夜の学園には明かりがない。
人の気配がしない中庭を星影だけを頼りに歩く。伸びた木の枝の葉が頬をかすめて、ふと息を吐くように足を止めた。空には溢れんばかりの星が輝いている。

ここなら写真も撮れるんじゃないかと思って、ポケットからスマホを取り出すと、そこには何件もの着信履歴が表示される。それも全部、ジャミル先輩からだ。
慌ててかけ直そうとすると、タイミングよくまた新たな着信がかかってきた。

「もしもし」
「おい、なんで出ないんだ」
「音切ってたから気づかなくて」
「……まあ、いい。それで、今どこにいるんだ」

呆れたような安堵したような声。それだけで、きっと心配してくれていたこと気づくには十分だった。
実はここに来る前、オンボロ寮の近くで撮った夜空の写真を送っていたのだ。スマホだし近くに寮の灯りや街灯もあったから、あまり上手くは撮れなかったほとんど真っ黒な写真。それを見て、私がまた迷子にでもなったかと思ってくれんだろう。

「学園の中庭です。星がとってもキレイですよ」
「夜中にひとりで出歩くなと言ってるだろう。君は……」

言いかけて濁した言葉の続く先は、魔法が使えないのに、だろうか、それともこの世界の人間じゃないのに、だろうか。どちらにしても、私ですらもう気にしていないことを、そうやって気遣ってくれるジャミル先輩がやっぱり好きだ。

「ジャミル先輩大好きです」
「……そっちに行くから動かずに待っていろ」

私の告白は無視して一方的に切られた通話。もうなんの音も聞こえないスマホをポケットにしまい直して、空を見上げる。元の世界と同じようにキレイなのに、同じではない夜空。






しばらくベンチで待っていると、校舎のある闇のいっそう濃い影からジャミル先輩が現れた。時間も時間なので、制服ではなく髪も結っていない。

「なんで星なんて見てたんだ」
「今日は七夕だったなー、って思って」
「タナバタ?」

ジャミル先輩にもベンチの隣に座るように促して、織姫と彦星の話をする。大きな星の川に遮られてしまった可哀想な恋人が、一年にたった一度だけその逢瀬を許される日。

「だから天の川が見たくて」
「……この世界にそんな星はない。占星術の授業は君も受けているだろう?」

夜空に浮かぶ満天の星は、この世界でもひとつひとつ名前が与えられている。教科書で見た星の名前にはただのひとつとして私の知っているものはなかった。

「でも、私になら見つけられるかもしれないなって」

名前が違うだけで同じ星があるんじゃないか、この世界と私の世界はどこかで繋がっているんじゃないか、そんな夢を見たかったのかもしれない。だけど当たり前のように、今日の夜空には天の川もアルタイルやベガであるはずの星も見つけられなかった。

「一年に一度しか会えないなんて、あまりにもひどいと思いませんか?」
「仕事をしなかったんだから、自業自得だろ」

ジャミル先輩らしい物言いに思わず笑ってしまう。笑いながら、並んだ私たち二人の影にすうっと視線を向ける。

「そうなんですけど、それならいっそ一生会えないって言われた方が救われる」

視界には映らない闇の中で、かすかに隣でジャミル先輩が息を飲む気配がする。

「だって、一生たったその一回の逢瀬に囚われるんですよ。会えない寂しい日々を過ごしながら、その日があるから忘れることも出来ない」

愛し合う恋人たちにとって、そんな中途半端な希望はむしろ耐え難い罰ではないだろうか。その日のために仕事に励むのではなく、その現実から目をそらすように仕事にのめり込む。

「もう会いに行くのはやめようと思っても、他の誰かを愛そうと思っても、相手は今年もあのカササギの橋で待っていると思ったら行かないわけにはいかない」

そのとき、それは本当に愛なのだろうか。かつて愛してしまったという事実が、一緒に背負う咎があるという意識が、ただ二人を縛り付けているんじゃないだろうか。

「手を離したくても離せないなんて、まるで呪いみたいじゃないですか」

そのとき急にジャミル先輩に手を握られた。顔をあげれば、その瞳が傷ついたように私を見つめている。時々、こうして私の言葉はジャミル先輩を傷つけてしまうことがある。
そのたびにまたやってしまったと思うけど、傷ついたと言われたわけでもないから謝ることも出来ない。

「……君は、今どっちとその話を重ねたんだ」
「どっちって?」
「……いや、なんでもない」

繋がられた手は温かいのに、体温ではないどこか別の部分にひやりとした冷たさが潜んでいるような気がする。
ジャミル先輩が本当は、置いてきてしまった元の世界の人達か、それとも私が元の世界に戻ったあとのジャミル先輩へのことか、それを聞きたかったのは分かっている。だけど、その答えはきっとまたジャミル先輩を傷つけてしまうから伝えることは出来ない。
夜空の星は夜が深まるほどその輝きを増し、ジャミル先輩はしばらく手を離そうとはしなかった。
そんな七月七日の話。







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