シーラの故郷はグランメキシコだった。
祖国では、所謂"小金持ち"の娘だったシーラ。シーラの父は、アレックスとマルコスの親をそれぞれ雇用し、幼い頃に出会った三人は、喧嘩をしつつも仲良く遊んでいたそうだ。
しかし、長期の給料未払いを理由に従業員から暴動を起こされ、父親は自殺。親類を頼ってアメリカへと渡るが、母親は国境を横切る砂漠で死亡したとの事。
その後行き場を失ったシーラはアネックス計画に参加し、U-NASAで幼馴染みのマルコス、アレックスと再会を果たした。

「手術を受けて後悔は無いのか?」

シーラの手術が成功してからの訓練の最中、そんな事を聞いたことがある。不毛な質問だとは分かっていたが、不意に口から質問が出てきたのだ。
軍出身で、本業でも新入りの教官を勤める事があるクラウディアは、日米合同班のメンバーの訓練の教官を任されることが良くあった。その休憩中にシーラにした質問だった。
シーラは少し困ったような顔をしたが、数秒目を泳がした後、ぽつりぽつりと話し出す。

「後悔、は、多分…あると思います」
「随分あやふやだな」
「あんまり、自分でも自分の気持ちがハッキリ分からなくて」

あははと、空笑いを浮かべるシーラ。

「…此処に来て、マルコスやアレックスと会うまで、ほんとにいつ死んでも良いやって感じで…、怖くなかったんです。死ぬことが」
「………」
「でも、マルコス達が此処に来て、再会して…、途端に死ぬのが怖くなっちゃって。…手術が成功して、その死の恐怖は今のとこおさまってるんですけど…マルコス達も火星に行く事に決まって…、

私がというより、マルコス達が死んじゃったらどうしようって恐さが、強くなってしまって」

膝を抱え、顔を埋め表情を隠す。
…あの悪ガキ二人が、この娘に惹かれている理由が分かったような気がするな。面倒見が良く、人の事を良く見ている。

「恐怖を憶えるのは何も悪い事じゃない」
「えっ」
「恐怖で自分を見失っちゃもう駄目だが、お前の抱える"恐怖"は忘れるな。シーラは勇気も行動力もあるし、仲間想いだ。…だが、お前は戦闘員じゃない。マルコスやアレックスとは違う。適材適所、自分の出来ることを精一杯やれば良い。

…大丈夫だ。お前達の事は、私達上位ランクが守るよ。そのために、私達は居る」

ガシガシと、強めにシーラの頭を撫でた。「わっ!」と声を上げて驚くシーラだったが、構わず続けた。

「…さて、もうすぐ昼だが、たまには外行くか?」
「えっ!良いんですか?許可とか…」
「そんなもん後から艦長に言えば何とかなる。気晴らしも大事だ。お前みたいな若い女の子は特に」
「…クラウディアさんって、」
「29だが」
「お、大人…っ!!」

そうだろうか?と首を傾げたが、「私なんてまだまだ小娘…」と、何や落ち込んでいた。…今となれば、小町艦長の事を考えていたのかもしれない。
「他の皆も誘って良いですか?」と言うシーラに対し、「全員奢ってやるから仲の良い奴呼んでこい」と言うと、嬉しそうな顔をして走っていった。…まだ、シーラは16歳だったか。

「………」

手術を受ける者に、若い少年少女も多いのは、今に始まった事ではない。"私も"そうだった。
理由は色々だが、特に多いのは、"金を失った者"が大半を占める。後にも先にも引けなくなり、結果"此処"にやって来る。
金さえあれば、シーラは今も父と母と祖国で暮らし、マルコスやアレックス達と一緒に居られたのだろう。

「………(嗚呼、本当に…なんて、)」



ーーー残酷な世界なんだろう





「ーーーッシーラ…ッッ!!!」

シーラの胸を貫いた"ガス"は貫通し、シーラの胸元に大きな穴を開けていた。その場に膝を着き、崩れ落ちるシーラの身体を小吉が咄嗟に支える。

「ぁあ"あ"ッ!!!」

激昂したマルコスが、網の照準器を振り上げシーラを打ったテラフォーマーの頭を叩き潰した。嫌な音を立て、頭部を潰されたテラフォーマーはピクピクと痙攣しながら絶命した。

「……っシーラ…!!」

小吉がシーラの身体を支え、容態を診ようとした時、襟元をシーラに掴まれた。必死に、何かを伝えようと声を出そうとするが、呼吸すらままならず、ただ口をパクパクと動かすのみだった。

「…喋るなシーラ…!!傷が開く…」
「…シーラ…」

マルコスだけは、シーラが何を伝えようとしているのか気付いていた。

「………違うんだ……艦長……、聞いてやって下さい…



シーラは…、」



06:Lippen ohne Emotionstheorie.



