"A・Eウイルス(エイリアン・エンジン・ウイルス)”

地球で流行が危惧されている新種のDNAウイルスである。
42年前、突然現れ、20年前に急激に増えた事から火星由来のものとされている。

致死率は100%

2619年現在、A・Eウイルスで死亡した遺体から、ウイルスを培養することは不可能である。
研究のためにはサンプルがなく、その確保のため、

”アネックス計画”

A・Eウイルスのワクチンを作り出すことを目的とする”火星有人踏査計画”が実行される事となった。



02:Der Beginn der langen Verzweiflung.



「ーーー地球で起こっている"病気"とーーー
皆様が向かう"火星"との関係について説明します

『アネックス1号』幹部(オフィサー)の皆様から、自国のクルーにお伝え下さい」

大型有人宇宙艦『アネックス1号』 ーーー幹部乗組員

U-NASA火星探索チーム総隊長兼、日米合同第一班班長。
『小町小吉』
U-NASA火星探索チーム総隊、副長兼、日米合同第二班班長。
『ミッシェル・K・デイヴス』
U-NASA火星探索チーム、ロシア・北欧第三班班長。
『シルヴェスター・アシモフ』
U-NASA火星探索チーム、中国・アジア第四班班長。
『劉 翊武』
U-NASA火星探索チーム、ドイツ・南米第五班班長。
『アドルフ・ラインハルト』
U-NASA火星探索チーム、ヨーロッパ・アフリカ第六班班長。
『ジョセフ・G・ニュートン』

以上6名が集めれ、火星出発前に備えての説明会が行われていた。

「人に病を起こさせる原因には、実に様々なものがあります…
細菌などの"微生物"に加え、厳密には生物ではない"ウィルス"などーーー」

「あとそれに…   "恋"とか」
「続けます」

軽い口を叩くジョセフの言葉をスルーし、男は説明を続ける。

「"細菌は"、居心地の良い他生物の体内に寄生したがる者もいますが、無論、生物なので自分で活動・分裂し、繁殖する事も出来ます。

対して"ウィルス"は 、一切の代謝機能を持たないので、他生物の細胞に寄生しないと増殖出来ません。増殖にも、宿主の細胞を材料として使い、その際細胞を破壊する者が多い…」

"ヤツら"は基本的に寄生者であるため、当然宿主に死なれては困る。
事実、多くのウィルスが宿主を病気にさせる事なく、それなりに共存出来ている。

だが時にーーー
他の動物のウィルスが人間にも移れる様に突然変異したり、人間が今までにない動物との妙な関わり方をした場合ーーー

ウィルスは慣れない生物(人間)の中で、細胞を壊しすぎてしまったり、逆に人間側の免疫が過剰に現れる事で、本来の体全体の機能が保てなくなってしまう。

「これが、人間が"病気(感染症)に罹る"時のざっくりとしたメカニズムです。つまり、何が言いたいのかと言うとーーー
いかに新種のウィルスと言っても、必ず近縁のものやそれを保管する動植物がいる筈です

しかしこの『A・Eウイルス(エイリアン・エンジン・ウイルス)』にはそれが存在しない」

「……成程なぁ」
「………」
「あー………そりゃマズい事したね」

「42年前に突然現れ、20年前、その数を急激に増やしています」



「艦長のせいじゃん」

語尾にハートがつきそうな軽い口調で言いながら、小吉の肩を叩いたのはアシモフだった。

20年前、バグズ2号の乗組員だった小吉は、16名居た乗組員の中で生き残った"2名"の1人である。
20年前に急激に増えたという理由から、火星からの帰還の際、 "A・Eウイルス(エイリアン・エンジン・ウイルス)”を本人の気づかぬまま"持ち帰ってしまった"というのが考えられていた。

直後、小さな破裂音が響いた。アシモフが口にくわえていた葉巻からだ。

「口を謹め 雪国のジジイ」

鋭い目付きでアシモフを睨み付けたのは、小吉の右隣に着席していたミッシェルだった。
ジジイ呼ばわりされ一瞬青筋が浮き出るほど表情に怒りが表れたが、直ぐに気の抜けた態度に戻り、「……怒られちゃった。自分の娘と同じ位の子に。おじさん大ショック」と落ち込んだ様子を見せる。

男が咳払いをし、話を戻す。

「………いいですか。   致死率は100%

このウィルスの最大の問題点はーーー 培養が出来ないという事です」

その研究の為に火星に実際に赴き、火星の空気・砂・水、そして一面に茂っている藻類。
全てを調べ、ウィルスの有無と"その種類"を見、必要とあらば持ち帰る。これが"アネックス1号"の乗組員に課せられる任務となる。

