海のピアノ/オリキャラとフロ監♀
モストロ・ラウンジはもうすぐ閉店の時間を迎える。さっき最後の客が出て行ったから、少し早いがこのまま閉店作業をするだろう。という事は、今日はその分早く帰れるな。よっしゃ。俺は心の中で呟いてから立ち上がった。ずっとピアノの前に座っていたから、体が固まってるみたいだ。背中を逸らして凝った体を解して、立ったついでにカウンターで水を飲んで、さあ片付けますかとピアノに戻ったら、あの子が居た。
「弾いてみる?」
「……え?」
ピアノのかたわらに立ち、細い指先で鍵盤をもてあそんでいる監督生に声をかける。監督生は音を出すでも無く、象牙と黒檀で織り成された鍵盤をくすぐるように撫でていた。
「あっ、いえ。……あの、触っちゃってすみません」
怒られるとでも思ったのか、監督生は気まずそうに俺に謝った。別にそんなに気にすることじゃないのに。
「別に触るくらい、いんじゃないか?」
「そうなんですか?」
馬鹿な客にベタベタと触られれば良い気はしないが、従業員が撫でるくらい誰も咎めない。そう、監督生と呼ばれる彼女は、モストロ・ラウンジの従業員だ。最低限の衣食住しか与えられていない監督生は、常に金に困っている。何かあれば学園長からの依頼という形で見返りを得ているらしいが、普通ならそうそう問題や事件が起こるはずも無い。普通じゃないのでそこそこ問題が起こるのが、このナイトレイブンカレッジなんだけど。まあ、それでも金欠なのは変わりないので、オクタヴィネルの権力者が彼女に声をかけて、週に何度かラウンジで働いてるのだ。少し一緒に働けば、監督生が無闇に楽器を壊すようなやつじゃないことくらいは分かる。だから、ピアノを触るのなんて、なんの問題も無いはずだ。
「ああ。つか、別に俺のじゃないし、許可とかいらないから」
「そうなんですか?」
意外そうなその返しに、俺の方が意外に思った。なんだ。もしかして俺のピアノだと思ったから、勝手に触って俺に怒られるとでも思ったのか。
「俺のじゃない。……つかこんなデカいピアノ、普通の学生が私物で持ってると思うか?」
「ふっ。そっか。そうですよね」
どうやら本当に俺の物だと思っていたらしい。納得したように監督生は小さく笑うが、俺は逆に納得出来なかった。
このピアノの鍵盤は象牙と黒檀で出来ている。他の材質も金だとか宝石だとかの貴重な物ばかり。つまり高級品だ。アズールがどこかの金持ちと取引した時に、ついでに手に入れた物らしい。ラウンジの照明の下でツヤツヤと輝くそれは見るからに一流品で、初めて触った時は鳥肌が立ったものだ。足の先に施された彫刻は有名な音楽機メーカーのマークにもなっていて、少しピアノをやった事があるやつならこれのランクがすぐ分かる。一流品だけあって引き心地は最高だし、置いてるだけで見栄えもする。あのアズールが選んだのだから、当然と言えば当然なんだけど。つまりただの学生が持っている筈は無い代物だ。そもそもランクに関わらず陸のピアノは高い。というか、つまり、
「何で俺のだと思ったんだ?」
確か監督生は遠い国から来たとか言っていたから、国が違えばピアノの値段も違うのか。監督生の故郷では、大きなピアノもただの学生が所有するくらいの身近な娯楽品なのか。遠い異国への興味がさせた質問には、また意外な返しをされた。
「だって、いつも大切にしてたみたいだから」
「は?俺のこと?」
「うん。いつも先輩が綺麗にして、丁寧に弾いてたから、大切な物だと思ったんです」
「……そうか?」
何の迷いも無く俺の大切な物だと言い切る監督生。その声には下心も邪推も聞こえてこない。思ったままを言っているのが俺には分かってしまって、なんだか気恥ずかしくなる。
はじめは、アズールはこれを弾かせるつもりは無かったらしい。このピアノは置いているだけで見栄えは完璧だし、店の雰囲気にも馴染んでいる。しかもここの客はほとんどが学生だ。ピアノを聴くより友人とのお喋りをする客が大半だから、とりあえず置いておくだけだった。それが勿体無くて、たまにアズールの許可を得てピアノを弾いたり調律している間に、いつの間にかこのピアノは俺の担当みたいになってしまったのだ。だがら、俺しかいないから俺がやってるだけで、別に大切だとかそういうわけじゃない。オクタヴィネルでは俺が一番耳が良いから調律してるだけだし。だけど、他人から見ると大切にしているように写っていたと思うと、何故か気まずさと恥ずかしさを感じる。
