珍しく予定通りに回ってきた休日。家でゆっくりしているつもりだったけど、どうにも落ち着かなくて、こうして出かけてしまっている。デパート内を何を探すでもなく歩きながら、ふわりと揺れるスカートの裾を見ていると少しだけ気持ちが回復してくるような気がした。

あれから、萩原さんと話す機会は何度もあったけれど、向こうから松田さんの話題に触れてくることはほとんどなくなった。その気遣いに甘えながら二人で飲みに行ったときに、ぼそりと「萩原さんのことを好きになろうかな」なんて言ったら本気で「マジでやめて」と拒否されたことに傷ついたりしたことはあったけど。

松田さんとも相変わらずで、直接顔を合わすことはないけれど、定期的に連絡だけは取り合っている。くだらない近況報告が主な内容だけど、時々送られる飲み行こうという誘いはテキトーな理由をつけて断ってきた。

これから一体、松田さんとどんな距離で付き合っていくべきなのか。このまま、ゆっくりとこの想いを忘れていければ、また元の先輩後輩として仲良く出来るかもしれない。だけど、そのうちにまた恋をしてしまう。そんな確信にも近い予感がある。
だから結局、前にも後ろにも動き出せないまま、こんな付かず離れずの距離を保つのに必死になっているのだ。

「あー、参ったなぁ」

独りごちに呟いてみたとき、周りの空気がざわりと大きく変わった。張り詰める緊張感とどよめき。

「……え?」

前方から押し寄せてきた人の波に流されないように踏みとどまって様子を伺う。途中で「爆弾だ」という悲鳴に近い声が聞こえると、ほとんど反射的に走り出していた。ああ、まったく、せっかくの休みなのに、なんて喉の奥まで出かかった悪態は無理やり飲み込んだ。










騒ぎの元へと駆けつけると、ここの従業員と思われる男性が階段近くのベンチ横に置かれた紙袋の中を覗こうとしているところだった。

「離れて!」

慌てて声をかければ、驚いた男性が仰け反るようにこちらを見た。駆け寄って彼を制止する。
このデパート内には入っていないはずの店の紙袋。隠すわけでもなく堂々と、あたかも中を覗いてくれとばかりに置かれた様子から、イタズラ……そして、罠の文字が頭を過ぎる。

「警察です。確認は私がするので、とにかくお客さんの避難を優先してください」
「あっ……はい!」

紙袋の隣に膝をついて、ゆっくりと中を覗き込む。そして思わず舌打ちが漏れた。
カバンからスマホを取り出して、状況を報告するために電話をかける。そのとき、ふと手が止まった。まず最初に思い浮かべてしまったあの顔。違う。あの人はもう、今頼るべき人ではなくなったのだから。
改めて指を動かして番号を呼び出す。

「もしもし、萩原さん」
『おー、なまえちゃん。どうした、今日は休みだろ?』
「それが、休みじゃなくなっちゃって」
『……は?』
「爆弾です」

電話の向こうから息を飲む音が聞こえる。
数秒の間の後、いつもの軽い調子から声色を変えた萩原さんが場所や爆弾について一つ一つ尋ねてくる。それに答えながら、冷静なつもりでいたけど、自分が思っていたよりも気が立っていたことに気がつく。
それもそうだ。ここは大勢の人間が集まるモール内の一角で、今の私は防護服すら身につけていない。真新しいスカートとチクタクと刻まれた時を減らしていく機械仕掛けの塊があまりに不釣り合いで、いっそ笑えてきてしまう。

『……残り時間は?』
「あと十五分です」

電話越しにも伝わる緊張感。言葉にされるまでもなく萩原さんが何に迷っているかなんて分かりきっている。十五分。今すぐ萩原さんたちが向かったところで、このデパートへとやってくるのが精々で解除する時間なんてあるはずもない。
だからといって避難を優先しようにも、場所もタイミングも悪い。このデパートの階段はここ一つ。エレベーターはあるものの、あまり大きなものではなく、こんな状況ではあまり動かしたくない。しかも最上階では季節のイベントを行っているせいで人が多く、エスカレーターだけでは思うように避難が進んでいないのが見て取れる。