培養が出来ないという事は、つまり、研究をする為の"サンプル"が足りないという事である。

"火星のウィルス"の"本場"で、"大量のサンプル"かーーー
もしくは"毒性の弱い近縁種"を見つけることでーーー



「"ワクチン"を造り出せるという事か」

会議が終わった直後、待機していたクラウディアはアドルフから説明を聞き、呟く。

「それで世界中の人間集めて"協力関係を結び"、火星に行くか…今までそんな仲良しこよししてきた訳じゃあないだろうに」
「実際、それぞれの国の背景では色々と揉めてるだろうよ」

缶珈琲を飲みながら、渡された資料や書類に目を通す。

今まで、無人機によるサンプル獲取は、全て失敗してきた。
何故ならーーー "ある生物"が必ず邪魔をしてくるからである。

その生物というのが、ゴキブリの事であるが、この500年間で、火星の過酷な環境により異常な進化を遂げた"ヤツら"は…
前々任の"バグズ1号"の乗組員6名と、前任の"バグズ2号"の乗組員14名を殺害している。

それが、火星の"巨大ゴキブリ"



通称ーーー   "テラフォーマー"



「…("最初に見た時"は、何の冗談だと思ったが…)」

資料に載せられていた、サンプルとして捕獲されているテラフォーマーの写真を眺め、目を細める。

約2メートル以上の体長、
筋骨隆々の体格、
頭部から首の後ろにかけて生えたパンチパーマ状の頭髪という外見からは、ゴキブリだとは到底想像はつかず、ゴキブリの形態的要素は甲皮、気門、触角、尾葉、羽くらいしか残されていない。
テラフォーマーには痛覚が無い。だが、体内構造は人間に近く、脊椎を有し脳の形状や眼球も人間そっくりになっている。

テラフォーマーを殲滅出来れば万々歳だが、それは難しい。
先ずは、ヤツらに殺されずに任務を遂行するのが第一優先事項となる。

そしてこのゴキブリ、これら自体をウィルス研究の材料として、捕獲し地球に持って帰る必要性が出る可能性があるという。

「…こんな気持ち悪い生き物持って帰らなきゃいけないとか、最悪だな」
「任務だ、仕方がない」

げんなりとした表情を浮かべるクラウディア。
地球サイズのゴキブリですら気持ち悪いというのに、火星に行けば人間のような見た目に進化し巨大化しているゴキブリを相手にしなければいけない。

「エヴァにはもう見せたか?」
「あぁ」
「怖がっていたろう」
「あぁ。…それでも、知らなければいけない」

手術を受け、乗組員になってしまった以上、彼等は火星に行き、ヤツらと
対峙しなければいけない。

そして、闘って捕獲する。

だが、手術を受けた者には戦闘向きのベースではない者も多い。主に"マーズランキング"の下位の者は、そのような者が多く、主に戦うのは"上位ランク"の者である。

「………クレア」
「?」

「お前は、何のために火星に行く?」

アドルフの問いに、飲んでいた缶珈琲から口を離し、一呼吸置いて静かに答える。

「"ワクチン"を作るためだ。それ以外に理由があるか?」
「………あぁ、そうだな」

何か言いたげだったアドルフだったが、追求はせず、クレアから目を逸らし、資料に視線を戻した。

アドルフは知っている。
本来の任務は"サンプルを獲取"し、"ワクチンを造る"事にあるが、彼女"個人"の火星に向かう理由の一つは、それだけではないとーーー

アドルフとクラウディアは義理の姉弟である。互いに生まれも育ちも違い、父親違いの姉弟であった。
アドルフの両親は、バグズ手術の失敗で死亡しており、アドルフが8歳の頃、軍に買われてM.O.手術の実験体として育った。そのため全身に怪我や火傷の痕があり、特に口元は大きな傷のため歯茎が一部露出している。

クラウディアの父親は、20年前、バグズ2号の乗組員。
テラフォーマーに殺された、乗組員中死亡した14人の内の1人であった。

仇討ちを、考えているのかどうかは分からない。彼女は自分の心情を、訓しく話したがらない。だが、クラウディアが以前、アドルフの前で少しだけ話をしてくれた。

父の行ったという、火星に行きたいと。

それがどんなに過酷な結果になろうと、父が行った火星に行き、父が教えてくれなかった事を、知りたいと。

彼女はそう、話していた。

「…そうだ、アドルフ」
「?」
「まだお前には伝えてなかったが…、上からの指示だ」

真新しい茶封筒の中から、クラウディアは2、3枚の書類を取り出し、アドルフに渡す。受け取ったアドルフは資料に目を走らせ、「どういう事だ?」と怪訝そうに呟いた。

「そのままだ。私は、お前の率いるドイツ・南米第五班ではなく、小町艦長の率いる日米合同第一班に入る事になった」
「…最初はお前も俺と同じ班だった筈だ。何故お前だけがーーー」
「確かに私はドイツ籍だが、親はドイツ人と日系アメリカ人…、特に困ることはないだろう。班が違うだけだ」
「………だが、」

