いつになく強い日差しを瞼越しに感じて目を開ける。いつもと少しだけ違う景色はあのまま窓際のベッドで眠ったせいだった。隣を見るとエースも既に目を覚ましていて、何も言わずに窓の外を見ている。
おはよう、と声に出そうとして開きかけた口を、しばらく考えて再び閉じる。何故かははっきりと言えないけれど、そんはなふうに繰り返してしまういつも通りの言葉は、今日という朝にはひどく不釣り合いな気がしたのだ。
再び見上げた空。
窓枠で切り取られたそこは、これ以上ないくらいの青に埋め尽くされている。
清々しいくらいの、敗北の朝だ。

「さて、帰ろっか」
「……そうだな」

明るく努めたはずの声が虚しく響くと、エースもまた諦めきれない未練を瞳に宿して頷いた。
望むなら、あと数日、この町に滞在する猶予が私たちにはある。だけど、運命を受けいれたからにはやらねばいけないことが山積みなのだ。学園に帰ってから片付けること、別れを言う人たち、そんなことを考えながら起きがけのキスをして、それぞれの身支度を進める。
途中で窓を開けると、張り詰めた夜の緊張を残した朝のおぼつかない空気が流れ込む。それを、肺の中にいっぱい溜め込む。そして、名残惜しむように吐き出した。

「チェックアウトまで、まだ時間あるけどどーする?」

振り返るとさっきまで着替えをしていたエースがじっと私を見据えている。しばらく逡巡してから、ゆっくりと首を振った。

「ううん、もうすぐ準備できるからそのまま行こ」
「はいよ」

そうあっさりと返事をしたエースが浮かべた笑みが、珍しく随分と不恰好だと思ったけど、それを指摘することは出来なかった。

宿を出てから、数日前ここまで来た道を反対に辿る。一つ、二つと視界から過ぎ去っていく木々や家々が、たった一度しか見たことがないはずなのにあまりにも感情的に心を刺すようだった。
港に着いて乗り込んだ船は行きとは違い昼間の便だったので、二人とも何も言わずに甲板に立って海を眺めた。船の上から見る海は思っていた以上に風が強く、ごうごうと唸るように風を割いて突き進んでいく。
これはもう二度と、二人で見ることは無い景色なのだ。そう思うと、喉の奥が熱く、苦しくなる。潮風が目に染みたフリをして少しだけ泣いてしまった私の腰を、エースがそっと抱き寄せた。




「海、寄ってかね?」

船を降りてからエースがそう口にしたから、学園に戻る前に港のすぐ近くの浜辺を散歩することにした。もう何度となく二人で訪れた砂浜に二人分の足跡が並ぶ。鼻腔をくすぐる潮の匂いも、寄せては返す波の音も、これが最後となるのだろうか。
この島を出る時はずっと繋いでいた手を、今日は一度も繋いでいない。触れそうで触れられない距離にある二人の手は、あるべき場所を見失い、所在なさげにさまよっている。だけど繋いでしまえば、もっと縋りついていたくなってしまうことくらい分かっている。

「オレはさ、お前とこうやって別れることが一番いい結末だったなんて絶対に思わないから」
「うん、分かってる」

私たちはただ、これしか選べなかった。
ただ、それだけだ。
本当に欲しかったのは二人が決して離れることなく、同じだけの歳を経て、家族になっていけるような、そんな、多くの恋人たちには許されているはずの未来だった。
私たちは確かに逃げたのかもしれない。学園から、運命から、未来から。だけど、これは戦いだった。私たちの望んだ大人になるための戦い。そして昨夜、それに敗れたのだ。
敗北を認めたのなら、潔く撤退をしなければならない。

そのときふと、私の名前を呼ぶ声が砂浜に響いて振り返る。少し離れたところにグリムを抱き抱えたデュースが立っていた。海に行こうとなった時に、これから慌ただしくなる生活の中で四人で来れることももうないかもしれないからと連絡をしていたのだ。

「グリム!」

デュースの腕から抜け出したグリムがこちらへ走り出してきたので、しっかりと胸の中に抱きとめる。久しぶりに嗅ぐ匂いと温かい体温に、また緩んでしまいそうになる涙腺になんとか耐える。ここで泣いてしまうのはあまりにも身勝手すぎる気がするから。

「大丈夫だったか?」

デュースがかけてくれたその言葉が、ただ私たちの身を案じるだけではないことは分かっている。分かっていて、何も答えられなかった。
人生がこんな悲しみの連続だというのなら、人生なんて碌なものじゃない。そこに固執することに何の意味があるのだろう。まだ子供にしがみつく私が心の中で、鋭い声を上げて糾弾してくる。
その声から耳を塞ぐようにグリムの柔らかい毛並みにうずめていた顔を上げる。

「先生たちは?」
「学園で待ってる」
「怒ってるかな?」
「どうだろうな。でも」

デュースが少しためらうように言葉を区切ったので、首を傾げて続きを促す。

「お前たちがいなくなって、慌てて学園長のところに行ったら、大丈夫だから探す必要は無いって、そう言われた」
「そっかぁ」

やはり先生たちには分かっていたのだ。分かっていて、逃がしてくれた。その事実をどう受け止めればいいのか上手く飲み込めなくて、ふと足を止める。砂浜には、ここまで歩いてきた足跡がはっきと残っている。
寄り添うように同じ歩幅のエースと私の足跡、その隣で真っ直ぐに前だけ見ていることが伝わってくるようなデュースの足跡と、あちらに行ったりこちらに行ったりと寄り道しがちなグリムの足跡。
まるで、私たちの道のりを示すようだと、つい笑みがこぼれる。
それでも、砂浜に並ぶ四人分の足跡を、この大きな海の波や風がなんの容赦もなく消し去ってしまうのだろう。そうと分かりながら、それでも、この景色が永遠に残ればいいとそう願わずにはいられなかった。






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