覚めた夢が苛む夜



私たちは仲のいい幼馴染だった。

時間さえあればどちらかの家を行き来していて、小さな頃の記憶には同じ年の姉妹と二つ年下の弟がいる。その弟を姉二人で溺愛するというのが、いつの間にかお決まりの構図になっていて、何をして遊んだかよりも、彼に何をしていたかの方が印象が強い。

だけど、所詮はただの幼馴染でしかない私は、家に帰らなくてはいけない時間がすぐにやってくる。ごっこ遊びの三人姉弟。本当に家族なのは二人だけで、私はいつもそれが羨ましかった。
私も、彼の本当の姉になりたかった。

それから小学校も高学年に上がり、ちらほらと誰が誰を好きだとかいう話を聞くようになった。クラスで一番人気は背が高くて足の速い男の子で、みんながその子にキャーキャー言っていたけど、私は特に好きだとは思わなかった。

中学生にもなれば、さらに周囲の恋愛への熱量は増し、付き合い始める子たちも出始めた。だけど、どうも私はその熱に絆されることは出来なくて、少し冷めた気持ちで彼女たちの話を聞いていた。

相変わらず学校ではうるちゃんとばかり共に過し、学校が終わればその輪に彼が加わった。流石に「うるちゃんばかりずるい!」なんて彼を取り合って喧嘩をすることはなくなったけど、代わりに彼に対して上手く言葉にできないもどかしさを感じるようになっていた。

そうして彼が私たちから少し遅れて中学に上がったとき、まだ少し裾の余る制服に身を包んでいる姿を見て初めて、彼が男の子なのだと思い知らされた。
そして、この気持ちが恋なのだと気づいてしまった。

三年間同じクラスだったうるちゃんは頻繁に一年生のクラス覗きに行きたがり、仕方ない風を装いながら私もそれについて行った。
私たちが来たことに気づくと、彼はすっかり顔を顰めるようになって、その度にうるちゃんにカミつかれていた。ぺーたんぺーたんと彼を呼ぶうるちゃんを見ながら、私は彼をページワンくんと呼ぶようになった。
いつから好きだったのかも分からないまま、一緒にいすぎた恋を持て余し、身動きが出来なくなっていた。
私はもう、彼の本物の姉にはなりたくなかった。

そして高校。うるちゃんは私立の女子校に進み、私は近くの公立高校に入学したため離れ離れになった。とはいっても、家が向かい同士なことには変わらないので疎遠になることはなかった。
彼とも時々顔を合わせることはあったので、背が伸びて私の身長を越えたことも、声変わりをしたことも知っていた。

だけど、彼が私と同じ高校に入ってきたことも、入学式が終わってしばらく経ってから昇降口で名前を呼ばれた時も驚いた。まさか彼の方から呼び止められるなんて思わなかったから。

私は一応先輩であるはずだけど、彼は変わらず私を名前で呼び、敬語も使わなかった。それが私と彼がただの先輩後輩ではない証明の様な気がして嬉しかった。
それから月に何度か、タイミング次第で一緒に登校したり、家に帰ることもあった。周りから彼氏かとからかわれるたびに幼馴染だと訂正しながらも、本当は少し優越感を感じていた。

一年なんてあっという間に過ぎ去ってしまい、卒業式の日、友人と写真を撮っていた私を校門で待っていた彼が、「おれとも撮ろう」と言った。そしてぎこちなく二人で撮った写真を送るために連絡先の交換をした。
「姉貴が撮ってこいってうるさくて……」そう照れたように呟いた彼に、どうしてか「ページワンくんは、私のことをお姉ちゃんだと思ってる?」と尋ねていた。
しばらくの間があった後、彼は「そんなこと思ってねェ」とはっきりと口にした。

それを聞いて、これから私たちはゆっくりでも、ただの幼馴染から変わっていけるんじゃないかって、そう思っていた。
本当に、そう思っていた。








「ぺーたんが!ぺーたんが!私のぺーたんがー!」

大学生活も三ヶ月が経ち徐々に慣れてきた頃、うるちゃんが突然部屋を訪ねてきた。大学も別々にはなったものの相変わらずの付き合いは続いていたけど、連絡もなしの訪問は久しぶりだったから少なからず驚いた。
うるちゃんの怒りと嘆きを織り交ぜたその剣幕にも。

「女から連絡来てるのが見えて、問い詰めたら彼女だとォ? 一体誰の許可とって私のぺーたん誑かしてんだよォ!」
「口が悪いって。それにページワンくんだって彼女くらいいてもおかしくない年なんだし……」
「しかも後輩!まだ出会って数ヶ月!それで告白してくるとかろくでもない女に決まってんだよ!」
「そんなことはないと思うけど……」

なんとかうるちゃんを部屋に連れていき、最近新調したばかりのカーペットの上に座らせる。
結構詳しく知っているあたり相当詰め寄られたんだろうなと想像出来てしまう。そんなうるちゃんを宥めながら、キッチンから持ってきた冷たい麦茶をテーブルに置く。
コップから離した手はわずかに震えていて慌てて隠したけど、机につっ伏したうるちゃんには気づかれてはいないはずだ。

「……なまえならよかった」
「昔はあんなに駄目って言ってたくせに」
「それとこれは違うのー!何処の馬の骨とも知らねェやつにぺーたん取られるくらいなら、なまえとぺーたんが付き合って三人で一緒にいたかった」

そんな夢想を描いたことが私だって何度もある。昔は彼の姉になって、三人で家族になりたいと思っていた。それが彼に恋をしたことでいつしか姉として彼の手を引くのではなく、恋人として彼の隣を歩きたいと思うようになった。

「ぺーたんが遠くに行っちゃうみたい」
「……そうだね」

窓の外を見ると、いつの間にかすっかり夜の暗闇が降りてきていた。カーテンを閉めていない窓ガラスに映る自分がやけに幼く見える。まるで目の前の道が突然消えてしまった迷子みたいだ。

うるちゃんが小さく鼻をすする音が聞こえる。向かいに面する二人の家。ここから見える彼の部屋にも電気がついているのが見える。あの部屋で、彼は今何を考えているのだろう。私の家に駆け込んだ姉のことだろうか。それとも存在のバレてしまった彼女のことだろうか。
そこにはもう、ただの幼馴染でしかない私の入り込む隙なんて残されていない。

ああ、やはり彼の本当の姉になりたかった。
そうしたら、私も彼が恋人を作ったことに文句を言えたし、文句を言いながらも祝福してあげることも出来たはずだ。
いつの間にこんなに距離が開いてしまっていたのだろう。私にはもう、こうして叶わなかった恋に零れてしまいそうになる涙を堪えることしか出来ない。