「あン?日本語?」

まだアネックス1号で過ごしていた時の事。
シーラは膝丸に、日本語を教えてほしいと頼み込んでいた。

「え?嘘でしょ、まさか少しでも艦長に近付く為に…?弄らしすぎるだろお前ちょっとぉ」
「やっ、別にそういう訳じゃ…」
「何を今更」

「まぁ燈君がバラしたせいで後に退けなくなったっていうのもあるんだけどね?」
「え…あれ?怖いよエヴァちゃん…キャラちがくない?」
「良いからホラ、何て言うの?」

いつになく高圧的な笑顔を浮かべるエヴァにひきつる膝丸だったが、本人が巻いた種であるため仕方がない。自業自得だった。

「『はじめてはせんぱいってきめてます』、ほら言ってみ」
「"は…じ…"……いや待って、絶対違う気がする」
「膝丸君真面目に」
「膝丸、後でマンツーマンで訓練つけてやろうか?夜までみっちり」
「ハイスミマセンマジメニヤリマスゴメンナサイ」

少し離れてやり取りを見ていたクラウディアの言葉に膝丸は震え上がる。
一体訓練で何をされたんだ…と、エヴァとシーラの二人は息を呑んだ。

「んー、要はお前の素直な気持ちを日本男児的にグッとくる様に伝えりゃ良いんだろ。それならシンプルが一番。

艦長の目を真っ直ぐ見てーーー こう言うんだぜ」




ヒューーー…… ヒュウーーー……
言葉を伝えようと息を吸うシーラだったが、その口から言葉が紡がれる事はなく、胸に空いた風穴から空気が通る音がするのみだった。
震える手で小吉の襟を掴み、パクパクと口を動かしながら、シーラはボロボロと涙を溢しーーーそのまま、息を引き取った。

「………ーーーあぁ、…伝わったよ……シーラ………、……………すまない……!!」

シーラの死を、悲しむ暇を与えられる事はなかった。

「(このゴキブリが単体だったのは、迷い込んだからじゃない。能力持ちである事と言いコイツには、階級と役割がある…だとしたら、火星中にいるゴキブリ共は、予想以上に統率が取れている)」
「(そしてバレている

俺等が6手に分かれた事も、その位置もーーー!)」

ザッザッザッと、足音が近付く。
脱出機の周りには数十匹程のテラフォーマーが小吉達を取り囲んでいた。
そしてそれは、小吉達第一班だけではなく、他の着陸した班も同じであった。

「(……まさかゴキブリが『バグズ手術』を受けているとは…、"奪われた"か……"流された"な……。『バグズ2号(20年前)』の技術(全て)をーーー!)」

ーーーだが、

「害虫どもが一種類から"十数種類"に増えたか……?上等だよ。時代遅れの技術に頼っていやがれ」



ーーーーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

「………今回も当然受けさせているんでしょう?乗組員にはーーー通称『バグズ手術』を…!」
「えぇ…、何でしたっけ正式名称はーーー『テラフォーマーの』…じゃない『昆虫の』…」
「『テラフォーマーよ免疫寛容臓移植術』及び『骨肉細胞における昆虫のDNA配列とのハイブリット手術』の総称ですよ…とぼけないで下さい」

42年前の『バグズ1号』の調査で初めて明らかになった"火星のゴキブリ"…『テラフォーマー』の脅威…
無限に増え続け、一切の痛覚も恐怖も持たない彼等に対して、銃火器では護身にならず、逆に奪われるだけであった。

そもそも生物としての、機能と防御力(タフネス)に人間と虫ケラ程の開きがあると悟った、人類の出した答えはーーー

"彼等と同じになること"

人間を更に強力な"昆虫人間"に変身させるーーー!
そんなコミックヒーローの様な現実離れした技術を実現させたのは、"彼等"。たった500年で昆虫から知的生物までの変異を駆け抜けた種。

『火星のゴキブリ(テラフォーマー)』の、クローン作成中に見つかった、彼等だけが持つ特殊な臓器だった。

20年前の『バグズ2号』のクルー達はゴキブリに対抗すべく、実験的な意味も含めて多種多様な昆虫をベースに使った、改造人間達で構成されていたという。

或る者は『オオスズメバチ』の体力と、"毒針"を持ちーーー
或る者は『ヘッピリムシ』の"屁"である高温の化学物質を掌から放ち
また或る者はーーー『メダカハネカクシ』のようなガス噴射による高速移動を可能にしていたという。

全ては火星のゴキブリに対抗するため!!!
"奪われない武器"を身に付けるため!!!

