天体観測




 いま、この状況下、彼女を自分のものにするのは容易いことのように思えた。
 あんなに恋焦がれて、そして、すっかり諦めていた彼女という存在を。




 彼女は友人・アオイの恋人で、その友人は先日とある事件で死んでしまった。
 どうしてそんな目に遭う運命を担ってしまったのかまったく納得のいかない事件だったが、とにかくもう、過ぎ去った事実だ。
 あいつは死んだ。
 彼女を遺して。
 俺も彼女もしばらくの間はずいぶん打ちひしがれて、お互いに口先だけで慰めあっていたが、少なくとも俺はこのところようやく平静を取り戻しつつある。
 彼女はというと、相変わらず、毎晩望遠鏡を覗き込んでいた。
 晴れも曇りも雨も関係なく毎晩だ。
 なぜ俺がそんなことを知りえたのかと言うと、毎晩彼女のアパートを訪れ様子を伺っていたからだ。
 だってひどく心配だった。
 きちんと見ていなければ、すぐにでも「あっち側」へ行ってしまいそうだった。


 その大きな望遠鏡はアオイがアルバイトで貯めた金で買った宝物で、俺も何度も覗かせてもらったことがある。
 肉眼で見えないような星までよく見えた。
 彼女はその望遠鏡で何を見ているのだろう。
 アオイの幻影なのか。
 楽しかった過去の思い出なのか。
 胸に描いていた未来なのか。
 毎晩、毎晩、こうして隣に座っている俺のことなど、その大きなレンズは映してくれないのか。

「もうやめな」

 俺がたまらず声を掛けると、怪訝そうに彼女は望遠鏡から目を離してようやくこちらを見た。

「そこにあいつは居ないさ」

「……っ、」

「だからもう。やめなよ」

「どうして、どうしてそんな、こと、言っ…」

 抗議の言葉を言い切らないうちに、わっと泣き崩れてしまった。
 ああ面倒くさい。そう思った。
 だって彼女はこうして俺の胸にすがってくる。抱きしめてしまえばいいのに、友人の顔がちらつくんだ。


 よし、その望遠鏡は売ってしまおう、明日にでも。売ったお金でぱぁっと飲み食いしようぜ。
 ねぇ何もかも。あいつの遺したカタチある全て。一回消してみよう。


 そんな思ってもいないセリフがつらつら言えるほどの度胸があれば良かったのだけど。
 死んでしまったあいつが憎い。
 あいつだったから、諦めた。
 あいつを選んだキミだから、もっともっと好きになった。
 別の第三者よりもほんのちょっと近くに居られた。それで満足だったのに。
 アオイの居ないこの状況下、彼女を自分のものにするのは容易いことのように思えたし、又、それは自分の宿命でもあるような気さえしていた。
 今、ただ抱きしめればいい。
 さあ、深呼吸。

「法介くん、」

 ひとしきり泣きじゃくった彼女が顔をあげ、ぐしゃぐしゃになった目で俺を見る。
 (ああ、彼女のレンズは曇りきってる)

「うん?」

「また明日も、来て、くれる…?」

「………勿論」



 俺はさっきの深呼吸と同時にひらきかけた手のひらを、再びぎゅっと握り締めた。
 彼女はほっとしたような顔つきで、悲しく笑った。



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