雪が世界を白く染めた日の朝は、いつもより少しだけ暖かいような気がする。それは気のせいかもしれないし、そうではないのかもしれないけど、とにかく私は、この肌をぴしりと撫でるような中途半端な冷たさがひどく嫌いだ。

凍らせるならどこまでも、思考さえまとまらないくらいにその冷たい温度で泣かせてくれたらいい。流せば流すほど涙は凍りついて、私は瞳からポロポロと結晶を零すのだ。
暖かいのなら、あの冷たさを思い出すこともできないくらいどろどろに溶かして、そしてその愛で泣かせてくれたらいい。ここは優しいゆりかごでもう夢を見る必要は無いのだと嘯きながら。

「なにをしている」
「あ、三成。見て、雪が降ったの」
「そんなことわかっている。私が聞いてるのは……」
「こんなに寒いのに私が外でなにをしてるのかってことてしょ」

私にはそんなに寒くないんだけど、三成はとっても細いから私の何倍も寒いんだろうな。
三成が吐く息が白くなって空に消えていくのを眺める。別に不思議なことではないはずなのに、それが三成から吐き出されたものだってだけで、なんだかすごく悲しいことのような気がする。

ああ、こんなぼんやりしてないで早く三成に私がなんでこんなとこに朝っぱらからいるのかってことを説明してあげないといけないんだけど、正直ここにきたことになんてなんの意味もないから馬鹿みたいに半開きの私の口からは上手く言葉が出てこない。

「寒いね、三成」

何か喋らないと、と思ってるうちに口から出てきたのは、そんなに寒くないなんて言っていたさっきの思考とは反対の言葉。いけない、三成に嘘をついてしまった。いや、そんなに寒くないというだけで、まったく寒くないってわけじゃないんだから嘘ではない。
そんなことを言うつもりじゃなかったってだけ。当たり前のように私からも吐き出された白いそれが消えていく。

「外があんまり白いから迷子になれるかと思ったよ」
「こんな見知った場所で迷えるものか」
「うん、無理だった」

真っ白い雪の上に私の足跡と三成の足跡だけがある。ああ、幸せだなあ。ずっとこんな世界ならいいのに。
時間なんて止まってしまって、この雪も永遠に溶けないで二人でずっと寒いねえなんて言い合うんだ。そしたきっと、私たちはずっと一緒にいられるのに。

だけど、そんなの叶わないことは痛いくらい冷静にわかってしまう。どんなに私が望んだところでこんなに降り積もった雪はあっけなく、時が過ぎ春が来れば記憶からも消え去るほど見事に溶けていくのだと知ってしまった。
そんな私はきっと、もう夢なんて見られない。それなのに必死にしがみついて、溺れて、それだけでひどく滑稽なのにそうすることでしか呼吸の仕方も知らないままだ。

「私が迷子になれないのは三成のせいだよ」
「なんだそれは」
「私の足じゃどこにも行けなくなっちゃった」

昔はどこにだっていけると思ってたはずのそれが、少しずつ消え落ちて、気づけば三成から離れるのが怖くて仕方ない。並んで歩いてなんかくれないくせに。
私のための場所は三成の中になくて、それでもきっと三成は私のことが好きだし、三成は私を捨てないって変な自信もある。だからいっそどっか遠くに行ってしまいたいと思うんだけど、そんなことできるわけないくらい三成が大好きだ。

「ねえ、三成」
「なんだ」
「春なんて来なければいいのにねえ」

次の冬は三成と一緒に迎えられないって私の本能的なそれが告げている。きっと、その冬の中で私はどうしようもなく一人なんだろう。
そうなるくらいならこの雪が私ごと凍らせて、春には雪と一緒に溶かしてくれたらいいのに。でもきっと凍る前に三成が私のことを見つけてしまうんだろうなあ。

三成は私のために死んでくれない人で、それなのに私が勝手に死ぬことも許してくれない人だから。どうせなら三成が私を殺してくれる人なら良かった。三成の手で三成の腕の中で生温かくて真っ赤な血を流して死ねたらきっと私は幸せだ。一瞬すごく幸せな気持ちになったけど、これも叶わぬ夢だって知ってる。
急に悲しくなったから、そっと目を閉じた。見えないはずの白い息がすうっと空にのぼって消えて、やっぱり私は一人になる。

「ほら、帰るぞ、なまえ」

真っ白な雪の中に立ちつくして、天を見上げながら瞳を閉じていると、このままどこか遠くまで浮かんでいけそうな気がするのに三成は私の手を引き戻してしまう。

「珍しいね、手を繋いでくれるなんて」

嬉しい、とへらりと笑ってみせながら、心は酷く傷ついていく。無色透明な血液がだらりと私の心臓から垂れ落ちても、この穢れのない雪を染めることは出来ない。
着物の袖から伸びた三成の手は相変わらず細くて、骨ばっている。その手から伝わる体温もまたあまりにも冷たくて、繋いだ私の体温のせいで溶けてしまうんじゃないかって心配になった。

「三成」
「なんだ」

面倒くさそうに振り返った三成の目元に影が落ちる。雪を積もらせた松や杉の木の影に三成だけが立っている。私はまだそこに足を踏み入れられてはいなくて、きらきらと太陽の光を反射させる純白の上にいる。あと数歩、この差があまりにも遠い。

「連れていってよ。このまま、最期まで、ちゃんと手を繋いでいて」

三成の歩く道は真っ直ぐすぎて、私には着いていくことが出来ない。だからこうして手を引いていて欲しいのに、三成は何も答えてくれない。
三成は決めているのだ。私を最後の戦場には連れていかないことを。そして、それに私が気づいていることも。三成が立つ戦場に足を踏み入れることが許されるのは、私ではなく、あの光の、葵の紋だけなのだ。

「私は帰ってくる。だから、待っていろ」

それは嘘だと知っていて、その嘘さえも私は飲み込む。共に死ぬこともその手で殺されることも出来ないように愛されてしまったことで、私はひとりぼっちになることしか許されなくなった。

「──寒いね、三成」

次の春、三成は帰ってこない。私はひとりで三成の歩いたまっすぐな道に呆然と立ちつくす。そこで味わう孤独だけが、三成に私に残した愛であり、咎になるんだろう。




いつかあなたのために死んでみたい


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