他に爆弾が仕掛けられていないか、犯人は近くにいるのか。何も分からないこの状況で上の階に多くの人が取り残されることは避けなければいけない。だからそう、今ひとつだけ運が良かったことがあるとすれば、ここにいるのが爆発物処理班に所属する女だということだ。

「大丈夫です。そう難しいトラップはなさそうですし、手持ちの工具だけでいけそうです」
『……出来るんだな』
「そうですね、時間切れ以外で爆発させるようなヘマはしないつもりです」

わざと明るい調子で笑って見せれば「こんなときに茶化すなよ」と、萩原さんらしくない厳しい声音が返ってくる。それだけ心配されているのだと思いつつも、はっきりと大丈夫だと約束できるほどの自信は持ち合わせてはいない。だから、今言えることはこれだけだ。

「精一杯、やるつもりです」
『……なまえちゃんの腕は確かだよ。俺が保証する。だけど、無理だと思ったら離れていい』
「はい」

ピッと通話の切れる音を聞いてから、深く息を吐き出して鞄から小さな工具セットを取り出す。
松田さんの真似をして持ち歩くようになったコレが、まさか本当に役に立つ時が来るとはな、なんて場違いな感傷。そんなことを考えられる余裕があるなら大丈夫だと自分を鼓舞して、ゆっくりと破いた紙袋から現れた爆弾へと手を伸ばす。

いつもとは違う緊張感。このコードを切った責任は全て自分に降りかかる。どれだけの爆弾を解除したって、死と隣り合わせのこの状況に慣れることなんてありはしないだろう。それでも、ひとりの警察官としての誇りがこの恐怖から逃げることは許してはくれない。








半分ほどの作業を終えて、一度肩の力を抜く。冷房のよく効いた館内にも関わらず首筋には汗の粒が伝っているのが分かる。
そのとき、背後で立ち止まった人の気配を感じて振り返る。そして思わず息を飲んだ。

「……ま、つださん。なんでここに」
「ハギから連絡が来た。近くにいたから慌ててきたんだよ。続きは俺がやるから場所変われ」

わずかに上下する肩が、確かに急いでここまで来たのだろうということを物語っている。スーツの上着を脱ぎながら自前の工具を取り出す松田さんを見て、ぎゅっと唇を噛み締めた。

「駄目です」
「は? こんなときに何言って……」
「これはもう、私の仕事です」

松田さんを見据えたままはっきりと口にした言葉。頭では、ここは松田さんに任せた方が確実だということも、変な意地を張っている場合じゃないということも分かっているのに、今ここで頼ってしまったらもう一人で歩いていくことは出来ないような気がしてしまった。

数秒間、沈黙のまま見つめあった後、先に目を逸らしたのは松田さんの方だった。

「……わかった。お前がやれ」
「はい、だから松田さんは……」
「ここにいる」
「えっ」

お客さんの避難を、と伝えようとした声を遮られ言葉を失う。そんな私を見透かしたように薄く唇を歪めた松田さんがサングラスを外す。

「どうした? 自分の仕事だっつーなら、しっかりやり遂げろ」
「……やり遂げますから、邪魔しないでくださいよ」
「誰がするかよ」

壁に凭れるように移動した松田さんから目を逸らして、改めて爆弾と向き合う。松田さんが傍にいる。これを爆発させてしまえば、犠牲になるのは私だけではなくなった。
だけどそれは、プレッシャーよりもずっと安心感へと繋がる。一緒に死んでくれるつもりでここにいてくれてるのではない。私なら出来ると信じてくれたから、ただそこにいてくれるのだ。それなら私は、その期待に応えなくてはいけない。











「……間に合ったぁ」

完全に動きを止めたモニターと断ち切られた様々なコード。それらから顔を上げて、空気が漏れ出すように呟く。
それを聞いていた松田さんが、カツカツと靴音を鳴らして私の背後に立ち、乱暴に頭を撫でた。

「よくやった」

その笑顔も、こうして触れられるのも、まるで昔に戻ったみたいだ。そう思ったら急に嬉しさと切なさがごちゃ混ぜになった複雑な気持ちが込み上げる。
そんな私のことなどお構いなしに、松田さんはポケットから取り出した携帯を耳に当てる。

