クライシス


 あの日はね、空に溶けるような赤が印象的だったよ。ビー球のように透き通ったそれは胸の中にもじわじわと浸透してきて、こうして思い出すたび真っ先に頭へ浮かぶんだ。

 うつろな目をしている? ああ、もう何日も寝ていないから、かな。背筋が常にぞわぞわしていてね。そこで百足でも飼っているみたいだ。

 水、くれるかい? そうそう。そうやって、グラスに注いで、僕の口へ持ってきて?

 何でそんなことをしなけりゃあならないのかって、こうして椅子に座らされ、それごと縄で身体を縛り付けられているのだから、自分では飲めないもの。君が手伝ってくれないとねぇ。

 決めた時間にしか水は飲ませないって言われても困るなぁ。飲みたいんだ。がぶがぶと、この、空っぽになってしまった単なる入れ物の中へ注ぎ込んだならば、意識はまだ保っていられると思うけど、それでも駄目? 僕を気絶させたくはないのでしょう? ま、殺したいならば、このまま放置すればいいだけですが。

 どうする? 絶食した人がどれだけ生きておられるか。おおかた予想はつくよね。

 立ち去ってもいいよ。僕としてはここで死んでも構わないからね。魂は自由になるし、身体だって、ぐずぐずに腐敗すればきっと、この縄の隙間から崩れ落ちられる。

 ほら、窓の外に鳥が飛んでいる。群れで、三角形を作ってさ。先頭で飛ぶあいつはどんなことを考えているのだろう。

 しかしここは寒いな。こうして何日経過した? 僕は相当くさいだろうね。タオルで拭いてくれてもいいだろうに。君、よく僕の目の前に立っておられるな。

 せめてこの、いろいろなものを吸ったシャツを着替えさせてくれたら……逃げるって? 逃げないよ。そんな気力も体力もないこと、見ていてわからない?

 水、いい? 口に持ってきて?

 うん、ああ、うまい。よく冷えていて、鳥肌が止まないよ。手が震えているけれど大丈夫かな?

 どうしてそんなにしゃべるのか、って、だって。僕の命、残りはそんなに長くはないでしょう。それだったらさ。聞いてもらいたいことがあってね。ほら、そこ、僕の数歩前でいいからさ。正面に座ってよ。腰を下ろして聞かないと、きっと後悔するから。

 さっきちらりと話したろ? 印象的な夕焼けを目にした、あの日のことなんだけれどその前に、それまでの経緯を話さなければ、ね。

 僕には幼馴染がいてね。幼稚園の頃に出会ったんだけど、曇りのない笑顔を浮かべるような奴でさ。まさに、太陽のようだった。きらきらと輝くその笑みを見ているだけで、こちらの霧など吹き飛ばされてしまったよ。

 一度、触れ合ったらもう止まらなかった。どんどん近く、親しくなっていった。僕たちを阻む壁なんて存在していなかった。そうしているうちにね、ふと、その距離が近すぎていることに気づいたんだ。いや、近すぎたなんてものではなかったな。距離なんてなくなっていたよ。

- 13 -

*前次#


ページ:



ALICE+