「兄弟はいないの?」

何気ないアイツの質問が発端だった。
特に何も考えず、只の好奇心からだったんだろうが、"兄弟"というワードに、俺は少し反応が遅れた。

「………兄弟?」
「うん。御両親の話は聞いたけど、兄弟はいなかったのかなって。でも、アド君は一人っ子っぽいな〜」

笑うアイツが、その後何か別の話題を振ってきていたが、内容は覚えていない。というより聞こえていなかった。
"兄弟はいない"という言葉が出てこなかった。俺には兄弟はいない、いない筈。だが何故か、何かが引っ掛かった。

頭の中で一気に幼い頃の記憶が駆け巡る。そして、思い出した。
今まで、死ぬことばかり考えていた俺は、忘れてしまっていた。
幼い頃の約束を。
守られる事の無かった約束を。

軍に売られたという、父親違いの姉の存在をーーー


その時俺は、21になっていた。秋口の事だった。

昔は、幼くて理解できなかったお袋の言葉も、表情の意味も、この歳になってやっと理解出来るとは皮肉だった。
軍に売られた、というよりも、半分無理矢理連れていかれたようなものだったらしい。ーーー俺と同じだった。

姉の父親は、バグズ手術を受けた一人で、そして…『バグズ2号』の乗組員だった。国籍はドイツで、当時現役の軍人。

思い出したは良いが、今どこにいるのかも分からなかった。生きているのかさえも。軍に売られたのだから、俺のように軍に在籍しているかもしれない…と考え、調べられる範囲で姉の名を探したが、その名がいくら探そうと出てこなかった。

既に死んでいるーーー…先ずその可能性が真っ先に浮かんだ。
だが、父親がバグズ手術の成功者なら、その娘も手術を受けさせられるだろう。俺と同じ様に。ーーーだがこの国の記録に名前も、データも残っていない。死んだという記録さえも。
おかしいとは思ったが、監視の目もあったし、変に探りをいれることも叶わず、

思い出すのが遅過ぎた。もう、会うことは叶わない。そう考え始めていた、ある日の事だ。あの男が俺を訪ねてきたのは。

「アドルフ・ラインハルトさんですか?」

ヴィルヘルム・バッツドルフ。バッツドルフといえば、この御時世では珍しい富豪の家系だ。俺でも知ってるし聞いたことがある。実際に会ったのはこの時が始めてだったが。
そんな場違いな男が俺なんかに何の用だ…と思ったが、その男を連れてきたのが、小町艦長だった。

「アドルフ、お前姉がいるんだってな?」
「…はい?」
「貴方がある人物を探していると小耳に挟みまして…その方についてお話があって来ました」

…誰にも話したことないぞ。俺だって、数ヶ月前まで忘れていたんだ。
監視の目もあってあまり調べられなかったって言うのに、その事でわざわざこの異様な組み合わせの二人が俺を訪ねてきたと…?

「貴方のお姉さんに当たるクラウディア・ラウトナーさんですが、彼女は今まで、ずっと"  "の軍にいました」
「………は?」

捜していた姉は、この国には最初からいなかった。
正確には、売り渡された軍ってのが、そもそもドイツではなく、全く別の国だったという事らしい。そこに十数年、言葉も分からないその国で、過ごしてきたと、彼は言った。俺の隣で、小町艦長はずっと話を黙って聞いている。

そして、半年程前の事らしいが、彼が彼女を偶然見付け、ドイツの軍に移籍させる手続きを先日済ませたという。それも、俺の居る軍にだ。
また別の理由で、彼も彼女を捜していたと聞いた。その理由はこの時はまだ教えてはくれなかったが、話がとんとん拍子に進み過ぎて、正直頭の理解が追い付いていなかった。話をし始めて数分後には、姉に会う日取りが決められていたのだから。

"移籍の理由"ってのが分からず、何なのか聞いてみたが、「会った後にお話しします」と言われ、知る事は出来なかった。実際は、その時の二人の表情は険しく、今の自分の感情を抑えようとしているようで、聞くことが出来なかったのだがーーー…