「ハギ。もう着くか? ……ああ、今終わったとこだ。コイツは俺が連れて帰るから、いいな」

萩原さんとらしい短い通話。だけど、その内容に面食らう。

「え、帰るって、でも私……」
「うるせえ、こんなことになったからには報告なりで休みも返上だろ。それに、ここにはこれ以上そんな格好で出来ることはねぇよ」

確かにこれから来る面々の中で、明らかにお出かけモードな私服姿の私は場違いだろう。だからといって松田さんと帰る必要だってないはずだ。
だけど、そんなこと告げる隙も与えないとばかりに掴まれた腕に何も言えなくなる。

「散々逃げたんだ、大人しく捕まっとけ」
「……逃げて、なんて」
「ハギとはしょっちゅう飲みに行くくせに、なんで俺の時は毎回断んだよ」
「……たまたまですよ。偶然、松田さんから誘われる日は予定が入ってることが続いているだけで」
「偶然もこんだけ続きゃワザとだろ」

じっと見つめてくる瞳から思わず目を逸らしてしまってから、こんな反応したら事実だと認めているようなものだと気づく。ああ、本当に機動隊への配属でよかったなんて、こんなところで思い知らされるとは思わなかった。こんなに分かりやすくては刑事なんてとても務まりはしなかっただろう。

「……避けてるとして、私にそんなことする理由があると思ってるんですか」
「そうだな、俺に好きだって言ったことだろ」
「なっ……」

いっそ開き直って、挑発でもするくらいの気持ちでいってやれば、予想外の躊躇いのない返答に反射的に顔を上げる。

「お前は、あんな冗談言ったりしねぇよ」

迷いのない確信的な声。取り繕えてなんていないと思いつつ、どこかで本当に伝わってないことも期待していたあの日の告白。変わらぬままでいたかった関係と、変わらずにはいられないくらい膨れすぎてしまった恋心。
そんな色々なものが頭の中を駆け巡って、制御しきれなくなった感情が瞳の奥に熱を溜めていく。

「わかってるなら、そっとしておいてくださいよ……。大丈夫です。あともう少し、気持ちの整理が着いたらちゃんと今まで通りの後輩に戻りますから」
「は? なんでそんな話になんだよ。まだ返事もしてねぇだろ」
「返事なんてしなくても、あの反応見たら察することくらいできますよ。それとも、ちゃんとフッておくのがケジメだとかですか?」

ぽろぽろと零れ出した涙に、一瞬ぎょっと目を見開いた松田さんが面倒くさそうに頭をかいた。こんなところで泣くなんて最悪だってことくらい分かっていても、一度流れ出してしまった奔流を留める術など知らない。

「あのな……あー、なんでこんな大事なことを、たった今処理したばっかの爆弾の前で言わなきゃなんねぇんだよ!」

乱暴に荒らげた言葉とは反対にやけに優しく、涙を拭っていた手を止められる。手の甲についたメイクの跡。今はさぞかし酷い顔をしているのだろうけど、そんなこともう気にかける余裕なんてない。

「いいか、俺もなまえが好きだ」
「……え」

一瞬、まわりの喧騒が全て消え去って、松田さんの声だけがはっきりと降ってくる。あれだけ止め方の分からなかった涙があっさりと止まり、驚いたまま松田さんを見つめれば、したり顔でその唇が歪む。

「ほらな、好きなやつにいきなり告白されたら驚きもするっつーの」
「あっ……だって」
「だっても、だけども、後でいくらでも聞いてやるよ。だから今は黙って頷いとけ、いいな」

掴まれたままの腕が引かれ、そのまま松田さんに抱きしめられる。触れた胸の奥から松田さんの鼓動が響く。
そのリズムを聴きながら、これが現実なのだと湧き出した水が染み渡るように実感して、止まったはずの涙が再び溢れ始める。だけどもう、あんな締め付けるような苦しさも虚しさも消え去っていて、ぎゅっと唇を噛んだまま頷けば、優しく松田さんの指が私の髪を梳いた。






この恋にとどめを


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