ホソナガさんの奥様1
主人とはお見合いでの結婚だった。
線の細いひょろりとした体躯、病弱そうな白い肌、咳き込む姿。
どれも私の思い描く理想の男性とは違ったけれど、笑顔がとても優しい人で、こんな風に微笑む人ならばと一緒になった。
まさか、こんな人だと思わずに。
「悟さん!?」
愛らしい亀さんを頭に乗せた水着姿の主人が鏡の前に立っている。そんな珍妙な姿でありながら極真剣な顔つきで何やらあれこれと思案しているのを目の当たりにした私は卒倒しそうになり、足元が揺らいだ。彼はすかさず私の背を片腕で支え、おや大丈夫ですかと他人事のように声をかけた。
覗きこむ瞳はやっぱり優しくて、顔と顔の距離の近さもあって心臓がどくんと大きく鼓動した。
「その珍妙なお姿は...また、潜入捜査?」
「いいえ、今日はそんな危険な任務ではありません。ちょいと殺人犯の護衛で海水浴へ同行するのです」
殺人犯と行動を共にするというのは充分危険と言える任務ではないかと思ったけれど、きらりと光る白い歯を見せてそう言われてしまえば何も言えない。それより何よりその格好が問題なのであって。
彼、細長悟は帝都警察の刑事部長という身分である。この年齢でその役職に就くというのは中々ないことらしく、刑事として有能な人物であることは間違いないようなのだが。こんな人だったとは、と私を困惑させるのは彼のこの変装癖。とにかく変装をした潜入捜査への情熱が異常なのである。
「前の、水兵さんので宜しかったのでは」
「水兵さんは浜辺でちゃぷちゃぷしないのですよ」
「はあ...」
「場所と状況に適した変装。カンペキだと思いませんか!」
それをカンペキと言うのかどうか私には解らない。一つ確実に言えるのは、夫になった人は大層変わり者であるということ。けれどもどうしても憎めない不思議。
「すべては帝都の平和のため。ひいては貴女の暮らしをお守りするためにございますよ」
「悟さん...」
「おや、先日新調した帯ですね。よくお似合いだ。貴女はどんなお色も美しく着こなす」
こんな歯の浮くようなことを真剣に、そしてあの笑顔を添えて言われると頬を染めずにいられない。たとえ頭上に亀さんを乗せていても、だ。彼以上に、私もまたどうかしているのかもしれない。
「悟さんも。亀さんがその様にお似合いになる刑事様はあなただけですわ」
「光栄です」
決して光栄ではないと思う。けれども彼は心からそう思っており、そんな素直さと正義感に溢れる彼を夫に持ったことを私は光栄に思った。人々の暮らしを守る。正義を貫く。手法が変装であっても、志の素晴らしさが勝っていた。
「どうかくれぐれも、いとしい夫の御身に危険なことのありませんように」
私がそう告げると、今度は彼の方が頬を染める。肌の色が白いので、なんとも愛らしい薄桃色の頬になる。
「ッゲホゴホゴホゴホ...!!」
「ま、まあ。大丈夫でいらっしゃいますか」
「ゲホ...いや何、貴女がその様にいじらしいことを仰るから...」
口許の血を拭う私の手を悟さんはやさしく捕まえて、指を絡めるように握り締めた。
近づく顔に視界を遮られ、私は目を閉じた。
口付けを待って息を止める。
─ちゅ。
唇ではなく、額に、触れる。いつもの彼のそれよりもひんやりと冷たい感触。
おや、と目を開けたそこに居たのは彼の頭上の亀さんである。つぶらな瞳でぎょろりと私を見つめている。
「きゃっ!」
「失礼。仕事前に、歯止めがきかなくなってはいけないので、今はこれにてお許しを」
続きは今宵、と言う約束に期待して、私は珍妙なる愛しき主人を今日も職務へと見送るのであった。
(過去拍手)
SHORT
式日