話をした数日後、その日は直ぐにやってきた。
会う場所ってのが、U-NASAのドイツ支局の面会室だったんだが、小町艦長に「もっとちゃんとした場を設けたかったんだがすまないな」と言われた。
…あまり畏まった場を設けられても、俺も困っただろう。今でさえ、何を話せば良いのか考えられていない。この数日その事ばかり考えてしまって、上の空だとアイツにも言われた。

子供の頃には、いつ会えるのだろうと楽しみに待っていたもんだが、もうあれから十数年の月日が経っている。姉の顔を見たのも、ずっと幼かった頃の写真でしか見たことがないし、その顔も朧気だ。
捜してはいたが…捜し出して、何をするか、どうするかってのは、考えていなかったな…。

「此方でお待ちしています」

先に待っていたヴィルヘルムに案内され、面会室の前に立つ。…まだ最初に何と声を掛けるか考えられていなかったが、もう成り行きに身を任せるしかなかった。

「………!」

扉を開けた先には、一人の女がソファーに座っていた。髪は長く、顔は背けられていて見えない。後から入ってきたヴィルヘルムが、「クラウディアさん、お待たせしました」と、声を掛けた。

ゆっくり、彼女はこちらを振り向いた。
髪は黒く、後ろ姿だけでは小町艦長と同じ日本人に見えたが、、顔立ちは白人特有で、そして…お袋に似ていた。
少しずつ思い出してきていた。あぁ、そうだ…幼い頃に見た写真の顔だ。面影が残っている。顔半分、この時には既に火傷で覆われていたが、それでもだ。だがーーー

一つ、違っていた。

写真で見た…幼い、無邪気な笑顔は、そこには無く、
無機質で光の無い、黒く濁った眼になっていた。



死ぬ事ばかり考えていた、昔の俺と同じ眼を。




「エヴァ、ワック、エンリケ、サンドラ、フリッツ、アントニオ、レイシェル、ジョハン、ミラピクス

必ず……っ、必ず助ける…!!」

"魚類型"用の粉状の薬を空中にぶちまけ、一気に吸い込む。
顎に取り付けていた安全装置と、背中の安全装置が、アドルフから発せられる電圧に耐えられず、ボルトが吹き飛んだ。
その吸い込んだ薬の量に、ジョハンは目を見開いた。

「だ…ッ」

薬ッ!!あの量ッ!!!

「ダメだ班長ぉおおおオオッ!!!」





11:Auch wenn es schmerzhaft ist, ich wunschte ich konnte weinen oder es ware schmerzhaft, ich wunschte, ich hatte dich.





『主は雷と雹をくだされ』
『稲妻が大地に向かって走った』



「エヴァーーー 車の中にいろ」

後ろにいたエヴァは、アドルフにそう言われ、アドルフから視線を逸らす事なく、車の中に入った。外に出ていては、彼の戦いの邪魔になると分かっていた。
走り、近付いてきたテラフォーマーの顔面を叩き、発せられている電気の威力も加わり、密集するテラフォーマーの群れに弾き飛ばした。

「オラァッ!!!」

数本の手裏剣を取り出し、地面を強く踏みつける。雨により濡れた地面に電気が伝い、テラフォーマーが帯電した状態となる。
手裏剣を投げ、テラフォーマーに突き刺さると、凄まじい威力の雷撃が、テラフォーマーに直撃する。


『主がエジプトの地に雹を降らせると』ーーー
『雹が降り』
『その間を絶え間なく稲妻が走った』



これが、彼の怒りと哀しみ
これがアドルフ・ラインハルト

これが、   『2位』

「退いてもらうぞ。この軍を」

手裏剣を2本取りだし、崖の上にいる頭のテラフォーマーと傍にいる側近らしきテラフォーマーに向かって投げた。
だが、テラフォーマーに当たることはなく、側近のテラフォーマーの持っていた旗で手裏剣を的から外された。手裏剣は、テラフォーマーの手に持つ旗の布に刺さっていた。
再度、テラフォーマーは旗を地面に突き刺す。


"知っていること"は武器である。

ーーー人類にたった一つだけ、最も優れた武器があるとしたら……、それは事前に"恐怖"し、どんなに怖くて得体の知れないものでも、それを知り、対処出来る事であろう。
"彼ら(テラフォーマー)"の知能はおそらく計り知れないものであるがーーー

