Everybody deserves true love/トレケイ
ケイトの先天的女体化があります魔法が使えるかどうかは、ある程度遺伝に左右されるという。これは世界的な常識で全国共通の認識であり、論文もいくつか発表されていて科学的にも裏付けされている。この常識を否定する論拠は今のところ存在していない。ミドルスクールで遺伝学と共にそれらを教わった時のケイトは、特に何も感じることは無かった。
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輝石の国の君主制が崩壊して数十年後。元王族の血が流れる人間の中で、魔法が使える少女はケイト・ダイヤモンドだけだった。陽の光を映したような赤毛に、輝く宝石の瞳。健康な体と美しい容姿、そして魔法の才能を授かった彼女は、生まれた時からその運命を決められていた。親族の中で最も血の濃い男の子供を産むという運命が。ケイトは次代に名前を繋ぐ為に生まれて、その為に生かされてきた。自由の無い日々と、型に嵌ったプリンセスとしての振る舞いを強要される人生。そんな生き方しか知らずに、自分を憐れむ事も出来なかった少女。それを不憫に思った魔法使いが少女に素敵な魔法をかけてくれた。
「お前の幸せを見つけておいで。お前だけの王子様を見つけておいで」
大叔父にそう言って送り出されたのは、彼の知り合いが理事長を務めるというナイトレイブンカレッジ。期限は卒業するまでの四年間。もしくは、彼が病に負けてこの魔法が解けるまで。戸惑いばかりの、男の子しかいない学園生活は、やがてケイトにとって掛け替えのない宝物になっていった。
そんなある日の、正午過ぎだった。
「ケイト・ダイヤモンドくん」
中庭で、仲間と昼食後の談話中。呼び出しも無く直々に学園長がケイトを尋ねた。学園長の静かな雰囲気に、ケイトは彼から告げられる言葉を理解した。
「悲しいお話ですが」
そう前置きをしてから言われたのは、大叔父の訃報と、魔法使いがかけてくれた素敵な魔法が解けて、体がすぐに女に戻るだろうということ。
「あなたの王子様は見つかりましたか?」
ケイトは後ろを振り返る。そこにはリドルや後輩と一緒にいるトレイ・クローバーが居た。この三年間ずっと隣に居た親友だ。トレイはこちらを気にしつつ、近付いて来る気配は無い。ケイトはトレイの顔を見てから、学園長へ向き直る。
「……ダメでした」
笑っているつもりだが、どうだろうか。この三年で、ケイトは好きな人を想うと勝手に笑顔になってしまう事を知った。トレイが、好きな人が教えてくれたことだ。数少ない、ケイトの心からの宝物。これを一生抱きしめて生きていけるのなら、それで良かった。覚悟は出来ている。ただ、未練が無いわけじゃ無いけれど。
「彼らには?」
学園長が静かに問いかける。
「大丈夫です。混乱させちゃうだけだし」
本心だ。しかし彼らに嘘を明かす勇気が無いのも本心だった。
「……では行きましょう。じきに魔法の効果が消えます。ここで姿が変わるのは私もダイヤモンド君も都合が悪いですから」
「はい」
荷物は後から学園長が纏めてくれるという。今持っている身分証明書は明日にでも使えなくなるのだから、体とスマホがあれば良い。随分身軽な逃避行だったな。まあ、オレの人生なんてそんなものか。
ケイトはもう一度トレイを振り返る。最後だし、最後だけでも。ケイトは好きな人へ駆け出した。驚いたトレイの顔が近付いて、抱きつくと直ぐに見えなくなった。
「っ、どうしたんだケイト」
「んー?何でも無いよ」
首に手を回して、頬の辺りに彼の肌を感じて、それだけで体を離す。自分より少し背が高くて、しっかりとした体つきの、ケイトの大切な王子様。いつも清潔にしているトレイの匂いと、お菓子の甘さが混ざってケイトの心を騒つかせる。トレイと居ると、落ち着くようで落ち着かない。ずっとそうだった。王子様に出会ってしまってから、ケイトの全部は変わったのだ。体も心も、ケイトの全部がトレイを好きだと言っている。王子様なんて望んでなかったのに、いつの間にか心にトレイが居て、ケイトの王子様にしてしまった。
