゃよかった」

 なにもよくない。薬と煙草で死ぬなんてわたしらしくないから仕方なくやめたのだ。あんなに愛していた煙草と寿命を天秤にかけて、生きることを選んだ。甚爾さんは嫌味には気付いているだろうが、まるで意に介さずわたしがお金を払っているホテルのベッドを独り占めしている。そもそも、どうやってわたしの部屋を毎回突き止めているというんだ。教えた覚えなんてないのに。ああ、背中の噛み跡が熱をもって痛んでいる。

「痛くしないでって、何回も言ってるのに」
「悪かったな、聞こえなかった」
「わるいと思うなら、少しくらい宿代払ってください」
「金の話するなよ、気分が悪い」

 またこの人はギャンブルに負けたんだろうな。わたしは黙ってユニットバスの中でぬるま湯を背中にかける。あの人の歯には毒でも仕込まれているのだろうか。シャワーで流してもぎゅっとティッシュで抑えても血が止まる気配はない。淡いピンク色の水が排水溝に吸い込まれていくのをしばらく見ていた。
 ようやく透明な水滴がわたしの身体を伝うようになって、バスローブにくるまってベッドを見ると、甚爾さんは遠慮なく寝ていた。あなたは身体が大きいんだから、仰向けで寝られたら困る。それにどう考えたって、わたしのほうが疲れている。
 甚爾さんの腹の辺りを足でぐいぐい押して壁際に追いやる。ようやくできた狭いスペースにわたしは体を丸めて潜り込んだ。

「ずいぶんなご挨拶だなあ」
「…起きてたんですか」
「俺のことを足蹴にできるのは、お前くらいだ」

 さっきようやく血が止まって、薄く瘡蓋ができた部分をもう一度強く噛まれた。痛いって言ってるでしょう。シーツに赤い染みがぽつぽつとできる。

「ああもう、怒られたらどうするんですか、わたしがお金を払うんですか」
「それくらいで騒ぐなよ、鬱陶しい」

 それは金がある人間の言っていいセリフだと、わたしは思うんですけどね。わたしの柔らかい皮膚の上を舌が這う。太い指が太腿に沈み込んだ。

「痛いのは嫌です」
「…わかったよ」

 わたしのことを優しく抱くつもりなんて、そもそもないんでしょう。子供を作るなと言ったのに、避妊すらしないんだから。おかげで、わたしは煙草をやめてピルを飲んでいる。
 いつ会うかわからないのに。わたしが会いたいと言ったところでどうせ会えないのに。他の女と寝たあと平気でわたしに電話をかけてくるのに。それを隠す気すらないのに。お互いに、いつ死ぬか分からないのに。明日のことすらわからないのに。
 これだけ背中に跡があれば、お前、当分他の男と寝れないな。至極楽しそうにわたしの背骨をなぞりながらそう言った。
 名前を教えたけれど、結局一度も呼ばれたことはない。ああ本当に、この男のどこが好きなんだろう。



20200323
溶け出す輪郭