窓の向こうを淡いピンクの花びらが舞った。空は、青く遠く澄んでいて、まだ若い草花の香りがした。
快晴の小春日和。
そんな今日から季節が一周まわったら、私は元の世界に戻らなくてはいけないらしい。








「ジャミル先輩!ほら、満開ですね!」

俺の隣から駆け出した彼女が、桜の下で立ち止まって、くるりとその身を翻した。
ひらひらと絶え間無く舞い落ちる桜の雨が、まるで祝祭のように彼女の上に降り注ぐ。そんな光景を嬉しそうに見上げる彼女を見ていると、こちらまで微笑ましい気持ちになるはずなのに、今日はずっと鉛でも飲み込んだかのように胸の奥が重苦しい。

「これが、この世界で見られる最後の桜かぁ」
「……まだ分からないだろう?来年の桜は早咲きかもしれない」

数日前、学園長から告げられたのは信じられない、信じたくもないような真実で、今だってまだ上手く気持ちを整理出来ずにいる。
一年後、彼女は自然と元の世界に戻ることになるらしい。まるで消えるみたいに元の世界に呼び戻されて、そしてもう二度とこの世界に来ることはないだろう。ほんの一瞬、世界と世界が交わった瞬間の歪みのような奇跡。それが、今ここにいる彼女の存在なのだという。
学園長室に呼ばれた彼女が、困ったように口にした言葉を、まるで余命の宣告でもされる気持ちで聞いていた。いや、あながちそれで間違ってはいないのかもしれない。あと一年、それが俺と彼女に許された恋の余命だった。

「ジャミル先輩?」
「……ああ、何か言ったか?」

ぼーっと思考に耽っている間に、俺に何か話しかけていたらしい彼女が、怒ったようにむすっと頬を膨らませている。

「また、私が帰ること考えていたんですか?」
「君だって、昨日まではあんなにへこんでいたじゃないか。それが、またどうして急にそんなに元気になって」

そう、昨日までの彼女はオンボロ寮の自室に引きこもって、授業も休んで泣いてばかりいたのだ。それが今朝、急に「天気がいいから、散歩に行きましょう!」と俺の部屋に飛び込んで来た。
何かが吹っ切れたような顔で笑いながら、だけどその目は痛々しいくらいに泣き腫らして、真っ赤に充血していた。そんな姿を見たら何も言葉が出なくて、ただ手を引かれるようにこうして学園内の桜並木までやって来ている。

「うーん、たくさん泣いて色々考えたんですけど、こんなことしてたら時間がもったいないなって」
「もったいない?」

彼女の言葉の意味がわからなくて眉を顰めると、少し照れたようなはにかんだ微笑みを返される。

「だって、本当だったら私って突然いなくなってたかもしれないじゃないですか。それならまだ、こうして一年間も猶予がもらえただけラッキーなのかなって」

ラッキー、その言葉を肯定すればいいのかも、否定すればいいのかも分からず口を噤む。確かに、勝手に消えられるよりは救われた。
だけど、俺が彼女と思い描いていた未来はそんな一年よりずっと長かったのだ。春も夏も秋も冬も、これから先、もう何度だって彼女と過ごしていくのだと思っていた。
一年も、そう言った彼女の言葉に、気づかれないように奥歯を噛み締める。だけど、それが彼女の本意でもないことくらいわかっている。
強がりでもそうやって言える彼女のことを、そんな勇気もない俺はどうやって抱きしめたらいいんだろうか。

「ジャミル先輩、桜の花言葉を知っていますか」
「またか、本当に君は花が好きだな」
「ふふふ、私の夢ですから」

俺の気持ちを知ってから知らずか、まだ赤みの引かない瞳で彼女は笑う。将来はフラワーコーディネーターになりたいのだと言う彼女は、何かとよく花の話をする。
今も風に揺られてはその花を散らす桜を見上げながら想像してみるけれど、まるで何も浮かばなくて、降参とでも言うように肩を竦める。

「桜はね、精神美とか純潔とかなんですよ」
「へえ、まあ確かに似合う気はするな」

そう頷くと、彼女はまだ何か隠しているように勿体ぶった笑いを零す。

「だけど場所によっても色々あって、それは来年の春に教えますね」







(春、桜が咲いた)








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