本当の事を言っていたら、ここでさよならを言えただろうか。ケイトはトレイに、一国の権力者に歯向かうような事をさせたいわけじゃない。どうすれば良かったかなんて今も分からない。分からないままで、トレイを好きなままで、ケイトは学園を出て行く。御伽噺みたいに上手くいく事ばかりじゃない。まあ、オレの人生なんて、そんな感じだ。
「はは、急になんだよ。珍しいな?」
「ふふ、何でもないって!……じゃ、オレちょっと行ってくるね!」
顔を上げて、目を合わせる。お菓子作りが趣味で、みんなに優しいけどちょっとだけ意地悪で、歌が下手で、マスタード色の目をしたオレの王子様。そんな王子様に見せる最後の自分は、笑顔であって欲しかった。
廊下を歩くケイトの指先は冷たく、体を男にしてもらった時を思い出させた。あの時と同じように骨が軋み皮膚がヒリヒリと痛む。骨格から内臓から、全てが女の体に戻りつつあった。
学園長に促されるまま、鏡の前に立つ。そこにはほとんど少女になってしまったケイトが映っていた。青褪めた顔は表情が無く、悲壮感が漂っている。これが王族最後の希望を産み落とす女の顔かと、ケイトは自分自身を見つめる。明るく楽しい『けーくん』の面影なんて、サイズの合わない制服くらいだった。この鏡を潜れば、その先に待ち受けているのは三年前と同じ日々だ。運命の恋とケイトの夢は今日で終わる。少し歩くだけて全てがおしまい。
「ご家族が待っていますよ」
「はい」
この先に居る人間が本当に待っているのは、ケイトの腹だけだろう。しかしその生き方しか選べないケイトは、一歩踏み出した足を止めた。
「……っうわ、」
白いスリッポン。何の変哲も無い、大量生産されたケイト愛用の靴が、鏡の前の段差に躓いて脱げてしまっていた。
王朝復活の象徴を産む。そんな使命を受けた少女が履くには不釣り合いな靴だ。軽くて動きやすくて、ケイトをどこにだって連れて行ってくれた靴。好きな人の隣にも、この靴を履いて何度も駆けていった。
「あ……」
覚悟はしていたのだ。揺らぐはずがない。ケイトは決められた相手と結婚して子供を産む。その為に生まれてきたし、その為だけに生きてきた。十五年も自分を支えた『生きる理由』が、たった三年で揺らぐはずがなかった。
それなのに、足がさっきから動かない。故郷に帰りたいだんて、これっぽっちも思えない。あと一年、あと少しを必死に探してしまう。頭の中のトレイの顔が、ちっとも消えて無くならない。魔法と一緒にこの恋も記憶も何もかもか消えてしまえば良いのに。なんでこんなに悲しいの。もう一人の自分が自分に問いかけるが、そんなのとっくに分かっている。この恋のせいだ。自分の足が動いてくれないのは、ケイトの人生の全てを壊してしまう恋に出会ってしまったからだ。
「今ならまだ間に合いますよ」
学園長の言葉が鏡の間に響いて、ケイトは悲しみから思考を引き上げる。彼の顔は、その殆どが仮面に覆われていてよく分からない。間に合うのは、どちらの事だろうか。
「ええ」
何を肯定したのか。ケイトは口から漏れた返事と共に歩き出す。
いつからか決めていたのだ。トレイを好きになって、自分の姿が男であると理解して、そしてこの恋を諦めると決めたのだ。ぶかぶかの靴を履き直しても仕方がないから、もう置いて行こう。ひざまずいて支えてくれる王子様は、ケイトの前には現れない。ケイトはこの諦観の恋と一緒に生きていくと決めていたのだ。心は自由にしたって良いはずだ。それくらいの自由は許されるはずでしょう?その自由を得るための三年間だったんでしょう?
「さよなら、オレの王子さま」
背後から聞こえる声を振り切るように、ケイトは鏡に飛び込んだ。
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