節くれだった手が嫌いだった。女にしては筋張った手や、オイルで汚れた自分の爪の先が、嫌で嫌でたまらなかった。
クラスの女の子たちの黄色い声が煩わしいと感じるのは、きっと話についていけないから。それよりも、車雑誌を片手にこれがいいあれはどうだと騒ぐクラスメイトの男子たちの話の方が自然と耳に入ってしまう。
「おまえら免許取ったらなに乗る?」
「おれはセリカ。ラリーで泥まみれになってる姿想像するだけでテンション上がっちまうよ」
「でた、マーフィー!おれは断然180SXだな」
「じゃあおれGT-R」
「ばぁか。お前んち魚屋だろ。買えるわきゃねーよ、グラシビでも乗ってろ。ヒラメヒラメ」
どうやら彼らは免許取得中らしく、ああでもないこうでもないと雑誌に載っている車を指さしては唾を飛ばす勢いで騒ぐ姿は同い年とは思えない。やはり男子にとって車とは憧れの象徴なようだ。そろそろ予鈴が鳴る頃合いだが、どうも彼らは気づいてない様子である。次の歴史の教科担当である河合先生は校内でもかなり生徒に厳しい部類に入り、授業開始と同時に包まれるあの重苦しい空気は3年目になる今でも慣れられそうにない。
昼食のため仕舞っていた筆記具を机の上に用意していると、騒いでいる男子のうちの一人の声がやけに耳についた。
「やだよ!んな古いFFなんか。俺の親父もレビン乗ってるけど、男はFRで峠をドリフトしてナンボだろ」
授業を受けようと用意していた手が止まる。男子たちは間違いないと言ってなおも騒ぎ続けている。黒板の上にかかった時計の長針があと数刻もしないうちに真上を指さんとしていたが、ざわついた感覚は先ほどまで凪いでいた気持ちを苛立たせた。
出しかけていた教科書やらを雑に机の中に戻した。引いた椅子の音がやや大きく何人かのクラスメイトがこちらをギョッとした目で見つめてきたが、どうでもいい。こんな状態で、授業を受ける気にはなれそうになかった。
「……苗字、おまえどうしたの」
「気分悪いから保健室行ってくる。…山下、あんたの親父さんが乗ってるレビン、周りにはハチロクって言ってるみたいだけど、あれハチゴーだよ」
背後で騒がしくなる男子を背に、向かったのは保健室ではなく屋上。廊下にいた生徒はまばらで、教師と鉢合わせないように歩調を速める。途中男子生徒に軽くぶつかってしまったが、振り返るのもおっくうで足は自然と階段を駆け上っていた。
―――中略―――
「おまえ……苗字だよな」
「……そういうきみは隣のクラスの中里くん。どうしたの?今授業中だよ?」
屋上の扉からにゅっと頭を突き出して現れたのは、1、2年のころ同じクラスだった男子生徒、中里毅くん。同学年の生徒の中では比較的まともと言うと語弊があるが、過度に馬鹿騒ぎするでもなく座学も実技も成績は悪くない。と言ってもがり勉というわけでもないようで、話掛ければ男女わけ隔てなく返答もするし、冗談にも乗る。男子生徒に表現するのもおかしな話だが愛嬌のあるタイプだ。
中里くんはポケットに片手を突っ込んで屋上に入る段差を超えると、まっすぐこちらに足を向けた。
私自身特別背が低いというわけでもないが、給水タンクの隅でしゃがみ込んでいる体制だと、彼は少し体格がよく見える。
こちらを見つめる瞳はふさふさと長く量のあるまつ毛に縁どられており、太くまっすぐに伸びた眉毛も相まってその目力の強さを際立たせていた。
「人の事言えねえだろ。サボりだよサボり……というか、お前、煙草吸うんだな」
「あ……煙苦手?もしかして器官とか弱かったり」
「しねえよ。丁度いいや、火貸してくれ」
学ランの内ポケットに忍ばせていたらしいセッタを取り出した彼は、手慣れた動作でタバコを咥える。スカートのポケットに寝転がったマッチを手渡せば、少し目を丸くしてから洒落た吸い方してんなと言って燐を香らせた。