「……あー。陸のピアノはな、繊細なの」
「そうなんですか?」
「そーなの」
気恥ずかしいのを誤魔化したくて、聞かれてもいない事を説明したら、監督生はすこし興味を持ったようだった。
「調律は定期的にしなきゃなんないし、湿気に弱いから、気を付けて見てあげなきゃ駄目なわけ」
「ここお水だらけですもんね」
「まぁ、そういうこと」
監督生は水槽に囲まれた薄暗い店を見て「お水だらけ」なんて間抜けな事を言う。間違ってはいないけど、馬鹿みたいな感想だ。
「陸の、という事は、海にもピアノがあるんですね」
「陸のとは違うけどな」
馬鹿みたいだが実はそうでも無い監督生の言う通りで、海にもピアノを真似た楽器があるのだ。
「……海のピアノはね、ここにでっかいパイプが繋がってんだよ」
そう言って俺は両手を広げて見せた。これくらいの、男が軽く腕を伸ばしたのと同じくらいの、大きくて不格好なパイプだと説明する。
「横に?」
「ああ」
「パイプですか?」
「そう」
想像がつかないのか、見るからにハテナマークを顔中に浮かべた監督生は首を傾げた。俺はピアノの側板を指差してあの辺りから繋げてんの、と説明する。
「大体は大きな巻貝を加工したやつか、金属製のラッパの先っぽみたいな形のやつね。それを、ここと魔法で繋げて、ピアノから出てくる音に魔法をかけるってわけ」
「へえー!大きい音になるんですか?」
「それもあるけど、陸と海じゃ音の聞こえ方が違うんだよ。音が届くのは早いけど、その分陸みたいに綺麗には聞こえないし」
「そうなんですね。なんだか面白そうです。見てみたい!」
波が来れば音は歪んで、魚が通れば声は潰れて届かない。だから、海の楽器のほとんどは魔法で作られている。そういう話を聞かせてあげると、監督生は楽しそうにした。
「先輩も人魚なんですね」
他にもクジラの骨でできたヴァイオリンやら、フジツボだらけのシンバルやら、格好悪い海の楽器について話していると、不意に監督生がそう聞いてきた。
「ん?あー、ここは人魚とか、海辺の国の人間が多いからな」
オクタヴィネルは海に由縁のある生徒が多く住む寮だ。その心の在り処は慈悲深き海にあると、闇の鏡に写された者が居る。
「先輩は何の人魚なんですか?」
どこにも属さない澄んだ瞳で彼女は尋ねる。その声には下心も邪推も聞こえてこない。思ったままを言っているのが俺には分かってしまった。
「さあな」
何と答えようか。そう考えている内に、俺の口は勝手にはぐらかす言葉を喋っていた。隠すようなことでも無い。ただ何となく、この素直な監督生にこちらも素直に答えるのが嫌になっただけ。
「え?内緒ですか?」
「内緒って。そこまでの話じゃないし」
「えー!気になります!」
「そんな気にすることじゃないだろ」
当然答えてくれるものだと思っていたらしい監督生が、驚きと不満を顔に浮かべる。誰にでも懐くなあと面白く思っていたら、背後からデカい足音が聞こえてきた。振り返らなくても分かる、イライラとした感情を抑える気の無い、態度のデカい歩き方だ。
「……ま、今日はこの辺で!じゃないとお前の彼氏に絞め殺されちゃうからな」
「彼氏?……あ、フロイド先輩!」
フロイドが俺の背後からズカズカと歩いて来て、俺と監督生の間に割って入ってきた。態度もデカけりゃ体もデカいフロイドが立ちはだかると、俺から監督生は少しも見えなくなる。
「……小エビちゃん、コイツと何話してたの?」
「何って……なんか、海の楽器について、色々と教えてもらいました……?」
「はあ?そんなん俺でも知ってるし!俺がいくらでも教えてあげるから!」
「あ、ありがとうございます!?」
フロイドの低い声には、怒りや不安と、監督生を怖がらせないようにと気を使った響きが聞こえる。その行動に、他に取られないようにどれだけ必死なんだと笑えてくる。つか別にそんなに威嚇しなくても何もねーよ。
「あのね小エビちゃん、コイツの話ちゃんと聞かなくていいから。テキトーなことしか言わねーから」
「ひでー言い草、俺泣きそー」
「ホントのことだろ」
「そうなんですか?」
「そんなことないよー」
フロイドの影から身を出して、「小エビちゃん」に向かってヒラヒラと手を振る。どう?こんなデカくて怖いウツボと違って親しみ易いでしょ?
