晴れの日/監督生
監督生のお葬式をする話初めから監督生が死んでます
初夏の日差しが晴れやかな、ナイトレイブンカレッジの卒業式。今日この良き日に、監督生の葬儀は行われることとになった。
監督生が死んだのは、今朝の事だった。日付が変わる頃に目を閉じて、それから緩やかに心音が減っていき、朝日が昇る少し前に呼吸が止まった。エース・トラッポラはずっと空を見ていたので監督生が亡くなった事に気付かずに、グリムの声で我に帰り、それから友人の死を知った。それくらい、静かな最後だった。
みんな薄々分かっていたのだ。監督生は四年前の、入学式の日にこちらの世界にやって来た。だからもし帰るのなら、きっと卒業式の日がそうだろうと。そう思っていた。
「ではこれより、ナイトレイブンカレッジオンボロ寮監督生、ユウくんの葬儀を執り行います」
オンボロ寮の手前の庭が式場だ。この学園でお葬式なんて初めてです、と言っていた学園長が式の司会を務める。と言っても様々な国や地域から生徒が集まったナイトレイブンカレッジでの式だ。ルールや慣習などは関係なく、監督生の希望を織り交ぜたシンプルなものになった。監督生の体を棺に寝かせて、お別れの挨拶をする。棺に贈り物を入れるのは監督生の故郷の習わしらしく、思い出の品なんかを入れて欲しいと言っていた。エースは思い出の品なら手元に残しておいた方が良いんじゃないかと思ったし、デュースは同じ事を口に出していた。確かにそうだなあと言う監督生は故郷の葬式を思い浮かべていたようだが、本人もそこまではっきりとしたこの手の知識は無かったらしい。ベッドに入って考えるその顔色は白かった。
「じゃあさ、贈り物をしてよ」
白くて小さい顔を笑顔でいっぱいにして、あの子はそう言った。
監督生の葬儀には、エースが思っていたよりも多くの参列者が居た。有名な大富豪に世界的な芸能人、大企業の経営者や妖精の王。他にも大勢の人が監督生の為に集まり、監督生への贈り物を棺に入れ、別れの挨拶をする。ここに居るみんなが、監督生を好きだった。エースも監督生が好きだった。あいつは魔法も使えないくせに、人に愛されるのが上手いやつだな。エースは前からそう思っていた。
「……オレ卒業式のまんま来ちゃったわ」
「あ?……ああ」
学外から来た先輩達はスーツやその国の正装で来ていたので、たった五人の卒業生の式典服は少し目立つ。こういった時、学生は制服を着るべきだっただろうか。
「俺はこれで良い。あいつは似合ってるって言ってたしな」
「あー、確かンな事言ってたな」
いつだったか、監督生がデュースの式典服を褒めていた。懐かしくは無い。懐かしく感じる程の喪失感は、未だに無かった。
「僕も、この服好きだよ」
「ま、今の俺達には一番の正装だしな」
エペルとジャックも同意して、セベクも頷いた。今日は嫌に静かな同級生を見る。泣くのを我慢してるのだろうかと覗き込んだその顔は、凛々しく監督生を見つめている。みんなに囲まれて送り出される監督生を。
「お前達、こういった式には厳かに挑むものだぞ」
「う、悪い」
「いやー、挑むって程のもんでもないでしょ」
厳しく言われて素直に謝るデュース。エースはつまらなそうに言い返すも、取り敢えずそれを最後に黙る事にした。ただ、親友を送るのに相応しい格好について、監督生にもう少し聞けば良かったと思った。
誰にとっても馴染みの無い式はスムーズに進んでいく。参列者が別れを惜しみつつ贈り物を棺に入れるだけなので、難しい事は何も無い。グリムは監督生の隣で静かに丸まっている。泣き疲れてもう騒ぐ元気も無いのだ。
入学してからの三年間は、エースはデュースもグリムも含めていつも監督生一緒だった。クラスが違っても側に居た。仲が良いといえばそれまでだし、魔法の使えない弱者である監督生が心配だったのも本当だし、友達の隣に居るのが好きだったのも事実だ。でも最後の一年は、どうしても側に居るのは難しかった。それぞれが将来へ向けて真剣に取り組む時期で、監督生も卒業してからの為に勉強に専念する筈だったから。監督生の体調が悪くなってきたのは、この頃からだ。
急に眠気が襲ってきて、何も出来ずに寝てしまうらしい。初めはベッドまで我慢出来ていたのが、教室だろうが廊下だろうが、気絶するように眠ってしまう様になっていった。段々寝ている時間が長くなり、最近では半日も起きていられなかった。それは、濃い死の匂いがする眠りだった。
原因不明。魔法や呪いの痕跡も無い。学園の教師や呪いに詳しい専門家が調べても、治療法はおろか、そもそも何が原因なのかも分からない。監督生を治す術はこの世に無い。迷宮の奥にも、草原の果てにも、海の底にも、宝物庫の片隅にも、鏡の裏側にも、怪物の腹にも、深い谷にも、この世界のどこにも、監督生を死から遠ざける方法は無かった。
