03*一柳弓彦と彼女の午睡
いつだって検事局は、殺伐としている。
―サツバツという言葉を、実はつい最近覚えた。教えてくれたのは秋野そら子だ。
コートの裾を颯爽と翻して歩く検事や刑事の後ろ姿を見て、「今日も検事局は殺伐としている」と秋野は他人事のように呟いたのだ。
頭上にクエスチョンマークを乗っけたオレを見て、彼女は吐息まじりに笑ったあと、「殺すに討伐のバツ、とかいて書いてサツバツだよ」とわざわざポケットのメモ帳を取り出してそこに漢字を書いてくれた。
迷い無く走るペンに、彼女の聡明さが滲む。
以前の自分ならば笑われたうえにご丁寧に漢字まで書いて見せられたときたら、バカにするなと噛みついているところだろう。
そういう意味では、自分は随分大人になったように思う。
自分自身の無知を受け入れると、素直になれて、呼吸がらくになった。
知らなければ、知る努力をすれば良い。
「ずいぶんケッタイな字面だな」
「そうだね。殺気立ってるって意味だから」
「ふーん」
検事局は殺伐としている。
言い換えると、検事局は殺気立っている。
それはそうだろうな、と言葉の意味を理解したうえで納得した。
殺伐としているに決まってる。
ここはファミレスでもカラオケでも漫画喫茶でもない。れっきとした、泣く子も黙る、検事局なのだから。
そしてオレはれっきとした、泣く子も黙る、検事さま...のはずなのだが。
普段仕事中は検事たちに対して敬語を崩さない秋野だが、オレに対しては違っていて、くだけたタメ口で話す。
それは決して(いや、たぶん)オレのことをバカにしているわけじゃなくて、オレたちが昔馴染みだからだ。
小学校の同窓生で、一緒に学級委員長と副委員長をした仲でもある。もちろん委員長がオレで、副委員長が秋野だということは言うまでもないだろう。
とにかくそういった関係で、態度や言葉はくだけていても、彼女はきっとある種の威厳をこのオレに感じているであろうことは推察するに難くない、わけである。
しかしどうだろう。
今まさに目の前でこの女はうつらうつらと居眠りを始めるところだ。
ファミレスかカラオケか漫画喫茶とでも勘違いしているのだろうか。
「ひとの部屋で寝るなよっ」
「だってゆみ君...一柳検事、ぜんっぜん書類書き終わる気配無いじゃない。それ受け取らないと私だって事務室に戻れないの」
「う、」
それを言われると、ぐうの音も出なくて悔しい。
確かに総務に提出する書類に手間取って彼女の職務をさまたげているのはオレの方だった。
ちなみに書類というのは、いわゆる始末書である。
(オレとしたことが)この半年で3度もIDカードを紛失してしまい、検事局の規定によりそれを書かされることとなってしまった。
どう書いていいのか分からなかったので「ごめんなさい。もうしません。一柳」と書いたところ書き直しを命じられ、現在に至る。
「あぁ...本当に、眠い...」
秋野は無防備にソファの肘掛けに頭を預けた。
とろん、と瞼が溶け落ちてしまいそうだ。
疲れているのだろうか、化粧の下のクマが見てわかる。
秋野の所属する総務...事務室という場所がいつでも何かに追われるような忙しさだということはなんとなく知っている。室長が無能だということも彼女のこぼす愚痴から聞いて知った。
多くはないスタッフの中で室長と呼ばれる人間が無能だというならば、恐らく事務室の業務を実質仕切っているのは、彼女なのであろう。
「事務室も殺伐としてる、ってか」
「うん...でも、ゆみ君の部屋は違うね」
「ゆみ君はやめろ」
「ごめん。一柳検事。でもこの部屋は気が抜けちゃうんだ。やさしくて、とっても癒される、」
キミの匂いが懐かしいんだ。と彼女は宙に向かって呟いた。
本当に、ずっと昔を懐かしむように。
「働きすぎじゃないのか」
「そうだと思う。でも仕事は好きだよ。...御剣さんの役に立てれば、尚さら」
「...まだ好きなんだ。あの人のこと」
「そういう色めいた言葉で言ってほしくない」
表情は変えずに、でも嫌悪感たっぷりの声色で秋野はそう吐き捨てる。
透明でまっすぐだけれど、尖っていて、とても脆い声色。
ああこれは病気だ、と思った。
好きだという言葉以外にどう表現したらいいのだろう。
もっとそれっぽい、ムズカシイ言葉があるのかもしれないが、オレの頭の中の辞書を引いてみてもそれらしき単語は見当たらなかった。
語彙力の問題か?
いや、あえてこれは、好きだという言葉以外に一切表現ができないとオレは断言したい。
小難しい言葉で誤魔化すなよ、と言ってやりたかった。
素直になるということをオレに気付かせてくれたのは、他ならぬ、オマエの大好きな御剣氏だぜ、と教えてやりたかった。
オレはペンを投げた。
なんだか妙にやるせないし、こんな会話をしながら反省文なんて書けようはずもない。
「休憩してもいいか?」
「んー?」
秋野は離れがたそうにクッションを抱きしめ、ソファとのシンクロ率を増す。
人とソファとはこんなにも一体化できるのかと思えるようなこの姿を、彼女に執心している牙琉響也が見たらどうするだろう。
オレはあいつに殺されるかもしれない。
殺されるくらいなら、いっそのことこのままの状況で牙琉に引き渡してやってもいい。
ああいう軽そうな男と付き合ってみるのも、彼女にとってそう悪いことではないように思える。
今みたいに、思い人を神格化して、身勝手に苦しんでいるよりはずっと健康的だ。
「そうだね、じゃあ、外にコーヒーでも飲みに行こうか」
そう言いながらようやくソファから身体を起こしたので、どうやら牙琉に引き渡さずには済んだ。
言うが早く彼女はひらりと立ち上がって部屋を出ようとするのでオレも慌ててジャケットを羽織ってその背中を追ったが、ちょうど扉を開けたところで彼女が急に立ち止まり、身体が勢いよくぶつかってしまった。
「わわっ、おい、何して...!」
「.........」
「...あっ、」
扉を開け彼女が立ち止まった、その先に、例のその人が立っていた。
いや、たまたまこの執務室の前を通りがかっただけだろう。
足早に通りすぎんというところでオレの声が挙がったため、こちらの存在に気付いたようだった。
「お、お疲れ様です」
「うム。お疲れ様」
低い声でそう言うと御剣検事は一瞬だけ止めた歩みを再び踏み出して、オレ達に背を向けた。
数メートル離れたところでふ、ともう一度だけ振り向く。
「ああ、そら子君」
名前を呼ばれ、は、と秋野が息を呑むのがごく小さく聞こえた。
下の名前で呼ぶのか...と少しだけ意外に思う。
「この前インポートで手配してくれたインク、とても良かった。ありがとう。またお願いしたい」
御剣検事は、いつも深く刻んでいる眉間のシワをゆるめ、ふわ、と微笑みかけた。
「...はい」
秋野はそのたった一言だけ返事をして、去っていくその人の背中を、廊下の角を曲がって見えなくなるまでずっと目で追っていた。
頬が赤く染まるのを、隠すこともできず。
「おい!」
「えっ?」
「コーヒー飲みに行くんだろーが!」
「あ、あぁ、うん」
オレが声を掛けなければそうしてしばらく立ち尽くし、偶然の鉢合わせの余韻に浸っていたことだろう。
検事局は殺伐としている。
でも、いつもって程でも無い。
昼寝をしたり、誰かを好きになったりするくらいの余地はあるみたいだ。
式日