"何故この直前に?"と、アドルフは眉をひそめ、訝しげに資料に目を通す。しかし所属班が変更になったのは、クラウディアだけでなく、もう一人第五班から日米合同の班に移動になっている者もいた。

「………大丈夫だアドルフ。私達の任務は変わらない。各班のバランスも見たんだろう」
「…クレ、」
「シスコンも程々になアドルフ」
「違う」

違わないだろ、と、クラウディアは少し笑った。口元は隠れていて見えなかったが、眼が笑っていた。
話をはぐらかそうとしているのは、アドルフには分かっていた。他にも何か理由はあると、薄々感付いてはいたが、それを追求したとして、上の決定となればもはや班の変更を無かったことにするには難しいだろう。

二人が対談していた所に、小吉とミッシェルが顔を出したところでその話は終わり、アドルフと話を蒸し返すことはなかった。

そして、アメリカ合衆国 ネバダ州南部
大型有人宇宙艦『アネックス1号』打ち上げ場にて、

西暦2620年 3月4日

乗組員94名
幹部乗組員5名
館長 小町小吉

大型宇宙艦『アネックス1号』
人員計100名



地球を発つ



『アネックス1号よりワシントンへ。地球の重力圏を脱出した。これより安定飛行に入る』
『了解。今のところ目立った障害物は見受けられない。そのまま自動操縦で火星に向かってくれ』

地鳴りのような強い振動と轟音を響かせ、地球を発ったアネックス1号は安定圏に入り、アネックス1号艦内に静けさが戻る。

『…あーーー、あーーー、あふん。えー、乗組員諸君…、シートベルトを外してくれ。後は火星に着くまでそちらの居住エリアで過ごしてもらう。
居住エリアは人工的に低重力を作り出してあるが、任務まで身体が鈍らないよう、毎日のトレーニングを欠かさないように』

シートベルトを外して、各々が自由に動き出す。シーラとマルコスは「おーほんとだ」と言いながら、ぴょんぴょんと軽く跳ねて確認していた。

『幹部エリアは原則的に立入り禁止だけどーーー、何か困ったことがあれば遠慮無く内線で知らせてくれ

因みに幹部の中で独身なのはミッシェルとジョセフと…そして艦長(俺)だ!!!遠慮無く…なっ!!』

いかにも小吉らしい冗談を入れ交ぜた放送に、緊張気味だった艦内の空気が少し和んだ。

「あっ、クラウディアさーん!」

一人で歩いていたクラウディアの元に、シーラとエヴァが駆け寄ってきた。
シーラとは同じ班になった事もあり、これまで訓練等を見てきた経緯から、最初はクラウディアに対して畏縮していたシーラも、大分慣れてきていた。

「今からエヴァとシャワールーム見に行くんですけど、一緒に行きませんか?」
「シャワールームか、確かに重要箇所だな。見に行くか」
「やった!」

明るい表情のシーラに少し安堵したような表情を浮かべるクラウディア。エヴァはまだ少し緊張しているようだったが、シーラと一緒にいるからか、まだ大丈夫そうだった。
他の乗組員の表情を見てみても、明るい表情、暗い表情を浮かべている人間が五分五分といったところだ。
マルコス、アレックス、膝丸の三人はすっかり打ち解けてしまったようで、この空気のなかでも馬鹿騒ぎしている。あそこまで騒げるのはある意味尊敬に値する。

39日後には、嫌でもあのテラフォーマーの居る火星に行き、40日後に来る救助船が来るまでの間、火星で過ごし、生き延びなければいけない。

「(…ある意味凄い神経だな)………ん?」
「「?」」

「クラウディアさん!!」

そこへ、一人体格の良い男が走ってきた。
金髪青目、端正な顔立ちから、シーラとエヴァは感嘆の声を漏らす。息を切らせた男はクラウディアの前まで来て立ち止まった。

「何故私は一班ではなく二班なのですか!!」
「上の決定だ文句言うな今更」
「ですが!!これでは私は貴女のお側にいられない!!」
「声でかい騒ぐな、二人が驚いてるだろ」