監督生は自分の為に奔放する周囲に、特に何も言わなかった。自分のためにありがとうと笑う。それからお茶とお喋りに誘うのだ。学園に居られる内はエースとデュース、それからジャックやエペル、セベクまでもが、ほとんどをオンボロ寮で過ごした。後輩には研修はいいのかと笑われたし、卒業した先輩からも心配されていたが、少しでも監督生の近くに居たかった。あの頃には既に、友達が死ぬ事を理解していたから。お茶を飲んで話したり手品をみせたりゲームをしたり、眠る監督生をみんなで黙って囲んだり。遊んでいても突然寝てしまう監督生をベッドまで運ぶ。体が段々と軽くなっている事に、誰もが気づいていただろう。
そしていつからか、監督生は葬儀について話すようになった。みんなの国のお葬式ってどんななの?自らの死を意識したその質問に緊張する友達に対して、監督生は日常の会話の続きのように故郷での葬式を話した。と言っても小さい頃に親戚の葬儀に連れて行かれたくらいで、あまり記憶は無いらしい。
「みんな来てくれたら嬉しいよね」
エースの記憶の中の監督生はいつも笑っている。
参列者がそれぞれ別れを告げて、最後にエース達の順番が来た。棺に横たわる監督生と向き合う。狭い箱には薔薇や宝石や素敵な魔法が敷き詰められていて、その真ん中に目を瞑る監督生が居た。この時になって、そういえば誰も泣いていないなと思い出す。エースには泣くほどの実感が無い。生きている時にあれだけ感じていた死の匂いが、今の監督生からはしなかった。ただ眠っているだけに見える。友達の死を待つ間はあれだけ悲しかったのに、いざ死んでみると死んだ気がしない。もう少ししたら、実感と共に涙も流れるのだろうか。もう少し時間が経てばいいのに。そうしたら、友達がまた目覚めるような気がしていた。
ぎゅうぎゅうになった棺の蓋を閉めるのはエース達五人の役目だった。「石で釘打つんだよ、謎だよね」と言っていた監督生の言う通りにした。結構硬くて、最後は全部ジャックにしてもらう。何とか終われば、美しい模様の描かれた黒い棺が完成する。見た目は入学式と同じだった。
「ほれ、お前の出番だぞ」
「ウグッ、……ひっく、ウウ……」
最後はグリムの火で燃やしてね。これが一番の監督生の希望だった。モンスターを使って焼き加減の特訓をさせる程のこだわりようで、それは側から見るとなんて残酷な仕打ちだろうかと思った。しかしあのサボり癖のあるグリムが何だかんだと言う事を聞いていたので、エースの知らない内に何か話し合いがあったのだろうと思う。二人しか居なかったオンボロ寮生は、一人は死んで一人は卒業となり、この館はまた静かな時間を過ごすことになるだろう。
グリムを宥めて励まして応援して、最後は挑発してやっと棺は燃えていく。青い炎に包まれる、黒い箱の中の監督生。エースは今まさに燃えている細い体を思い浮かべる。監督生曰く、火は神聖なものなので穢れを浄化してくれるらしい。浄化される程の穢れも知らない癖に何を言うのかと思ったが、それが望みなら仕方がない。エースは青い炎を見つめて、その熱風を浴びる。あの青で焼かれていく肌を、髪を、魂を思った。
監督生の故郷では、遺体を燃やして骨だけにして、その骨を小さい壺に詰めてから埋めるらしい。珍しい方法だったが、省スペースで効率的な気もする。薔薇の王国は墓地に手間をかけ過ぎだとエースは思っていたので、何となくその埋葬を好意的に思った。
さて監督生の骨はどうするのか。墓は学園に置かせてもらえるのか。そんな事を気にする監督生に、エースはこう言った。
「それ俺が貰っても良いわけ?」
あの日、珍しく長い時間起きていた監督生は、思いがけない言葉を聞いたような顔をして、それからゆっくり笑った。
「そうだね。エースが欲しいならあげるよ」
他にも、もし欲しがる人が居たらあげようかな。そう言って監督生は急に眠そうに瞬きを繰り返す。こうして、監督生の墓はツイステットワンダーランドのあちこちに作られることになった。
骨を欲しがったのは全部で二十三名。一番大きな部分をグリムにやって、それからあの小柄な友人を骨だけにして、更に二十三で割ると、エースの両手に収まる分だけになる。小さくてつるりと丸い、蓋のついた綺麗な壺。既に監督生が入っているそれを軽く振ると、からからと軽い音がする。中身より外側のが重いんじゃねーか?そんな風に考えていると、厳しい声が掛けられた。
「こら、エース。そんなに振ったら監督生が可哀想だろう」
「寮長、じゃなくてリドル先輩」
振り向くと、スーツ姿のリドル・ローズハートが居た。彼の後ろにはトレイ・クローバーとケイト・ダイヤモンドが立っている。懐かしい面子だ。
