卵生の女王/リドフロ♀
「もし、お腹の子を愛する事ができないと思うなら正直にお言い。子宮ごと取り出して、お前の代わりに僕がその子と一緒に死んであげるから」妊娠が確認された日、リドルがフロイドに一番に言った言葉はこれだった。フロイドは胸が甘く小さく締め付けられるような心地がした。
ソファに座らせたフロイドに魔法で出来た首輪をつけて、その正面に膝をついたリドルが、そっと下腹を撫でる。反対の手には軽くマジカルペンが握られていて、自分の答え次第では今すぐにでもやるつもりだとフロイドには分かった。リドルの目はいつも通り、真っ直ぐ誠実にフロイドを見ていた。大丈夫、お前は死なせないよ、と腹にあった手が頬に添えられる。リドルは優秀な魔法医師だ。きっと上手くやるだろう。フロイドは安心して全てを任せられると思った。さすがアタシの金魚ちゃん。でもそれどーかと思うよ?
フロイドは常識が無い、などとよく言われるし、自分でも自身が常識的な生き物だとは思っていないが、しかしこれは自分の子どもを妊娠した女にかける言葉じゃねぇな、というのは分かった。恐らく彼なりに、親になる事、子どもを持つ事、そしてその母親がフロイドである事を真剣に考え、導いた答えが先程の問いかけなのだろう。
フロイドも彼の生い立ちについて多少は知っている。保護者達が言うには、厳しい躾という名の虐待を受けていたそうだ。生活の全てを母親に徹底的に管理された幼少期だったという。
聞いた時にそこまで興味が無かったのであまり覚えていないが、その過去が学園で出会ったあの彼を作り上げたというのなら、自分にとっては僥倖な事だと思った覚えがある。確か本人にもそう言ったような気もするが、リドルはどんな反応をしたのだったか。記憶に無いなら、そこまでフロイドの気を引くような反応ではなかったのだろう。
朧げながらも彼の家族やその関係についての話を繋ぎ合わせれば、彼が結婚や子どもについてこんな事を言い出すのも、フロイドにも理解できる部分がある。これでも陸で長く生活してきたのだ。自分の考えとリドルの考えが全く違うという事については、よく理解していた。
さてどうしようかと考えると、フロイドの頭の中に好奇心が湧いて出て来てしまった。これを言ったらどうなるのか。リドルは怒るのか、それともすぐに襲いかかって来るのか。想像できるようで、全く思い付かないような気もする。止めておこうか。ああ、でも、言ってしまいたい。フロイドは、自分で自分を止める気はちっとも無かった。
「金魚ちゃんさァ、アタシが『愛せないけど絶対産む』っつったらさ、どーすんのぉ?」
リドルの灰色の目を見て、にやにやと好戦的な笑みを向けるフロイド。美しい人魚の笑みを受けて、リドルは表情を変えずに答える。真っ直ぐで誠実な瞳だ。
「お前を殺してでも、その子と死ぬだけさ。分かっておいでだろう?」
その言葉を受けた瞬間に、彼はどうやって彼の子供と一緒に死ぬのだろうかと、様々な想像が一瞬でフロイドの脳裏を駆け巡る。場所は手術室みたいなつまらないところじゃなくて、赤い薔薇の庭園か、青い海の上が良い。どうせなら、ぷかぷかと海に浮かんで揺られている間に、リドルに自分の腹を手ずから裂いてもらい、出てきた子宮にキスをして、そして全部を飲み込んで、それから海に沈むのだ。そうやって死んでくれたら、きっと一生忘れない。きっと、多分絶対に忘れない。そうお願いしたら聞いてくれるのだろうか。彼は案外フロイドに甘いので、出来る限りで叶えてくれるだろう。
フロイドはまた胸が甘く締め付けられる心地がした。これだから、リドルの事が好きなのだ。彼を選んで良かったと、フロイドは心の底から喜ぶと同時に、双子の兄弟に感謝もした。
陸に上がってすぐの頃、適当に色々な男と遊ぼうとするフロイドにジェイドが言ったのだ。体を許すのは、『お気に入り』だけにしたほうが良いですよ。あの時の言葉を律儀に守ってきたというわけでは無いが、何となく言う通りにしようという気分だった自分を褒めてやりたい。
これで腹の子が誰の子供か分からない、なんてことになっていたら、さっきのリドルからの言葉もこの瞳もこの手の平も、自分に与えられていなかったかもしれないのだから。お腹の子にも感謝と賛辞を送らなければならないだろう。フロイドは優しく優しく、自分の下腹を撫でてあげた。
「じゃあさ、愛せるかは分かんないけど、今スッゴクこの子が可愛くて仕方ないって言ったら……どーする?」
今日初めて、リドルの表情が変わる。目を大きく開けて、すぐに言葉が出ないようだった。口をパクパクとさせる仕草が、本当の金魚のようで可愛いとフロイドは思う。なんて可愛くて、なんて愛しいのだろうか。
やがて頬をしっかりと赤くしてから、リドルはゆっくりとはっきりと口を開いた。
「……花束を、君に送ろう。ダズンローズだよ」
12本の赤い薔薇の花束。それを送るのは薔薇の王国の伝統的なプロポーズだ。学生時代にそれを教えてくれたのは、リドルだった。
「マジで!?金魚ちゃん大好き!」
「ッ!こら、妊婦が急に動くんじゃない!」
嬉しさのあまり抱き付くフロイドを、リドルは支えようとして体勢を崩す。後ろに手をついて何とか踏みとどまったようだった。
「じゃー花屋さん行こっ!」
「い、今からかい?というか二人で……?」
「何でもいーじゃんっ、早く早く!」
仕方ないな、と微かに微笑むリドルを見て、フロイドの心は満足感で満たされる。そうそう、この顔が見たかったのだ。というか、フロイドはリドルのもたらす様々な感情が好きなのだ。
笑う顔も怒る顔も、泣き腫らした顔も、全てが可愛くって仕方がない。きっと子供が産まれた時には、見た事も無いようなリドルが見られるだろうとフロイドは想像する。喜ぶのか怒るのか、それとも悲しんだりするのだろうか。薄着で出掛けようとする自分を叱るリドルの声を聞きながら、フロイドは既にこの先の何もかもが楽しみだった。
この卵の中に閉じこもった青年を外に連れ出すのはいつも自分だったとフロイドは思う。それが自分が手を引かなくても隣を歩いてくれるようになったし、いつの間にか彼はフロイドの腹の奥に卵を産み付けてしまっていた。出会った頃のリドルとは、笑ってしまうくらいかけ離れた姿だ。
きっとこれからも変わっていく。フロイドはそんなリドルに早く会いたい。だからね、殻を破って出ておいで。早く出てきてちょうだいね。
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