「ほら、早く起きるって言ったのは誰だ」

身体を包んでいたタオルケットを、無慈悲にもばさりと奪われて小さな悲鳴をあげる。
重たい瞼を開くと呆れた顔をしたジャミル先輩が私を見下ろしている。ぼんやりとした頭で部屋を見渡す。
色の鮮やかな調度品たち、空の青い窓の向こうの景色。

「そっか、今日はスカラビアでしたね」
「そうだ。そして、今日は朝早くから出掛けるんだろう?」

瞼をこすりながらスマホで時間を確認すると、まだ早朝。やっと朝が動き出したような時間だ。こんな時間から私は何をしようとしていたんだっけ。まだ眠い頭でなんとか記憶を辿ってみると、ハッと昨日の会話を思い出す。

「あっ、蓮の花を見に行くんだ!」
「やっと起きたか、おはよう」
「おはようございます、ジャミル先輩!」

蓮の花は午後には閉じてしまうから、朝早くから出掛けると意気込んでいたのだ。いそいそとベッドから起き出して、顔を洗い、歯を磨きにいくための準備をする。
元の世界に帰るまでの余命宣告。ジャミル先輩がそう呼ぶあの日から、私たちは自然とどちらかの部屋で過ごすのが当たり前となっていた。
空いている時間をべったりと共に過ごす私たちにも、周りは割と同情的で、あと少しで引き裂かれる運命の哀れな恋人同士と思われていることにも最近はすっかり慣れた。
当然、これでお別れとなってしまうのはジャミル先輩だけではなくて、グリムやエース、デュースたちを含めた全員なのだとは十分すぎるほど分かっている。
それでも、「俺たちはどうせ学校にいる間、ずっといるから」と言ってくれる友人たちの言葉は、憐れみではなく純粋な優しさであることが伝わってきて素直に嬉しく思っている。

「あ、ここで監督生の豆知識タイムです」
「蓮の花の?」

はたと手を止めてそう声を上げると、魔法で髪を結っていたジャミル先輩が私の方を見る。

「そうです!蓮の花はね、千年以上の時を超えることができるんですよ」
「どういうことだ?」

予想通り訝しげなジャミル先輩の反応に、なんだか得意な気分になってフフンと鼻を鳴らす。頭の中には、大輪の蓮の花が悠久の時を超えて花開く瞬間を思い描く。

「千年以上昔の種でもね、大切に育てれば花を開かせるんです」
「へえ、千年は確かに凄いな」

その時間は私にはとても想像もつかないような果てしなさだ。そんな膨大な時間を前にしたら、私の人生なんてあまりにも儚くて、その中でジャミル先輩と一緒に過ごした時間なんて無かったようなものなのかもしれない。
それでも、私たちは確かに出会ったし、恋に落ちた。こんなにも離れることが悲しいのに、それでも愛し合うしか出来ずにここにいる。

「ジャミル先輩、私の想いだって種に出来たら千年だろうと一億年だろうと、花を咲かせてみせますよ」
「……何をバカなこと言ってるんだ」

呆れたように笑いながら、ジャミル先輩は少しだけつらそうに顔を歪めた。
そんな魔法があったらいいのに。今度、先生の誰かに聞いてみようか。想いを抽出して種にする魔法。それを、私とジャミル先輩で交換してお互いの世界に撒くのだ。離れても、一生会えなくても、大事に大事にその種を育てて生きていく。いつか、とびきり綺麗な花が開くことを夢に見ながら。

「あれ、もしかしてお弁当ですか?」

そこでふと、机の上に置かれた見慣れないカゴに気付いた。

「ああ、簡単なものだけどな。池に着いたら食べよう」
「やったー!楽しみ!」
「じゃあ、さっさと顔を洗ってこい」
「はーい」

るんるんと鼻歌を歌いながら部屋を出る。
廊下の窓から見える青く色の濃い空。あんなに満開だった桜の花は、もうとっくに青々とした葉に変わっている。
強い日差しが降り注いで、真っ白な入道雲が空に浮かぶ。この世界で過ごす最後の夏は、今までで一番の猛暑らしい。






(夏、蓮の花が開く)




back : top