なんだか身体がおかしい気がするなというのは昨日の夜から感じてはいた。それを風邪の前兆だと気がつけなかったのは経験値というよりは記憶力の問題だったと思う。
だから目が覚めてまず喉が痛くて、それから背中をはじめとした身体の節々まで痛むと自覚したとき、やっと「ああ、昨日のあれは風邪のせいだったのか」と思い出した。

のそのそとベッドから這い出して体温計がしまってあるはずの引き出しを漁ってみるけど、こういうときに限ってお目当てのものって見つからない。探すのが面倒くさくなってきたから、おそらくまだ熱は無いなと結論づけて探索は打ち止めとした。熱がないなら授業に出れないこともないけれど、この関節の痛みは熱が上がりそうな気がするやつだから今日は休むことにしよう。
そうひとりで頷いて、でもグリムだけでも行かせなくちゃいけないから気持ちよさそうに眠っているグリムを揺り起こす。「朝だよ、起きて」という声がガラガラで私も驚いたけれど、グリムはそれ以上に驚いたようで飛び起きて目を丸くしている。

「声がおかしいんだゾ!」
「うん、風邪をね、ひいちゃったみたい」

ひどく心配そうにしているグリムを見ながら、そういえばこの世界に来てから風邪をひくのは初めてだったなと思い出した。私が休むことを伝えれば自分も行かないと言い張るグリムを「寝てれば治るから」となだめ、デュースに「風邪をひいて休みたいから、グリムを迎えに来て」という旨のメッセージを送った。

それからしばらくしてエースを連れて迎えに来てくれたデュースは心配そうに私の顔を見ながらグリムを受けとり、授業が終わったらすぐに様子を見に来ると言ってくれた。ありがとう、持つべきものは優しい友人たちだ。
そんな友情に思いを馳せながら、再びベッドに潜り込んで眠りについた。





***





「それなのにどうしてジャミル先輩がここにいるんだろう。授業は?」

よく眠った気がするなと瞼を開けたら目の前にジャミル先輩がいて心底びっくりした。風邪で大きな声が出せなかったおかげで叫びはしなかったけれど、本当にびっくりした。

「もう夕方だぞ」
「え、私そんなに寝てましたか」

でも夕方だからといってジャミル先輩がこの部屋にいる理由にはならない。残念ながらまだ私たちの帰る家は同じではなかったはずだ。そんな私の心の中を読んだかのように、呆れ顔のジャミル先輩が少し粗雑に私の頬に触れる。てっきりつねられると思ったけれど、そんなことはなかったので身構えて損した。

「だいぶ熱は下がったみたいだな」
「もしかしてお見舞いに来てくれたんですか?」
「エースたちから聞いてな。グリムも連れて帰ってきた」

ジャミル先輩の優しさに感動しながら、寝てれば治ると言った私の言葉を信じて起こさないように別の部屋でいい子にしているというグリムの優しさにも感動する。早く治して抱きしめたい。

「ほら、これを飲んでみろ」

差し出されたマグカップ。その中の蜂蜜色の液体がふわりと湯気をたちのぼらせ、ほんのりと生姜の香りが漂う。飴湯だと思いながら、思わず眉を下げてジャミル先輩を見てしまう。

「うう、私あんまり生姜が好きじゃないんです」
「そうか、覚えておくよ。だけど今は喉にいいから我慢して飲め」
「……はーい」

渋々それに口をつければ優しい蜂蜜の味が広がる。思ってたより生姜の味が嫌ではなかったのは蜂蜜のおかげか、それとも食べずに避けているうちに味覚が変わったのかもしれない。

「美味しいです、ありがとうございます」

私からマグカップを受け取りながらジャミル先輩は優しく瞳を細めた。こんなに私に優しくしてくれるなんて、やっぱりジャミル先輩は私のことが好きなんですかって言いたいのに、なんだか疲れてしまっていて言葉に出来なかった。ジャミル先輩に好きだという体力すら奪っていくなんて、風邪なんてひくものじゃない。

「まだ寝れそうだったらもう少し休むといい」
「はい、寝ます。でも、夢をね、見たんです」

身体が温まって布団に潜り込むとすぐにうつらうつらと眠気が押し寄せてくる。だけどここで眠ったら勿体ないような気もして、もう少しジャミル先輩にここにいて欲しかった。

「あれはたぶん元の世界で、私は自転車に乗っていて、そのまわりを両親とか友達がぐるぐる囲んで一緒に凄いスピードで走ってるんです。そんな変な夢」
「そのわりには幸せそうだな」
「はい、幸せでした。大好きな人たちが沢山いるのは、幸せです」

ジャミル先輩の手が私の頭を撫でる。こんなこと普段なら絶対してくれないし、もし熱が下がってからこの話をしても「そんなことしてない」って否定されてしまうんだろう。それでも今は確かにジャミル先輩は私を撫でてくれているし、その手つきはとても優しい。

「それならこの世界は君にとって不幸なんじゃないか?」
「ううん、ここには大切な人も、なによりジャミル先輩がいるから。幸せで、不幸だとしても、それはやっぱり幸せです」
「……そうか、覚えておくよ」

眠気と熱のせいで上手く言葉に出来なかったから、私の言いたいことがどれくらい伝わったかはわからない。本当はもっともっとこれについては言いたいことがある気がするんだけど、今はとてもそんな元気はなかった。だけどジャミル先輩が覚えておいてくれるって言ったからそれでいいや。
私が眠ってもしばらくは撫でていてくれるんだろう手のひらの感触を感じながら、眠りの淵へと意識は飲み込まれていく。
そんな三月の話。




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