ホソナガさんの奥様2
市場での買い物から帰ると、玄関でおばけが出迎えていた。
「うーらーめーしーやー」
突然の出来事に、ひゅっと短く息を吸い込んだ後、数刻の意識がない。目を覚ますと眼前に先程のおばけが心配そうに覗き込んでいた。
真っ白な顔に大きないくつもの青アザ、口元に血の筋があり、白い着物にも血がべとりとついている。
そこまで冷静に観察してから、私はあらためてそこにいるおばけの存在に驚愕した。
「っきゃあああああっっ!!?」
「だ、大丈夫ですか…ゲホゴホゴホゴホッ」
咳き込みながら口元にさらに新しい血の筋を作るおばけを見て、はっとなる。
非常に見覚えのある仕草。咳をするときの顔の角度。着物から覗いている鎖骨も、骨ばった白い手も。私のよく知っている―。
「悟…さん…?」
名を呼び掛けると、彼は顕著に安堵のにじんだ微笑みを浮かべた。そうだ。その笑顔こそ間違えようもない、私の夫である。
「気が付いて安心しました」
どうやら驚きのあまり意識を失っていたらしい。しかし無理もないのではないか。彼の変装好きには慣れたつもりでいたけれど、今回の変装はあまりに悪趣味だし、また妙に完成度が高い。
「驚かせてしまいすみません。ああ、血色が戻ってきましたね。良かったです」
私の体温を確かめるように彼は頬を撫でた。しかし心配する当人は蒼白のおばけ姿であるのは、なんとも言えない矛盾である。
「...またそんな変装をなさって…。今度はおばけ屋敷の潜入捜査なのですか?」
「これはですね、変装ではなくて"仮装"なのです」
彼はよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりの実に嬉々とした表情で言った。
「どう違うのでしょう」
「夏目氏に聞いたのですが、はろうぃーんと言って、西洋ではこの季節におばけや妖怪に仮装するお祭りがあるんだそうですよ」
「はろ…?まあ、それは…何とも悟さんが好きそうな」
「はい。こーんな格好で堂々と街を練り歩くというのです」
「そんな格好で練り歩いては、日本ではおまわりさんに捕まってしまいます」
こんななりでも刑事である彼がおまわりさんに捕まっては大問題だなと思いつつ、想像してなんとなく私も吹き出して笑ってしまった。
「ですからこうして自宅でひっそりと楽しもうと思ったわけです。仮装してイタズラしたりお菓子を食べたり、まあ子供の楽しむお祭りのようですが」
「お菓子ですか?まあ楽しそう」
「でしょう。貴女も仮装しては如何です」
「では、私は座敷わらしがいいですわ」
手のひらをぱちんと合わせてそう言うと、もう少し冒険したらいいのに、と悟さんは少し残念そうにした。確かに座敷わらしは、童の着物と髪型にすればよいくらいで仮装としての難易度は低い。悟さんほど振り切った仮装をするにはまだまだ勇気が足りないのだ。
けれども私が一緒に仮装することに同意したのは嬉しいらしく、彼は細い腕で私にぎゅっと抱きついた。
「貴女の座敷わらし姿もきっと愛らしいでしょうね」
「ふふ。では着替えをして、それでお菓子を頂きましょうか」
「ああその前に―」
悟さんは抱きついた身体をふと離したかと思うと、不敵ににやりと笑って見せた。
「"イタズラ"も、しなくては」
おばけの如き消え入りそうな掠れた声で、耳元で囁く。その囁きは私の全身を粟立たせたが、背筋が凍りつくことはなく、寧ろ身体の内側からぶわっと熱くなった。慣れた所作で彼の手が着物のすき間に滑り込み、あれよあれよと解けた帯が放り投げられた。
―そういう、イタズラか。いや、本来は絶対に違うのだろうけれど。
これは私自身の性癖なのか、夫の妙ちくりんな趣味や遊び心にはどうにも抗うことができない。おかしな人だなと思いつつも、愛しさが勝ってしまうのだ。
そうして裸にされた私は結局のところ、はろうぃーんとやらがどう云うものなのかよく解らないのだった。
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式日