彼らにはそれがなかった。
雷の全てを識ってはいなかった。

落雷の日には、絶対立ってはいけない場所がある。

閃きは神明の如く冴えても、
火星には"師"はいなく、また、"書"もなかった。

そして、"樹"がなかったから。

樹木の真下とその『半径』ーーー『4m以内に走る衝撃』


人類はそれを、『側撃雷』と呼ぶーーー


『雹は野のあらゆる草を打ち』
『野のあらゆる木を打ち砕いた』



落雷、威力は実に…   6億V

それこそ、神憑り的に打ち所が良くない限り、当然ーーー 即死である。

ーーー稲光が走り、落雷は旗の上に落ち、傍にいた頭のテラフォーマーと側近のテラフォーマーに直撃した。身体から白い煙を立ち上らせ、倒れた二匹のテラフォーマーの姿を目にした他のゴキブリ達は、何故か一斉に動きを停止させた。
乗組員達を捕らえていた網から手を離したため、その隙に何人かの乗組員は網から抜け出す。

「…は…班ちょ…!」

エヴァは脱出機から降り、倒れたアドルフの元に駆け寄り、身体を起こす。
その時、スッと手を上げ、エヴァの頬に触れた。

「……濡れると危ない……って…言っただろう…」
「…は…っ…っ、良かっだ……ッ」


ーーー『亜麻と大麦は壊滅した』

『大麦はちょうど穂の出る時期。亜麻は蕾の時期だったからである』
『小麦と裸麦は壊滅を免れた』
『時期ではなかったからである』
『町を出ると』
『両手を広げて主に祈った』
『すると』ーーー

『雷も』
『雹もやみ』

『大地に注ぐ雨も止んだ』(ーーー『出エジプト』より抜粋)



「……雨がーーー」

先程まで強かった雨足が、少しずつ止んできた。

「っ!……オイ…エンリケ……しっかりーーー…………くそっ…」

網から一足早く抜け出したジョハンは、エンリケを担ぎ運ぼうとしたが、テラフォーマーに胸を貫かれていたエンリケは、既に力尽きていた。
他の乗組員達は、網から抜け出そうともがいている。

「くッ…(お…落ち着け…網の内側から自力で出んのムズいな…けどーーー…何故かゴキブリ達の動きが止まってる…今のうちに逃げないと……)」

その時、車に乗っていた一匹が、倒れた頭のテラフォーマーに近付いた。近付き、真横に立ったテラフォーマーは、足を上げ、頭のテラフォーマーの胸の上に足を置く。

「!!……………」
「……えっ」

第一の要因はーーー 『運』

ドムッ!! テラフォーマーは力強く、胸を踏みつけた。そして、そのまま一定のタイミングで強く、頭のテラフォーマーの胸を踏みつける。

ーーー諸説あるが、落雷での死亡率は、凡そ直撃雷で8割。側撃雷で5割。
それ以外は、電流が重要な器官を避けて通ったケースであるが、筋肉の破壊や脳障害なども起こさず生還するには、神憑った『運』とーーー

『処置』が必要である。

ーーー彼らは、既に閃いた後だった。
『木』と『雷』の事は、十分に知らなかったが…少なくともーーー

こうすると血流が動くという事を。


「…………………………じょうじ、じじょじ…じじょうじょじじょうじょう…ぎ……じじょうじょじょうじょうじょ」

頭のテラフォーマーは起き上がった。一度は心停止していたが、胸を押されたことにより、心臓マッサージのような役割を果たし、身体を支えられながらもゆらりと立ち上がる。

アドルフを一瞥し、指を差して指示を出す。
今まで停止していたテラフォーマー達が動き出し、銃を持つテラフォーマーはアドルフに向かって構え、網に捕まったままの乗組員達を再び運ぼうと引きずり始める。