げんなりした表情を浮かべるクラウディアが、あまりの勢いで詰め寄ってきた男に気圧され後ろに隠れたシーラとエヴァを指差す。
男は「あ、あぁ!失礼しましたレディの前で!」と、慌てて離れ息を整える。

「私はヴィルヘルム、ヴィルヘルム・バッツドルフと申します。声を荒げてしまい申し訳ありません」
「シ、シーラです…」
「エヴァです…、あ、あの、クラウディアさんとはどういう…?」

「部下だ、私の」
「はい!」

『ヴィルヘルム・バッツドルフ』と名乗った男は、先程の勢いはどこへやったかのか、優雅に一礼し優しい笑みを浮かべ、シーラとエヴァに微笑みかけた。

ヴィルヘルムはクラウディアの居る軍と同じ所属であり、33歳とクラウディアより歳上だが、クラウディアの部下として常に側にいる。
ドイツ籍ではあるが、親はクラウディアと同じくドイツ人と日系アメリカ人であり、クラウディアと同じ様にドイツ・南米第五班ではなく、日米合同班に移動になったもう一人というのは、ヴィルヘルムの事である。

だが、クラウディアが所属する事になったのは小町艦長率いる第一班だが、ヴィルヘルムはミッシェル率いる第二班に移動になったようだ。

「二班って事は、アレックスと一緒かぁ」
「あぁ、彼ですね、あの野球が好きだという少年で…シーラさんの幼馴染みの」
「あ、はい。ヴィルヘルムさん、名前覚えてくれてるんですか?」
「えぇ、勿論、クラウディアさんと別の班になってしまったこは本っっっ当に悔やまれますが…っ!!同じ班になった方々の事はある程度は知っておかないと」
「ヴィ、ヴィルヘルムさん、クラウディアさんの事もしかして…」

「はい、大好きですよ!!」
「死ね、気持ち悪い」
「何故ですか!!」

物凄く笑顔で本人のいる前で大好きだと言い放ったヴィルヘルムに、シーラとエヴァはつられて真っ赤になるが、当のクラウディアは冷ややかな眼でヴィルヘルムを見ていた。
辛辣な言葉を投げ掛けられても特にこたえた様子を見せないことから、このやり取りは良くされているらしい。

「ところで、お三方はどちらへ?」
「シャワールームを見に行くところです」
「成程…では私はお邪魔ですね、ここで失礼致します。それではまた!後で!クラウディアさん!」

笑顔でこの場を離れるヴィルヘルムを見送り、クラウディアは小さく溜め息を吐く。

「…此処に来ても相変わらずだなあいつは、全く」

呆れの言葉を漏らすクラウディアに二人は空笑いしながら、クラウディアの手を引き、シャワールームへと向かった。



「もいっぺん言ってみろやテメェ!!」

地球を出発して20日が経過した時の事である。
乗組員が交流に使用している広いホールに怒声が響き渡った。その場にいた全員の視線が、怒鳴り声を上げた男と、その男に胸ぐらを捕まれている日系人の男に注がれる。

「「次同じ事言ったらブッ飛ばす…」…か?優しいねェ、侮辱されても一回だけなら泣き寝入りして許してくれるのかい?」

両目がオッドアイの日系人の男は、不敵な笑みを浮かべ煽るような言い方で相手を煽る。怒鳴った方の男はアメリカ人のようだ。
離れて様子を見ていた膝丸達がマルコスとシーラと同じ班の男だと気付く。

「…おっ、あの金髪の方、お前等と同じ班だよな。アメリカ人だろ?」
「皆ピリピリしてんなぁ…、無理もないけど。妊娠中の動物のごとく気が立ってるな」
「ちょっとォ…止めに入った方がよくない?」

「いやぁ悪かったよ、実際…生まれつき口が悪くてね。えぇと、どの部分が気に障ったのかな…?
「お前の親はお前と弟を家より安く売った」の部分か?それとも後の「理由は母親が、もう自分を売れなくなったから」のところ?「チンコ手術野郎」か!