「くれるなら貰わなきゃ!って貰ったけどさー、実際どうするんだろね、これ」
ケイトが顔の横まで壺を持ち上げてゆっくり回し見る。危なっかしいその手つきにトレイが苦笑しながら眼鏡の位置を直した。
「うちの国では、薔薇の木の下に植えるのが普通だな。それ専用の薔薇の墓地、というか庭園みたいなやつがあるんだよ」
薔薇の王国では、赤薔薇の木の下に直に埋めるのが一般的な葬いの方法だ。それを植えると表現するのが独特な言い方だった。
「あ、聞いたことある!世界一美しい墓地だっけ?観光客も入れるんだよね〜」
「それは昔の偉人とか国王の墓だな。普通のはまあ、入れない事も無いけど」
「えーなにそれめっちゃ映えそう」
行ってみたいな、と零すケイトに、トレイと見合わせたリドルが口を開く。
「ケイトも来るかい?」
「え?」
軽く言ってみた言葉に思ってもみない返しをされたケイトが、目を丸くしてリドル達を見る。
「少し調べたのだけれど、薔薇の木の下に埋葬するには書類が必要で、監督生をすぐに寝かせてあげるには時間が掛かるんだ」
「まあ、普通そうっすよね」
自分も薔薇の墓地に埋めようとして調べていたエースは、リドルの話を促した。
「それでトレイと話したんだ。うちの病院の庭に若い薔薇の木が一本あるから、そこに一緒に植えるのはどうだい?って」
「え、それって寮長が新しく開いた小児科のこと!?」
リドルの提案にケイトが何か言う前に、エースが話に食いついた。それはここ数ヶ月悩んでいた問題を解決させる、とても良いアイデアだと思ってからだ。
「ああ。よく知っておいでだね」
「ねね、それって俺も一緒に植えていーの!?」
「僕も一緒に植えたいです!」
エースと同様に悩んでいたデュースも、片手を上げてアピールする。そんな必死な二人に、リドルは落ち着きが無いね、と呆れながら柔らかく笑った。
「慌てなくても、初めからそのつもりだよ。まったく、僕を誰だとお思いだい?」
「マジで!俺どうやって植えようか悩んでたから超ラッキー!」
「僕も、最悪自分が死ぬまでとっておくつもりだった……」
騒がしい後輩に溜息を吐いてから、リドルとトレイがケイトを振り返る。
「建物の裏の方だから変に荒らされる事も無いだろうし、たまに集まってパーティーをするのも楽しそうだろう?日当たりも良いし丁度綺麗に育っているから、監督生も喜ぶだろうね」
「ほらケイト、どうするんだ」
トレイに促され、他の後輩に期待の目で見つめられながら、ケイトはオレンジの髪を触る。
「……あー、オレも、そのパーティーにお邪魔して良い感じ?」
「当たり前だろう?何を言っておいでだい?」
「パーティーの飾り付けはケイトの担当だろ」
髪を弄りながら少し照れたように聞くケイトに、リドルとトレイは当然だと肯いた。
「……だよね〜!薔薇の木が一本だけなんて、全然映えなさそうだし、けーくんが綺麗なパーティーにしてあげるからちゃんと呼んでね!」
監督生のおかげで、また一つ縁が繋がったとエースは思った。目の前でのやり取りの他にも、監督生の弔い方について、みんなが話し合っている。死んだ後も、なんて愛されるのが上手いやつなんだと思い、そうじゃないとエースは頭を振る。違う。あの子は人に愛されるのが上手いんじゃない。人を愛するのが上手いのだ。本当はずっとわかっていた。
エースが本当に怖かったのは、監督生が死ぬことでは無かった。監督生の存在が消えて、全部が無くなってしまうのが怖かった。監督生の体も魂も、あの子がもたらした何もかもが無くなって、この世界に来た事すら無くなって、最初から何も無かった事になるのが、何より恐ろしかった。だから死ぬ間際を見ていられずに外ばかり見ていたのだ。今にも、あの細い体が透けて消えて行ってしまうのではないかと思うと、とても怖かった。その内に、監督生を思うこの感情も記憶も消えて、全部が跡形も無く帰ってしまったらどうしようかと、瞬きすらできなかった。
けれど、監督生は今エースの手の中に居る。美しい白い陶器の中に入って、青い炎の熱を宿し、内側から仄かに暖かい。監督生という実存も、エースが監督生と共に過ごした四年間も、消えて無くなりはしなかった。ここにある。エースの手のひらに、綺麗に収まっている。俺の親友、俺の思い出、俺の青春。それらは青い熱でツイステットワンダーランドに在り続けるのだ。
「……うっ、……」
「……なんだ、結局お前が一番に泣き出した、じゃないかっ、」
「うるせー。ッズ、お前も、目赤いぞ」
ああ。
あの子がこの世界に居てくれて良かった。この世界で死んでくれて、本当に良かった。
エースは安心から、やっと涙を流す事ができた。
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