鼻歌でも歌いたいな、でもそんなことしたら変なやつに思われるかな、スキップとどっちがマシかなって天秤にかけながら歩いていると、曲がった廊下の先にお目当ての人を見つけてそんな悩みは弾け飛ぶ。

「ジャミル先輩!」

人気のない廊下で私の声はやけに大きく響いて、ジャミル先輩は少し驚いた様子で振り返った。そんな表情も可愛いなぁと思ったけど、こんなこと本人に言ったら間違いなく怒られる。だから、口はぎゅっとつぐんで、代わりに可愛くラッピングされた袋を差し出す。

「これは?」
「調理実習でクッキーを作ったからジャミル先輩にあげようと思って」
「調理実習……君にそんな授業あったか?」

訝しげに眉を顰めるジャミル先輩の質問に、よくぞ聞いてくれましたと胸を張る。

「本当は飛行術の授業だったんですけど、今日すっごく寒くて、こんな気温の中でただ見てるだけなんてって無理です、拷問ですよーってバルガス先生に泣きついたら校内で見学してていいって」

でも暇だから私だけ調理実習ってことにしました、と親指を立てて話を締めくくる。それを聞いたジャミル先輩は何か言いたげに口を開いて、でも結局諦めたように何も言わなかった。
だけどちゃんとクッキーの袋は受け取ってくれて、一言「ありがとう」とも言ってくれた。嬉しい。

「あ!珈琲もあるんですよ!」

肩にかけた鞄をガサガサとあさって、可愛らしいサーモピンクのボトルを取り出す。

「何も考えず作ったから酸化しててすっごく不味いんですけど、よかったらどうぞ」
「なんでそれを人に飲ませようと思ったんだ」

えー、せっかく淹れたのにーと唇をとがらせてみても、ジャミル先輩は断固要らないと言うので、仕方なく取り出したばかりにそれをまたしまい直す。

「そういえばこれ作りながら思い出したんですけど、元の世界に女の子が好きな人にチョコをあげるってイベントがちょうど今くらいの時期にあったんですよ」
「へぇ、わざわざ日を決めてそんなことをするなんて酔狂なイベントだな」
「うわ、なんかモテる男の発言って感じですね」

そうやってわざわざイベントにしなくたって告白したきゃしろってことか。素直にかっこいいと思ったからそう言ったのに、なぜかじろりと睨まれた。

「それで、君はそのイベントに参加したことがあるのか」
「そりゃまあ、私だって女の子ですからね!」

参加の定義がどんなものか分からないけれど、友チョコも義理チョコも、あとまあ一応は本命チョコも渡した経験はある。だけど私くらいの年頃で、バレンタインにまったく関わらないで生きていくなんて逆に難しいのではないだろうか。それくらい定番の行事なのだと説明しようかと思ったけれど、ジャミル先輩の表情が急に不機嫌そうになるものだからタイミングを逃した。

「あ、ヤキモチですか!」
「違う」

違ったらしい。私が元の世界でチョコをあげた男の子に対して少しでも不満に思ってくれたら正直嬉しかったのに。それで「今はジャミル先輩だけだから安心してください」って言ってあげたのに。

「……これは他にも誰かにやったのか?」
「クッキーですか?グリムには当然あげて、あとエースとデュース。あっ、途中でアズール先輩にも会ったのであげました」

あげたって言うかほぼ押し付けたんですけど。そんな笑い話をしたつもりだったのだけど、ジャミル先輩は相変わらず不機嫌そうだ。いやむしろさっきより悪化してるかもしれない。

「やっぱりヤキモチですか?」
「違う」

やっぱり違ったらしい。最近、ジャミル先輩はものすごく鈍感で自分の気持ちに気づいていないのではという説を考えたのだけど、逆に私がものすごく自意識過剰なだけという可能性もあるなと思って口にするのはやめた。
別にいいのだ。私はジャミル先輩が大好き、それだけ。シンプルイズベスト。この気持ちに日にちなんて関係なく年中無休の愛だ。

「まあ、バレンタインなんて元の世界の話で私にはもう関係ないですしねぇ」
「君は清々しいくらいに帰る気がないな」
「いくらジャミル先輩の頼みとあっても帰らないし、両親が泣いて頼んでも揺らがないです」
「そこは揺らいでやれ」

やっと少し機嫌が直ってきたらしいジャミル先輩が私の顔を見た。それからすっと振り返って歩き出してしまう。

「行くぞ」
「え、どこに?」
「……これのお礼に俺がお茶でも淹れてやろうかと思ったんだが、いらないか?」

皆まで言わせるなみたいな顔してるけど、そんなの行くぞの一言で分かるわけなくない?と思いつつ、ジャミル先輩とお茶という嬉しさの方が優ってしまう。

「行く!行きます!」

飛びつくようにジャミル先輩の隣へ駆け出して、寮までの道すがら鼻歌を歌いスキップもすれば「恥ずかしいからやめろ」と怒られた。それでもジャミル先輩が淹れてくれたお茶は美味しくて、私の作ったクッキーも褒めてくれたからハッピーだ。
そんな二月の話。





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