春が終わった。何か明確にそうした区切りがあるわけじゃないけど、なんとなくもう春ではないってそう感じている。満開の花を咲かせていた桜は、すっかり花を散らせて青々とした葉を茂らせているし、空はぼやけた青から鮮やかさを取り戻し始めている。
だけど夏が来たのかといえば、やっぱりそれも違う。春と夏の間の曖昧な季節。その間にだけ吹く風はどこか特別で、いつも私を遠くへ連れていこうとする。


「というわけで、ピクニックに行きましょう!」
「……どういうわけだ」

窓から眺める景色にいてもたってもいられなくなって、授業の終わりを告げるベルと同時に教室を飛び出した。向かった先はもちろんジャミル先輩の教室だ。
ばーんと扉を開けて教室に飛び込んでも、ジャミル先輩のクラスメイトの先輩たちは私のことなんて見向きもしない。たぶん、週に二日以上はこんなふうに登場しているので、もうみんな慣れてしまったんだろう。ジャミル先輩だけは私を見て面倒くさそうに顔を顰めて、こめかみの辺りを押さえるけど、それもいつも通りなので気にしない。

「行きたくないんですか?」
「俺は忙しいんだ、色々とな」
「カリム先輩に言ったら喜んで許してくれそうですけどね」
「ああ、そうだろうな。そして、カリムも一緒に行くと言い出すさ」

吐き捨てるようにそう言ってから、「そして俺の仕事が増えるんだ」と溜め息混じりに呟やかれた言葉。そう言われると確かに、今までもそんなことが何度もあったものだから何も言えない。私とカリム先輩が楽しい時はかなりの確率でジャミル先輩は大変なのだ。
私はジャミル先輩のことが大好きだから一緒にいれたら本当に幸せだけど、そのせいでジャミル先輩が嫌な思いをするのならそれは幸せではない。

「うーん、じゃあエースたちと行くことにします」
「そんなに行きたいのか」

いつまの間にかすっかり人のいなくなった教室で二人きり。まだまだ沈む気配のない太陽が中庭の木々を照りつけ、風がその葉を揺らす。その音を聞いていると、私の心臓の奥底の方までつられてざわつく。

「なんか、じっとしてられなくて」
「どこに行くかは決めたのか」
「まだです!あとでマジカメで調べようと思って」

#賢者の島、#ピクニック、とかで調べたら何が出るかなと思ってたんですよね、と言いながらポケットからスマホを取り出して、早速検索を始めてみる。
良さそうな写真をジャミル先輩にも見せてみるけど、「いいんじゃないか」と言うばかりで興味はそそられた様子はない。残念。

「あ、あと可愛いお弁当の作り方も調べないと」

可愛らしい猫を模したキャラ弁の写真に指が止まりそう呟くと、視界の端のジャミル先輩の指がぴくりと震えた。不思議に思って顔を上げると何故か驚いたような表情で見つめられる。

「ナマエが作るのか?」
「そりゃまあ、四人の中じゃ私が一番料理上手いですよ」

ほとんど毎日作ってますしと言えば、ジャミル先輩は何か言いたげに口を開いて、それから顔を顰めた。何かと葛藤しているみたいな、珍しいジャミル先輩。

「もしかして、私のお弁当食べたいんですか?」

少しからかうつもりで冗談めかして言ったのに、ジャミル先輩は目を丸くして、それから決まりが悪そうに目を逸らした。そんな仕草に驚くのは私の方だった。

「え、本当に?」
「別に、ただ、君の作った料理は菓子以外食べたことがないなと思っただけだ!」

驚きのあまりに素直にそう口にしてしまえば、ジャミル先輩には拗ねてしまったらしく顔を背けられてしまった。そうか、葛藤の相手はプライドだったのか。
その綺麗な黒髪を眺めながらジャミル先輩の言葉を噛み締める。お菓子なんかはちょこちょこ作って行くことはあるけど、夕食に誘ったりとかしたことはなかったかもしれない。いつもご馳走になるばかりでそんなこと気にしたこともなかった。

「作りましょうか?」

特に悩むこともなくそう口にすれば、背けられていた顔がゆっくりとこちらを向く。機嫌が悪そうに深くしわを作った眉間が、少しだけ緩んだ。

「遠くに行かなくても、中庭でだってピクニックはできますもんね」
「遠くに行きたかったんじゃないのか」
「そうだったんですけど、ジャミル先輩がいればどこでもいいなって」

一番大切なことを忘れてました、とへらりと笑えば、呆れたようにジャミル先輩の表情にも少しだけ笑みが浮かんだ。

「君は、本当に俺のことが好きだな」
「そりゃ、大好きですよ。ジャミル先輩は?」
「好きじゃない」
「ちぇー。じゃあ、そろそろ戻りますね!たぶん教室でグリムが待ってるんで」

ちらりと時計を見ると、思っていたよりも長居をしてしまっていた。今日はグリムと夕食の買い物に行く予定だったので、怒られるかなーと思いながら教室の扉に触れたところで、ふいに名前を呼ばれた。
まだ何かあっただろうかと振り返り、思わず息を飲む。だって、ジャミル先輩の表情が見たこともないくらいに優しいものだから。

「でも、楽しみにしてる」

どうして声って頭の中に記録できないんだろう。この声が一生繰り返し聞けたら、私はもう幸せに以外なれないのに。
心の底から湧き上がる爆発寸前の嬉しさを抱えながら、大きく頷いた。
そんな五月の話。






back : top