日向のきみと日陰のぼく



昼時の食堂は人が多い。
がやがやと騒々しい話し声と食器のぶつかり合う音を聞き流しながら、食べ終えたきつねうどんのお皿もそのままに、スマホで賃貸情報サイトを開いては何度も何度もスクロールする。

遠くに行こうと思いはしたものの、大学もあるし、いきなりそんな思い立ったことは出来ない。だからとりあえず一人暮らしをしてみることにした。

家を出たい、と相談した娘に対して両親は意外にも好反応で初期経費なんかは諸々負担してくれるという。聞いてみれば、もともと社会経験として大学生のうちくらい一人暮らしをするべきだと思っていたそうだけど、うるちゃんも実家から通っているし、近くにいたいのだろうと言い出せなかったらしい。
失恋が原因などとは勿論言う気はなかったけれど、一人娘の自立に楽しそうな両親を前に積もっていった罪悪感が蘇る。


「一人暮らしすんのか?」

突然背後からかけられた声に驚いて振り返ると、無駄に長身のイケメンが私のスマホを覗き込んでいた。

「ローかー、びっくりした」
「随分と険しい顔してスマホ睨んでたからな……ここいいか?」
「どうぞどうぞ」

向かいの席を勧めれば、ローは持っていたトレイをテーブルに置いた。タイミングを逃すと全然席が空いてないときあるもんな、と思いながら彼の今日のお昼を見るとカツ丼だったので少し意外だった。
いつも顔色悪そうに目の下に隈があるから、勝手に少食でお肉なんか食べないんだと思っていた。

「……まだ腹減ってんのか?」
「いや、ごめん!なんでもないです!」

あまりに見すぎたせいで、憐れむようにカツを一切れ与えられそうになり、慌てて首を振る。それを見たローは、もともと冗談のつもりだったのか、口の端を軽く上げる程度に笑ってから食事を始めた。

トラファルガー・ロー。医学部の学生だけど、教養科目で一緒になってから、時々こうして話をすることがある。食事をするローを見ながら、その一口の大きさに少しどきりとした。今まであまり意識をしたことは無かったけれど、些か不健康そうではあるもののその精悍な顔立ちはさぞかしモテるのだろう。

「で、どうなんだよ。家出んのか」
「あ、うん。しようかなって思ってるよ」
「確か、実家通いだったろ?」

その質問が、わざわざ金をかけてまで家を出るなんて、どういう心変わりだと言っているのは分かっている。頭の中で両親に話すために考えた理由をいくつかさらいながら、一番無難そうなものを探す。

「いつまでも実家で甘えてるのもどうかなーって。両親はもともと一人暮らししろって言ってたし」
「へェ」
「だけど、なかなかいいとこないもんだよねー。お金の援助はしてくれるって言ってるけど、そう高いとこ住むわけにはいかないし」

駅から多少は遠くてもいいけど、あまり人通りの少ない場所だと夜道が怖いし、間取りはワンルームでもいいけどなるべく築浅がいい。他にも挙げればキリのない要望をすべて叶えようとすれば当然予算はオーバーする。かといって何を妥協したらいいのかも分からない。部屋探しひとつでこんなに苦戦するとは思わなかった。

「どの辺で探してんだ」
「大学からなるべく近いあたりがいいなーと思って探してる」

いくつかの地名を挙げると、しばらく何か考えるようにしていたローがおもむろに口を開いた。

「それなら知り合いが管理してる部屋が空いてるはずだ」
「え、そうなんだ」
「今度見に行くか?」
「……あ、うん。お願いします」

思いもよらない提案に一瞬面食らって言葉が出なかった。少し反応が遅れながら首を縦に振れば、ローは何食わぬ顔でポケットからスマホを取りだした。

「確認しとく。週末とか空いてるか?」
「大丈夫。今はバイトもしてないから、大体いつでも合わせられると思う」
「わかった。決まったら連絡する」

その時ちょうど予鈴が鳴り響いた。移動しようと食器を片付けながら、まだ食事を続けているローに視線を向けると、次は空きコマだ、と返ってきた。そう、と頷いて軽い別れの挨拶を告げて食堂を出る。














次の講義室に向かうために階段を上りながら、ふと、踊り場で足を止めた。背後で足早に通り過ぎていく学生の気配を感じながら、まるで私だけが時間の流れから取り残されたような気分に陥る。

大きな窓から差し込んだ光が一筋の柱となり、吸い寄せられるようにそこに近づく。鬱蒼と色濃い緑を放つ雑木林に、悠々と浮かぶ入道雲。そして、それを取り囲む空の青さ。それらはまるで緻密に計算し尽くされて描かれた絵画のように窓枠に切り取られている。
私と関係ない場所でも世界はこんなにも美しい。その事実にただ、ぞっとした。

ページワンくんは今、高校の教室にいるのだろう。そして、来年も。私だって去年までは同じ高校にいたはずなのに、随分と昔のことのように感じる。
幼馴染の枠組みからはずれてしまえば、何が私たちを結びつけてくれるというのだろう。
分断された道筋、隔絶された世界。私と彼を繋ぐものなんてもう、卒業式の日に交換した連絡先くらいで、それも一度だけ二人で撮った写真が送られてきた以降、鳴る気配はない。

だけど、これが本当の距離だった。だから私は彼の本当の姉になりたかったし、出来ることなら恋人になりたかった。いつだって必死に彼に縋りつていたのは私の方で、その手を離してしまえば、ただ落ちていくだけだと知っていた。

美しすぎる景色の前で、もう何も掴めない手のひらを握りしめる。ひたひたと孤独に浸されて、足の踏み出し方も分からない。彼と続くことのないこの道をこれからどうやって歩いていけというのだろう。