本が好きな人は所有欲が強いのだそうだ。事実、そうなのだろうと隣を歩く彼を見ながら思う。
大会も近いバレー部の練習か終わる時間は遅く、日の長い夏であっても帰り道はすっかりと暗くなり、濃紺色の空にはぽつりぽつりと星が浮かび始めている。そんな時間になってしまうので先に帰ってもいいと京治は言うのだが、それでも一緒に帰りたいと私が言い張り、こうして一緒に帰路につくのもすっかり日課となった。

京治の部活が終わるまでの時間は、教室で持ってきた文庫本を読みながら過ごす。一冊一冊と読み終わっていくたびに、その本に詰まった文字の数だけ京治への想いも募っていくような気がする。

「今日は何の本を読んでたの」
「世界の終末の話」
「おもしろかった?」
「うーん、呆気なかった」

手を繋ぐこともせず、ただ取り留めのない会話をしながら暗い道を歩く。
一度だけバレーをする京治を見に行ったことがある。
人の熱気と声援で溢れる体育館で軽やかに動く京治を見たとき、身体の芯の方がぞくりとして動けなくなった。だって、そこにいるのはまるで私の知らない人のようで怖くなったから。
あんなに熱い視線もむせ返るような歓声も、すべてが私から京治を奪っていってしまうような気がして仕方がなかった。
きっとこれこそが醜い所有欲ってやつなんだろう。

空に浮かんでいた星たちが徐々に輝きを増し始める。
今こうして私の瞳に映る光の多くが、今はすでにこの宇宙に存在していないなんて信じられないくらいだ。
人が初めて望遠鏡を覗いたとき、何を感じたんだろう。この世界のあまりのちっぽけさに酷く絶望はしなかっただろうか。それとも、宇宙を支配する神にでもなったような気持ちになっただろうか。

「ねえ、京治。夏祭りに行きたいね」
「いいね。行こうか」
「行けるの?」
「絶対にとは約束できないけど、行けたらいいね」

私たちはよくこうした実現するかわからない約束をする。
ふたりで何の屋台を食べるとか浴衣を着るだとか、そんな来るかもわからない未来を想像するだけで、十分に楽しいのだ。
自分たちしか存在しない空想上の夏祭り。がやがやとした祭囃子も行きかう人もすべてが虚像。それこそ本当のふたりの世界のように幸せな気持ちになる。

「それから、花火を見ようね」
「夏らしいね」
「私はあれが好きなんだよ、なんかこうヒューって落ちてくるみたいなやつ」

なにそれ、と京治が笑うのにつられて、私も同じように笑う。
本当はあの花火を冠菊というのだと知っている。知っていて私はいつだって無知を装うのだ。ヒューっと夜空に咲いた花弁が散っていく様子を思い浮かべて、心がぎゅっと締め付けられる。刹那の輝きのために花開き、瞬間でその終わりを告げる花。それはなんて尊い美しさなんだろう。

「あの花火を見てると、本当に世界が終わっちゃうんじゃないかって思う」
「その今日読んでいた本みたいに?」
「みたいに」

京治の隣で冠菊を見た私は、このまま世界よ終われと祈るに違いない。彼が自分のものであるうちに、どうかそれが永遠になりますようにと。

夜空に浮かぶ星がそんな私を嘲笑うように揺れているような気がして、そっと見ないふりをする。都会の星は綺麗じゃないというけれど、その綺麗じゃない星しか私は知らない。この星だけが、すべてだ。この小さな街だけが、世界であるように。
だけど、私たちはいつか違う道を行くことになるのだろうと、なんとなく分かっている。これから少しずつ世界の広さを知って、少しずつ子供ではなくなってしまったとき、きっと一緒にはいられない。

「お祭りに行ったら林檎飴が食べたい」
「いつもそういって全部食べ切れないじゃん」
「飽きちゃうんだよ。林檎はパサパサだし」

キラキラ光る真っ赤な宝石みたいなのに、存外に薄いその膜は簡単に破けてしまい、その真髄のように顔を出した林檎はその寿命を物語るかのように腑抜けてしまっている。
その現実に私はいつだってがっかりさせられる。それでも学習しない私は、毎年その偽りの宝石に手を伸ばしてしまう。いつか夢が夢のままで終わったら、その永遠すら手に入るような気がして。

「今年も食べ切れなかったら京治が食べてくれるでしょう?」
「なまえはオレをなんだと思っているの」
「そういいいながら食べてくれる優しい京治が大好き」
「……ほんとそういうときだけ調子がいい」

去年の夏祭り。食べ切れなかった林檎飴。隣で呆れたように笑って可哀想な林檎飴に手を伸ばす京治。
思い出されたそれは、どうしようもない救いのような気がした。ビューっと拭いた風はザワザワとどこかの家の木々を揺らす。本が好きな人は所有欲が強くて、現実を受け入れることも嫌いなのだ。そこに描かれた夢想を現実を否定することで、自分だけのものにしてしまおうとしているのだ。

「ねえ、京治。手を繋ごう」
「珍しいね」
「うん、出来ることならキスもしたい」
「……それはまたあとで」

少し驚いて、照れたように顔をそむける京治はきっと、私を家まで送り届ける寸前に触れるだけの優しいキスをしてくれるんだろう。そんなほんの数分後の未来と繋がれた手の暖かさに幸せが溢れ出しそうになる。

いつかやってくるふたりが離れ離れになるその日に、私はきっと全ての本を燃やすだろう。それは彼への想いそのものだから。そして、私はもう二度と夢想の世界には浸らず、現実を憎むように愛しながら生きていくのだろう。
だから、どうか今だけはこの優しい夢に溺れていられるように、手のひらから伝わる劣情にも似た恋情に心焦がすのだ。





いたいけな真夏の劣情


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