あぁ、違う、「弟の方は手術で楽に死ねて良かったネ」って言ったんだった」

この言葉で完全にアメリカ人の男はぶち切れた。止めに入ろうとする膝丸だったが、マルコスとアレックスは完全にその喧嘩を煽っており止める気配がなく、シーラに怒られている。

アメリカ人の男が日系人の男に殴り掛かったときだ。
「止めろって!!」と声を張り上げ、二人の間に入った少年が代わりに顔面を思い切り殴られる。
殴った当人も間に入ってこられるとは思っていなかったのか「え…!?」と驚き、誰だか分からなかったため膝丸達は「「「誰!?」」」と叫んでいる。

「おい、五月蝿いぞお前等」

顔面を殴られ倒れる少年の身体を支えたのはクラウディアだった。「いつの間に!?」と驚く膝丸を横目に、少年を抱え上げる。

「気が立ってるのは分かるが、ピリピリしてるのはお前だけじゃない。班が違うとはいえ乗組員同士の仲違いは迷惑だ」
「…ッす、すみません…っ」

元々鋭い目付きが更に鋭さを増し、怒られた男はたまらず萎縮し頭を下げる。

「………お前、わざと煽ったな」
「…すみませんねぇ、こういう性分なもんで」

髪で隠れていない方の眼で、男を睨む。不敵な笑みを絶やさない男だったが、クラウディアから眼を一切逸らさずにいる。ピリッとした緊張感がその場に流れる。

「………クラウディアさん…?」

後ろでシーラの声が聞こえ、逸らさずにいた視線を男から外し、少年を抱えたままシーラ達の近くに歩いていく。

「シーラ、医務室行くぞ。鼻血出してるわコイツ」
「うわホントだ」
「お前等三馬鹿は説教だ。一緒に来い」

「喧嘩煽ってんじゃねぇよクソ餓鬼共」と言う言葉と同時にアレックスの頭に固い拳が落とされた。特に煽っていたのがアレックスだからだったのもある。
岩で殴られたかのような鈍い痛みと衝撃が襲い、たまらず頭を押さえ、悶絶するアレックスを見て、マルコスと膝丸は背筋を震わせた。そして呟く、「女の力じゃねぇ」と。



「ごめんね、ウチのチームメイトが…、こんな怪我させちゃって…、えっと、ロシアのーーー」
「あ、イワンっす!いやー大丈夫っすよ。自分いつもこんな感じなんで。ただのアホだって姉ちゃんにも良く言われるんすよ」

ロシア・北欧第三班所属の『イワン・ペレペルキナ』。左目周りの頬から額にかけて大きな傷跡があり、歳はシーラ達と近く、まだ16歳の少年である。
鼻血を出していたので鼻にティッシュを詰め、殴られ怪我をした所には絆創膏やガーゼが貼られた。
殴られても笑顔を浮かべるイワンに、シーラは少し笑いながら追加の絆創膏を頬に貼る。

「けど、誰にも出来る事じゃないよ。凄く勇気があるんだね」
「………」

シーラに微笑み掛けられた瞬間、イワンの頭から煙が上がり顔全体が真っ赤に染まる。まさに茹で蛸状態である。

「〜〜〜いゃあそんな人として当然のことをしたまでッスよ………」
「熱っ!!」
「おぉ!?」
「声小さいぞ」

誰から見ても分かりやすい反応に、膝丸は分かりやすいなと笑い、エヴァは「人が一目惚れするとこ初めて見た…」と頬を赤らめていた。

「だってこんな優しい子ロシアにはいません…」

それはそれで悲しい話だ。

「でもな〜〜〜イワン、シーラに恋するなら険しい戦いになるぜぇーーー?



何たってシーラの好きな人はあの艦長だからな!」

途端に空気が凍りつく。
エヴァは「それ言っちゃダメ!」という顔を膝丸に向けるが時すでに遅しで、シーラは顔を真っ赤にして膝丸を睨み、アレックスは呆れ顔。何も知らなかったマルコスとクラウディアは呆けた顔をしていた。

そこで、自分が言ってはいけないことを言ってしまったと顔を青くする膝丸だったが、もう遅い。

「い…今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」
「遅いよ!!!」

「て言うか何で知ってんだよッ!!」
「いや………前にミッシェルさんが言ってた気が………そういや何であの人は知ってたんだろ………」
「おいッ、しっかりしろマルコス!」
「べ………別に…?ウチの方が男子力高いし…」

「…シーラ、お前の好みについて言及はしないが、もし艦長がシーラが20歳になる前に手を出しそうになったら言え?艦長が犯罪者になり兼ねない」
「クラウディアさんッ!?」

真面目な顔で少しずれたところをクラウディアに心配される始末のシーラだった。



そして、地球出発から、39日が経過したーーー

緊張がピークに達し、空気が張り詰める艦内に、小町艦長からの放送が流れた。


『こちら艦長室
もうじき火星の大気圏に入る。総員二時間後にAエリアに集合する事!

装備を確認後、プランαにてーーー



火星への着陸ミッションを開始する!!』





02:長い絶望の始まりの日