04*狩魔冥と彼女のお伽噺


 事務窓口、と書かれたその部屋のガラス窓をコツンと叩くと、座って黙々と電卓に指を走らせていた女性が顔を挙げ、椅子から少し腰を浮かせてガラス窓を開けた。

「何か」

 壁を一枚隔てたやり取りに何とも言えない気持ち悪さを感じる。
 まるで留置所のようだと思った。
 金銭や個人情報の管理をしているためにドアを施錠していること、総務のスタッフ以外は入室禁止となっていることは私もよく理解している。
 理解はしているが、―汚ならしい事務室という名の留置所に囚われた哀れな女―
 ラプンツェルか、はたまたいばら姫か。
 私の目には、その女性がそんな風に思えてならなかった。

「ねぇ私もこの検事局に執務室が欲しいのだけど」

 事務室のラプンツェルにそう話し掛けた。

「急にそのように申されましても、狩魔検事」

 あら、一端の事務スタッフ如きが私の名を知っているのね、と思ったが、そういうことも珍しくは無い。
 私がアメリカで扱った裁判がニュースで取り上げられることもあるし、ましてや此処は狩魔豪も籍を置いていた検事局であり、さらに今となっては"御剣検事局長"の牙城。
 彼と私の繋がりの強さはこの上ない。
 そう考えると、私の顔と名が通らないほうが不自然とも言えた。

「狩魔検事は当局には籍を置かれていませんし...」

「確かに今の本拠地はアメリカよ。でも私はこちらでの実績もあるし、時々日本に帰ったときはここのバカ局長様の仕事を手伝っているわ。執務室があるほうが動きやすいの」

「.........」

 さりげなく御剣怜侍をバカ局長様、と揶揄した瞬間の彼女の表情の歪み。
 一瞬だけ眉間に力が籠められる。
 一見ポーカーフェイスのように見えるけど、この女もレイジの飼い犬か、とヒゲの刑事の顔がよぎる。
 御剣怜侍というのは不思議な男で、不器用で愛想も無いくせに周囲の人間を手なづけることには妙に長けていた。
 それは悔しいけれど私には無い、あの男の才のひとつだった。

「局長の許可が必要かと」

「あら、御剣怜侍は事務室にいる女に―貴女に訊けと言ったのよ。責任の所在が曖昧ね。これだから日本って嫌だわ」

「局長が私に訊けと?...私にはそのような権限はありません」

「ああ、まだるっこしい!」

 私は携帯電話をポケットから取りだし、通話履歴の一番上にいる男にダイヤルした。
 面倒なことは嫌い。
 私の要望がすんなりと通らないのも嫌い。
 応答は3コール以内。
 それ以上私を待たせる人間は許さない。
 彼は、いつも通りきっかり3コール目でその電話に出た。

「もしもし」

「レイジ、話がたらい回しよ。この女はアナタの許可がいると言ってるわ」

「ム...?何の話だろうか」

「執務室の話よ!昨日話したばかりじゃない。
 アナタ確かに事務室にいる女性に訊ねなければと言ったわ」

 電話越しに彼が小さく息を吸い、そして吐き出す息遣いが聞こえた。
 恐らくその数秒間で考えを巡らせたのだろう。
 この男の呼吸のタイミングまでよく知っているというのに、何故だか未だに思考が読めなくて苛つかせられることがある。

「あぁ、そのことか。本気だったのか冥」

「当然じゃない。ええと、何ていったかしらこのヒト、」

 言いながら彼女の方を見遣ると、

「秋野です」「秋野そら子君」、と窓越しの彼女と電話越しの御剣怜侍が同時に答えた。
 それがあまりに綺麗にユニゾンしたものだから、逆に頭にすんなりとは入ってこなかった。
 なにより、興味の無い相手の名前を覚えるのは本当に無駄なことだった。

「そう、そのラプンツェルよ。電話、代わりましょうか?」

「あ、いや......、許可をすると言ってくれ。キミの執務室の手配を」

「最初からそう言いなさいよ、無駄な時間を費やしたわ!」

 じゃあね、と携帯電話を耳から離そうとするその一瞬に「冥!」とレイジがそれを引き留める。

「何よ」

「そら子君に、手間を掛けさせて済まないと言っておいてくれるか」

 その一言が、ここまでの私の苛立ちを最高潮まで引き上げた。
 手間?
 済まない?
 何てバカなこと言うのかしら、この男は。
 私の要望は当然の権利だし、それに従うのも当然のことに決まっているのに、頭を下げて頼み込むなんてことはあり得ない。
 ましてや相手は一端の事務スタッフだなんて。

「私は言いたくないわ。アナタが済まないと思うなら、アナタが彼女に直接言いなさい」

 電話越しの相手に鞭を振るうこともできないのだから、私の苛立ちはどこへも行き場が無く、せめて気持ちを鎮めようと今度は確実に電話を切った。
 もしかしたらまた私の名を呼んで呼び止めたかも知れないけれど、構うものですか。