アドルフは既に限界だった。足が震え、立っていることもままならず、その上これ以上の薬の服用は、彼自身に危険を及ぼす可能性もある。

庇うように、エヴァはアドルフの前に出た。


ーーー『出エジプト記』「雹の害」より

『ファラオは雨も雹も、雷もやんだのを見て』
『またもや過ちを重ね』
『彼も彼の家臣も、心を頑迷にした』

『ファラオの心はかたくなになり』
『イスラエルの人々をさらせなかった』

ーーー『主がモーゼを通して仰せになったとおりである』



ーーーエヴァ・フロスト(18)
富豪の娘だが、軟禁同然に育てられ、恐慌の際に親から強引にU-NASAに売り渡される。

「な……何で…ッ」

ーーーワック・エリクソン(21)
ペルーの山岳地帯に育つ。身寄りはいないが、異常気象に見舞われた村の借金を返すため、火星に赴く。

「(……バカ野郎…ッ、こいつら…ッ)」

ーーーサンドラ・ホフマン(28)
夫と死別。7歳の息子がA・Eウィルスに感染し、入院費用とワクチン作成のため火星へ。

「(動け…ッ俺の躰…ッ!!動けッ!!!)」


こいつらをッ   護る!!

ーーー指を、空に向けた。
テラフォーマーから放たれた銃弾は、突然軌道を変え、エヴァとアドルフを避けるように地面に当たる。アドルフから作り出された強い磁場により、軌道を歪められていた。

「ん"あ"ぁ"ぁ"ッッ!!!」

護るッ!護るッ!!護るッ!!!
こいつらをッ!!!

必ず救い出し!ワクチンを造り! 地球へッ!

地球へ 還る

そうしたら…、きっと そうしたらーーー


もう、嘘をつかないで生きよう


カキン、カキン…
テラフォーマー達は、銃弾を撃ち切った。全ての銃弾の軌道を変え、一発もアドルフとエヴァに当たることはなかった。

弾切れになり、使えなくなった銃を放ると、銃を持っていたテラフォーマーが突然しゃがみこみ、土下座の体勢になる。

電気を通す素材のものが通じないならば、それ以外のものを使えば良い。

予め用意していたのだろう、テラフォーマー達は、人間の顔程もある大きな石を用い、縄を使い、投石の要領で二人に石を投げつけようとしていた。石の大きさ、そしてテラフォーマーの腕力から考えて、一撃当たれば即死は免れない。

何より、ただの石では、アドルフの磁場の影響も受ける事はない。

「…………くッ…そ……ッ………が…………!」

もはや防ぎようも、逃げる事も叶わない。
頭のテラフォーマーは手を上げ、投石開始の指示を出そうと構える。

咄嗟に、アドルフはエヴァの頭を押さえ、覆い被さるように体勢を変える。エヴァは驚き顔を上げるが、その瞬間アドルフは、何かをエヴァに伝えていた。



「帰って来たら何をしたい?」

火星に出発する少し前だ。
この時は、ここ数ヶ月互いに忙しく、会えていなかったのだが、たまたま半日休日が被り、二人で飯を食っていた。
クレアは日米合同の班に所属する事になっていたし、U-NASAのアメリカの支局にいる事が多くなっていたから、ドイツに帰ってきた時か、もしくは俺がアメリカの支局に仕事で来た時くらいにしか顔を合わせられなくなっていた。

この時は後者に当たり、昼からオフだと知ったクレアに、昼を一緒に食おうと誘われた。その時に、そんな質問をしたんだったな。

「帰ったらか?」
「あまり、何をしたいとか話したこと無いだろお前」
「それはアドルフも同じだろ」

否定は出来ない。俺でも何でこんな、実現するかどうかも分からない先の事を聞いたのか。

この任務で、俺達二人とも生きて帰れる保証など全く無いというのに。

「やりたい事なぁ…」
「特に無いなら答えなくて良いぞ」

買ってきた缶珈琲をクレアに渡しながら言う。
渡された缶珈琲をじっと見つめ、口を開けてから、クレアは答えた。


「………叔父と叔母の所に、一度帰ってみたいな」

意外な答えだった。
今まで、父親が火星に行っていた時は、ずっと叔父と叔母の所に居たというとは知っていた。そして、軍に売り渡される直後まで、二人はクレアが軍に行くことを反対していた…というのも、クレアの口から昔聞いていた。