「……あー、もう!帰るよ小エビちゃん!」
「ええ!?」
監督生に対して親しみやすさを演出していると、短気なウツボが監督生の手を掴んで無理矢理に歩き出してしまった。足の長いフロイドのペースに付いて行くのが大変そうな監督生は、それでも頬を赤くして引っ張られていった。
「フロイド、ちゃんと送ってってやれよー!」
「おや、帰ってしまいましたね」
「なー。閉店作業終わってないのにな」
どこから現れたのやら、近くに居たらしい短気では無い方のウツボが、二人を見送る俺の横に並んだ。
「……さっきの話、監督生さんにユニーク魔法を使ったんですか?」
「まさか。あんなどうでも良い作り話に魔法なんか使うかよ」
「ふふ、大きな貝殻の付いたピアノですか。僕も見てみたいですね」
「監督生ってけっこー馬鹿だよな」
本当のところは、海には巻貝の付いたピアノも蛸が住んでるドラムも、サメに齧られたギターも無い。音が綺麗に聴こえるように魔法がかけられているのは本当だし、陸の楽器に似せたヘンテコな楽器モドキがあるのも本当だが、さっき監督生に言った話は嘘で、全部作り話だ。
俺のユニーク魔法は、「どんな嘘でも相手に信じさせる事ができる」というもの。効果時間は相手の知能や状況によるが、どんなに頭の良いやつにも数秒くらいは信じさせる事ができる。俺と監督生の話を聞いていたジェイドは、俺が監督生にユニーク魔法を使ったと思ったらしい。けど、こんなどうでも良い事にわざわざ魔力を使うわけない。交渉や契約に有利になるらしく、よくアズールや双子とVIPルームで使うユニーク魔法だが、さっき監督生に適当に言ったみたいな子供騙しのウソに魔法なんか要らない。
「ま、今頃フロイドが小エビちゃんにネタバラシでもしてんじゃねーの?」
「きっとそうでしょうね。ふふ、監督生さんは素直ですからね……」
隣で笑うジェイドは、いつもながら感情の読めない声だ。嫌いじゃないけど、耳の良い俺にも聞き取れないその音は、少し怖く感じる時がある。それは例えば、こんな時とか。
「……ところで、貴方いつから人魚になったんです?」
声が少し低くなったのは分かる。でも怒っているのか揶揄っているのか、その声の感情は判別しにくい。
「あー。いやなんかね、勝手に人魚ってことにされちゃってね」
「嘘は付いてないと?」
「監督生にはね?」
「……ふふふ」
「あはは……」
こんなに嫌な含みのある笑い方をする奴なんて、他にいるんだろうか。意味深長なこの笑顔だけで、本心でもなんでも曝け出してしまいそうだ。
一見すると機嫌が良いジェイドと、笑って誤魔化す俺。この話は、何となくバツが悪い。居心地が良くない。何故かと言うと、俺は昔、人魚のフリして海に居た前科があるからだ。前科と言っても、元々は獣人の捨て子だった俺は人魚に拾ってもらい、その人魚が作った薬で変身していただけだ。足よりもヒレの方が海では過ごしやすいから、という理由で変身してただけなんだけど、結果的に騙したようになってしまった。そしてこの人魚はそれが気に食わないらしい。
「ああ。そういえば、明日また相談事をしにお客様がいらっしゃるそうですよ」
「え、俺明日休みじゃん……」
今思い出した、みたいな体でジェイドはそんな事を言い出した。お前こそ嘘付きだろこの野郎、なんて文句が口から出てきそう。つかそれ俺は何連勤になるわけ?
「アズールが張り切っていたので、とても有意義な契約になるのでしょうね」
「有意義な時間になるとイイネ」
「それはお客様の『勘違い』にもよるのでは?」
「支配人とリーチ兄弟が居れば、相手も緊張で『勘違い』とかするんじゃないですかね」
「それは困りました。大事な契約なので、是非お相手に『勘違い』をしてほしいとアズールが言っていたんですが……」
言葉を切って俺を見下ろしてくる目が、声と同じくらい感情が読めなくて冷たかった。海に居た頃から、何となくジェイドはやり辛かったけど、陸に出てからはもっとやり辛い。
「……休日手当は出るんだよな?」
仕方ない。俺はしがないただの寮生だから、寮長と副寮長には逆らえないのだ。特にこの怖い副寮生長にはなるべくなら逆らいたくない。ジェイドは短気では無いが、その分根に持つ性質なのだ。
「そう言って頂けると思っていました。ではアズールに知らせてくるので、後片付けをお願いしますね」
「はーいー。わかりましたあー」
そのままジェイドはVIPルームへと消えて行った。時計を見ると、とっくにいつもの時間になっていた。せっかく早く帰れるはずだったのに、監督生と話したせいで遅くなってしまった。しかも、監督生と双子の分まで仕事を押し付けられたようなもんだから、帰りは更にいつもより遅くなるだろう。
「……くだんねー嘘つくんじゃなかった」
俺はめんどくせえーと思いながら、丁寧にピアノを拭いていく。乾いた清潔な布で埃をはらい、今日も傷が無いかを確認していく。
照明の下で輝く、誰もが目を奪われる特別なピアノ。ここに在るだけで良いと、その存在を認められた美しいピアノ。明日オレが出勤してもしなくても、誰が弾いても弾かなくても、このピアノはそこに在るだけで存在を肯定されている。嘘を付いてでも生きてきた俺にとっては、その雄大さは慈悲深い海のようだった。
今のように陸に生きるのは、惨めな獣人の子供を思い出す。包帯を巻いて同情を誘い、物乞いをして生きていた哀れな子供だ。でもピアノに触れている時は、人魚になって自由に泳いでいた海の中に戻れるの気がするのだ。
大切なピアノ。確かにそうだなと思う。俺の故郷はあの冷たい海の中だと、ここに居るだけでそれは証明される。このピアノは、俺にとっての海みたいなものかもしれないと思った。
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