「話がついたわよ。局長の許可が降りたわ。すぐ手配して頂戴」

「わかりました。では、空き部屋の鍵を取って参りますので」

 塔の中のお姫様はやっぱり犬のように従順だった。
 あの男が宜しいと言えばその通りに尻尾を振って従う。
 依存、従属。
 弱い人間。
 嫌気がさすけれど、それでも、職務をまともにこなすのならばまだマシだろうとは思う。
 何よりあの御剣怜侍という男は、そういう健気なまでの従順さが嫌いではない。
 私はそれをよく知っている。

 彼女はデスクの上に広げていた伝票やら電卓やらをさっとまとめ、かけていた縁の細い眼鏡を外してその上に重ねて置いた。
 細かな作業をするときだけ眼鏡をかけるタイプだろうか―他人のどうでもいい所作までついつい目にとめてしまうのはもはや職業病かもしれない―と何気なくその眼鏡を見ると、なんとも言えない懐かしいような感覚が私の胸に落ちてきた。
 ふしぎな既視感。
 この女性に会ったのは確かに今日が初めてのはずだというのに。
 しかしその疑問はにわかに晴れた。
 その眼鏡は、そう、確か。

「ちょっと待ちなさい」

 事務室の奥へ鍵を取りに行こうと背を向けた彼女を、思わず呼び止めた。

「はい?」

「その眼鏡はアナタの?」

「...そうです」

「以前、まったく同じデザインのものを使っていた男を知ってるわ」

 言いながら、私の脳裏にはその眼鏡の記憶がむくむくと蘇っていた。
 デザインはシンプルで女性が使ってもおかしくはないが、シャープな印象があり、どちらかといえば男性的な好みのものだ。
 よく見知っていたそれを、この私が見間違えることはまず無いだろう。

「同じようなものがどこにでも売っています」

「サイズや度は合っているのかしらね?」

「私のものですから、それは勿論」

「嘘が下手ね。それは御剣怜侍の眼鏡だわ。以前失くしたと言っていたのをよく覚えてる。アナタ、ドロボウしたんじゃない?」

 彼女は口元をキュッと結んで、眉をひそめた。
 泣く、だろうか。
 いや多分この女は泣かない。
 追い詰められて泣くようなタイプではないだろうと、これまで多くの人間を法廷で追い詰めてきた自分の感覚でわかる。

「ちがいます、これは...この眼鏡は...」











「それは彼女の眼鏡だよ、冥」











 頭上からその声は降ってきた。
 振り向かなくてもわかる。背後には先程の電話の相手が立っていた。

「レイジ...何しに来たの」

「キミが...そら子君に...無茶な要望をしていないかと思って、な...」

 言葉の端々で、乱した呼吸を整えようとら小さく深く息を吸っている。
 まさかあの電話を切ったあと、自分の執務室から走って来たのだろうか。
 わざわざ、そんなことの為に。

「失礼ね。無茶なんて言っていないし、それにこの眼鏡、アナタのでしょう?シリアルナンバーがあったはず。調べればわかるわ」

「いや、それはそら子君のだよ。あげたのだ、彼女に」

 何か問題でも?と私に向けて憎たらしく微笑む。
 数秒間の沈黙の後、ラプンツェルは結んだ口元の力を少しだけ弛め、「鍵を取ってきます」と改めて踵を返した。
 彼女の姿が完全に視界から消えるのを見届けると、御剣怜侍は溜め息をひとつ漏らした。

「ここであまり好き勝手するな、冥」

「そうね、アナタのお城だものね。塔の中にお姫様も閉じ込めているようだし」

「閉じ込めて?」

「自覚がないのなら、あのヒトが好き好んでこの環境にいるのね。殊勝なことだわ」

「何の話を...」

「もういいわ、この話は」

 私は鞭をぴしゃりと一回だけ床に打ち付け、話を遮った。
 これ以上追及しても、自分にとって何もおもしろく無さそうだった。
 眼鏡の件もそうだ。
 いつだったか、確かに失くしたと言っていたのを私は覚えている。
 だから「あげた」という説明に全く納得がいかなかったし、嘘が透けていたが、彼がそうだと言うならば私が口を挟むことは何もない。
 恐らく、あくまで推測にすぎないけれど、これは色恋の類いの事情だ。
 くだらない。
 バカバカしい。
 口を挟んで面倒を引き起こすのはご免だわ。


 彼女が奥の続きの部屋から鍵を取って戻ってくると、レイジはどこかバツが悪そうにして「では、そら子君、宜しく頼む」とだけ言って去っていった。

「結局あのバカ、何をしに来たのかしらね」

 さあ、と彼女は曖昧に口ごもって、少し微笑んだ。
 初めて見た彼女の微笑み。
 お伽噺のお姫様のそれと違ってぎこちなく、でもそれがやけに生々しい感情をにじませていて、私の脳裏にふしぎと強く焼き付いた。





式日