クレアは軍に来てから、一度も叔父達の所に帰っていない。
ドイツではなく、別の国に行っていた事も叔父達には知らされておらず、連絡手段も無かった。そして、俺と同じ様に監視下にいたクレアは、軍に在籍して暫くしてからも、ドイツに一時帰国するなんて事は許されなかった。

「もう、私の事なんかは忘れているかもしれないが…それでも、やはり一度は帰りたいな」
「………こっちに来てから、帰ろうとは思わなかったのか?」
「そりゃ思ったが…、今同じ所に住んでるかも、生きてるかも分からないし、なかなか踏ん切りがつかなくてな」

珈琲を飲みながらクレアはぽつぽつと話す。
クレアがこうして自分の望みを口にしたのは、初めてかもしれない。今まで自分の望みを言うなんて事は許されなかっただろうし、いつ死ぬかもしれない火星での任務を前にして、少し饒舌になっていたんだろうか…。

「そうだな、もし行ける事になったら、その時はアドルフも一緒に来てもらうかな」
「俺もか?クレア一人で行けば良いだろ」
「あの時は、叔父と叔母もお前に会うの楽しみにしてたんだよ」

………初耳だなそれは。

「だからその時は、アドルフも一緒に来てくれ」

言いながら俺の背中を叩いた時は、冗談抜きで結構痛かった。手加減と言う言葉を知らないんだ、クレアは。

「………(良く笑うようになったな…)」

出会った当初は、こんな風に笑うクレアを見られるとは思っていなかった。
子供の時のように無邪気……とはいかないが、少しずつ、少しずつ…笑ってくれるようになったんだ。




ーーー5年。たった5年だけだ。俺がクレアと過ごせた時間は。

互いに軍に所属し、忙しい身だったし…共に過ごした時間は5年の内で数えるともっと少ない。

それでも、それでも…俺はーーー



「ーーー…クレア、」



ーーー四方から、投石の雨が容赦無く降り注ぐ。
投石はアドルフの頭部と脚を抉り、腕を吹き飛ばした。
それでもアドルフはエヴァから離れなかった。

ほんの一瞬の出来事に思えた。投石は止み、泣き叫んでいたエヴァも我に変える。その時、ぐらりとアドルフの身体が崩れ、呆然となるエヴァの横にと倒れ込んだ。

「………っ…、出来ません…あ…アドルフさん…」

そっと、倒れたアドルフの服を掴む。

「は……離れ…たく…、ない……」

頭のテラフォーマーが、崖下へと降りてきた。エヴァへと近付き、余裕の体勢でいる。エヴァが己の脅威になる存在ではないと認知しているのだろう。

「……じじょうぎじょうじょ、じょうじょうぎぎじ」

他のテラフォーマー達は、順調に捕らえた乗組員達を運んでいた。

「に…逃げてくれ…エヴァ……頼む…ッ」

その時、エヴァは自分の後ろに迫っていた頭のテラフォーマーと向き合い、殴り掛かった。殴ったといえど、力は弱く、人為変態もしていない生身の状態であるエヴァの攻撃は、テラフォーマーにとって何のダメージにもなっていない。

それでもエヴァは殴る手を止めなかった。脚は震え、すくんでいた。どんなに恐ろしくても逃げようとしなかった。

「恐ろしいか、エヴァ」
「大丈夫だ」

「必ず…っ 必ず助ける…!」



「は……離れろ…、連れて行かせるもんか…っ!!」

どんっと、震える手でテラフォーマーを押し返す。
エヴァを突き動かしたのは、アドルフへの想いと…火星へ降り立つ直前の、クラウディアとの対話ーーー

「エヴァ、アドルフを頼むな」
「えっ?」
「お前も知ってるだろうが、アイツ優しいくせに不器用だから、無茶しがちでな。任務中、無理をする事もあるだろう」

「お前達の隊長は強い。有事の際は、非戦闘員のお前は隊長に頼れば良い。だけど…もし、アイツが…無理をしそうになったら、その時は、エヴァ達に頼みたいんだ」

「私は、直ぐ傍にはいられないから」



「こっ、こんなに…こんなにボロボロになっても庇ってくれた…!
こんなに疲れ切るまで戦ってくれた…アドルフさんを…!!