それを   盗われた



「ーーー今回の『アネックス1号』メンバーに施した"手術"は既に、『"バグズ"手術』とは呼ばれていません…

新しい手術の名はーーー」



"人為変態" 『M.O.手術(モザイクオーガンオペレーション)!!』



「"モザイクオーガン"と言うのはーーー」
「20年前の『バグズ手術』にも使われていた、テラフォーマーの持つ"選択的免疫寛容"能力を司る臓器、『免疫寛容臓(モザイクオーガン)』の事だよね?」

「あ、博士もう一杯頂戴」と三杯目を頼もうとするゼルクに目を丸くさせる。結構なハイペースで飲んでいるというのに全く顔色が変わっていない。
「あんまり飲み過ぎは身体に悪いですよ」と七星に隣から釘を刺され、「うっ」と顔を歪めるゼルク。

「…人間の持つ免疫機能は頑なだ。実の兄弟から臓器移植を受けるだけでも、拒絶反応を示す場合があると言うのにーーー

その一方で、女性は実に"半分が赤の他人"の細胞(DNA)で造られている赤ん坊を、腹に入れたまま共存出来る。これは、広義には母親の躰が一時的に"免疫寛容"を起こしているためだとする説がある。

しかし、『火星のゴキブリ(テラフォーマー)』の世代ごとの変異具合ときたら、人間の比ではない」

昆虫は往々にして、その様な大幅変異をするがーーー
"ヤツ等"は人間並みに巨大で、複雑になりながらも、強引にそれを続けた。幾ら卵生とはいえ、正気ではない。

「"ヒトと昆虫ほどに離れたものを、母と子の様に協調させる"!!
それが『テラフォーマー』が進化の過程で身に付け、地球人(私達)が盗んだ、

『M.O.(モザイクオーガン)』」
「"それ"を先ず人体に埋め込む事で、テラフォーマーの様な昆虫人間を造り出す。それこそが『バグズ手術』…そこまでは知っている。…つまり、原理は同じでも"バグズ"と呼ばれていないと言う事はーーー」

「はい。昆虫以外も可能になっております」



"人為変態"を行う際の薬は、20年前『バグズ手術』の時は、昆虫しかベースに使われていなかったため、注射器型で統一されていた。
だが、使われた薬の型のタイプは様々だった。注射器型から、粉薬のような粉末状の物、ガムのような固形物、煙草のように煙を吸うタイプの物…など、バラバラだった。

そして、変態した彼等の見た目は、手術で得たベースの生き物の貌を模したものに変わる。

日米合同第一班乗組員の一人、『三条加奈子』は、両腕が大きな翼に変わり、ベース鳥類が鳥類である事が分かる。
他にも、腕が大きな手甲の様なもので覆われた者、腕から大きな針を出した者など、様々だ。

「……20年前からーーー

技術的には後一歩の所まで来ていた。ただ"昆虫以外"をベースに使うとなるとーーー
『バグズ手術』の目玉である筈の、"開放血管系の併用"も"強化アミロースの甲皮"も…得られないのでは?

いや、それ以前に…20年前、「大雀蜂」や「弾丸アリ(バレットアント)」ですらヤツ等に苦戦を強いられたのだ。同じ身長体重で闘うならーーー…"人間大の昆虫"以外に…人間大の"何"なら勝てると言うんだ……!!



あの"人間大のゴキブリ(テラフォーマー)"にッ!!」



ーーー充分な距離があった。
地球側の変身が完了し、攻撃態勢が整うまでの充分な間が。

ーーーが、見逃さない。火星の知的生物は、待たない。
誰もが目にした事のあるこのゴキブリの瞬発力は、直接的に人間大のスケールに直すとーーー

"一歩目"から、時速320Kmで走り出す事に相当する。

翼を広げ、飛び立とうとした加奈子を、かなりの距離を離れていた一匹のテラフォーマーが、足を掴み、捕らえたのだ。

「ジョウッ」

その一匹の後を追う様に、他のテラフォーマー達も一斉に走り出す。この足の速さは、あらゆる生物の中でーーー



最速であ『ーーー否!!』

加奈子の足を掴み捕らえていたテラフォーマーの腕を切り裂き、後を追いこちらに向かって来ていた一匹のテラフォーマーの顔面を潰したのは、マルコスだった。
同程度の大きさ(スケール)でありながら、そのゴキブリを"走って捉える"生物はいる。

例えば   "蜘蛛"



「ーーーまぁた殴り合ってたの?」

「もー、じゃあ次からは競技変えて、野球にでもしたら?」

「それで、」



「今度は、どっちが勝ったの?」




非常の事態に、気の利いた台詞など出て来ない



「………テメェ等   殺す」



『マルコス・エリングラッド・ガルシア』
出身国・グランメキシコ
16歳 ♂ 174cm 69kg

『マーズ・ランキング』9位
M.O.手術 "筋足動物型"
ーアシダカグモー






06:感情論を無くした唇