大好きなアドルフさんを…!!!


お前等なんかに渡すもんかぁああ!!!」

声を震わせ、泣きながらエヴァは叫んだ。込み上げるのは悔しさと、強い後悔。そして、無力な自分への強い怒りだった。
クラウディアとの約束を守れなかった。ずっと、守られてばかりだった自分への怒りがおさまらなかった。

「じょう」と、首を傾げる頭のテラフォーマーは、仲間のテラフォーマーを呼び、エヴァも連れていこうとする。ーーーその時だった。


カチン…! ピーーーーー…ッ

倒れたアドルフの身体から、無機質な機械音がその場に響き渡る。"何かのスイッチ"が入るような音だった。
エヴァは振り返り、アドルフを見る。頭のテラフォーマーもアドルフの方を見ていた。そして、

初めて、その顔が悔し気に醜く歪んだ。
ワナワナと震え、瞼は痙攣し、震えている。

「ぎっ、ジ……!!ジ……!!!ジィイイイイィイィイ!!!」

叫び声を上げたテラフォーマーは、驚くエヴァを放置して、他のテラフォーマー達も捕らえた乗組員達を置き去りにし、一目散に駆け出した。ーーー何かから逃げるように。


それはーーー

それは、アドルフ自身にも知らされていないものであった…。勝手な、実に勝手な、

"その装置"は、ゴキブリ対策と言うよりは……只、単に、

『他国に奪われないため』のものだった。



「ねぇアドルフ…」
「もし…」
「もし母さん達が帰って来なくてもーーー」

「頑張って…強く生きて…」
「いつか母さんみたいな人を見付けてね…」

幼い頃の記憶だった。
アドルフの、父と母が、いなくなる少し前の、母との記憶。

「私と…私の大好きな人とのーーー」
「間にアドルフ(あなた)が生まれて来た様に、」
「いつかあなたも、」
「そうやって幸せになるの」

「…ごめんね、まだちょっと難しいよね」

その眼から、涙を溢れさせながら、母は幼いアドルフに語り掛けた。
そんな母をじっと見て、アドルフはーーー

「……ううん。分かった…母さん…、僕も…いつか父さんと母さんみたいになるよ。がんばる…」

「でもーーー 出来たら帰ってきてね…、僕…っ…」



ーーーエヴァは、ゆっくりと倒れたアドルフに歩みより、動かなくなった身体を抱き寄せ、抱き締める。
エヴァを含み、他の乗組員達も、"これが何の音"で"何が起こる"のかを、全員察知し、理解していた。

そして、全員涙を流しながら、微笑んでいた。

「ーーー…一緒ですよ、アドルフさん。

私達ーーー


血よりも固い絆で結ばれた、家族です」

穏やかに微笑み、血に濡れたアドルフの頭を優しく撫でる。

「皆で、一緒に…



クラウディアさんの所に、還りましょう」



「ーーーアドルフ…」
「いつか、いつかで良いの」
「きっと、…お姉ちゃんを見付けてね」
「直ぐには会えなくなってしまったけど、」

「お姉ちゃんは、本当にアドルフに会いたがっていたのよ」
「…会って、くれるかな?」

「大丈夫。きっと会えるわ」
「だって、」



「たった一人の姉弟なんだから」ーーー…




辺りを強い光が包み込んだ。

地を揺らす様な強い轟音が鳴り響き、エヴァ達も、逃げ出したテラフォーマー達もまとめてその光に巻き込まれ、

ーーー全てが、消失した。

その光は、遠く離れた場所で監視を続けていたアレックスの双眼鏡にも僅かに捉えられていた。

「………班長…、3時の方向で何か…」
「………3時の…!?」

アドルフ達第五班の居る筈の方角だった。何かを察したミッシェルは、拳を強く握り締め、呟く。

「……全く…、どこの国も……勝手しやがる……」





たった5年の、短い歳月でも、

俺は、クレア…お前と出逢えて、

一緒の時間を、エヴァ達も交えて過ごす事が出来て、



………楽しかったよ、クレア





11:苦しくても泣きそうでも辛くても貴方さえいればよかった