なんども飲み込んだはずのこと


中庭の掃き掃除をしていたら、玄関から私の名を呼ぶ声がして慌てて駆けつける。そして、そこで待っていた人影を目にして思わず声が弾んだ。

「狂死郎親分様!」

私を見て瞳を細めた大柄な体躯。人目を引く鮮やかな髪色と着物。花の都をおさめる親分様。都の旅宿に勤めていた頃、何かと世話になっただけでなく、いよいよ宿の経営も厳しくなり暇を言いつけられることになった際に、こうしてこのお屋敷へと私を取り立ててくださったのも狂死郎親分様であった。

だからこうして、私が路頭に迷うことなく生きていけたのも、ページワン様に出会えた僥倖を与えてくださったのも狂死郎親分様なのだ。
兄のように、とまでは不躾すぎて言えないけれど、それでもその姿を見ると無条件に頬が緩んでしまうくらいには信頼を寄せている。

「久しいな、なまえ」
「ええ、お久しぶりです。いらっしゃるなら言ってくださればよかったのに……」

少しだけ拗ねたように言って見せれば、大口をあけて狂死郎親分様が笑う。だけど本当に、こうして突然お屋敷を訪ねて来られることは珍しい。いつもであれば事前に一報くださるのに。

「頼まれたものを持ってきた」
「頼まれた……?」

狂死郎親分様が一歩下がると、その背後に隠れていたのだろう、親分様のお見世の新造と思われる女性が二人現れた。その腕には少し大きめの荷物が抱えられていて目を見張る。

「あの、何かを頼んだ覚えはないのですけれど……」
「私が呼んだの」
「……うるティ様!」

覚えのないことに戸惑っていると、背後から聞こえた声に驚いて振り返る。いつの間にか背後に立っていたうるティ様が、狂死郎親分様と女性たちを屋敷の奥の客間へと招き入れる。私も慌ててその後を追いながら、突然の状況を理解しきれずにいた。






客間の中で慣れた手つきでほどかれたその荷物の中身は艶やかな着物であった。ぱっと見ただけでも上等な反物によって仕立てられたと分かるそれに、思わずうっとりとした嘆息が漏れる。

「素敵な着物ですね。この艶やかな朱色、うるティ様にきっと似合います!」
「何言ってるの、これはなまえの」
「……え?」

うるティ様が頼んだというのだから、うるティ様のものだとばかり思っていたのに予想外の返答に言葉に詰まる。そうこうしている間に、うるティ様は狂死郎親分様を部屋から追い出してしまい、残った新造の女性たちが手早く私の着物を脱がせていく。

「あの、ちょっと……」
「大丈夫でありんす。わっちどもにお任せくんなまし」
「いや、そういうことでは……」

裸に剥かれたのもつかの間、慣れた手つきで着付けの準備が始まる。畳の上に放り出された私自身の着物は、解れては繕い直し続けた跡があちらこちらに見え隠れし、色も随分と色褪せている。まるで私のようだと、心の奥に棲む何かが笑う気がした。
どれだけ高価な着物を身につけようと畢竟ひっきょう、薄汚れた下女が姫君になれるわけではない。

「やっぱり! なまえ可愛いー!」

うるティ様の明るい声に我に帰れば、いつの間にか着付けが終わっていたらしい。鮮やかな朱に花の散る小紋。黄金色の半幅帯もため息が出るくらいに綺麗なのに、まるで現実味がないせいで褒められたことにどう反応すればよいかも分からない。

「見事なものでござるなぁ」
「……狂死郎親分様まで」

私たちの騒ぎに着付けが終わったことを察したのだろう。襖を開く音と共に狂死郎親分様が現れ、愉快そうに笑い声をあげる。

「こんな屋敷に送らずに、拙者の見世に連れてくるべきであったな」
「あまり揶揄わないでください」
「揶揄っているわけではないさ。お主たちもそう思うでござろう?」

狂死郎親分様から視線を向けられた新造の女性たちからも口々に褒められ、いよいよ居た堪れない心地にすらなり始める。
そのとき、すうと伸びたうるティ様の手が私の髪に触れ、簡単にまとめただけの髪がぱさりと広がった。

「髪は私が結い直してあげる」
「え、そんな……!」
「いいの」

有無を言わさぬという響きを持ったうるティ様の声に、どことなく違和感があって、その顔を覗き込もうとする。だけど、それより先にかたんと襖の揺れる音がして、自然と狂死郎親分様の方に視線を向けてしまった。

「では、拙者たちはそろそろ戻るでござるよ」
「あ、お見送りを……」
「気にしなくていい。なまえに話したいこともあるようでござるしな」
「あー、もう、うるせぇな! さっさと帰れよ!」

うるティ様にカミつかれようと何処吹く風で、狂死郎親分様は笑いながら客間を出ていってしまう。荷物をまとめたふたりの女性も私たちに向けて一礼をして、そそくさとその後を追って行ってしまった。

ふたりきりになった客間で促されるままにその場に座れば、うるティ様も後ろに腰を下ろした。その指先が私の髪を梳く。普段あまり使うことのない客間はがらんと広く、その真ん中に座り込んでいるとやけに心許ない気持ちになってくる。

「なまえ、この間はごめんね」

沈黙の中に溶け込むように、ぼそりと呟かれた言葉。それが何を指しているのかなんて分かりきっていて、慌てて振り向こうとすれば、動かないでと諌められてしまう。

「え、そんな、あれは私が……」

所在なく畳の編み目を見つめながら、あの日のことを思い出す。次の朝、うるティ様に会ったとき、何事もなかったかのようにいつも通りで、それに甘んじて謝ることさえ出来ずにいた。
だけど、いつも通りを装いながら、ほんの少しだけ埋まりきらない溝ができたことにも気づいてはいた。それはたぶん、うるティ様も。

「もしかして、この着物はそのことで……?」
「それもあるけど、私があげたかったの」
「こんな高価なもの、とても頂けませんよ。私のようなものが着るには勿体ない……えっ!」

そこまで言ったところで、急に身体が後ろへ引き倒された。頭をうるティ様の膝の上に乗せられながら、何事かと戸惑ったまま天井を見つめる。その視界に、逆さまにうるティ様が現れる。不満そうに私に向けられる視線。

「いい? 私たちは海賊なの」
「ええ、知ってます」

そんなこの屋敷に勤める前から分かりきっていたことを、今さら確認する必要もない。この国のどんな小さな童であろうと、そんなことは知っているはずだ。
頭の後ろから温かな体温を感じながら、困って微笑めば、うるティ様の両手が私の頬を両側から挟むように掴んだ。

「海賊は奪いたいものを奪う」
「……それも、知ってます」
「ううん、なまえは分かってないでしょ」

なぜ、そんなことを聞かれるのか分からない。私自身の自覚は少なくとも、私だって十分に奪われた側の人間であるはずだ。
家族に捨てられ、故郷を追われ、やっと見つけた働き口さえも失った。そうして流れ着いた先が、その手の中であっただけで。

何を言えばいいのか分からず口を噤む。その間にも、うるティ様は私から目を逸らすことはなかった。

「与えたいものを与えるし、守りたいものは守るし」

天から降ってくるようなうるティ様の声。それが今日の着物の件、そしてあの夜のことに帰結するのだろうけど、上手く飲み込みきることが出来ない。飴玉と間違えて口に含んでしまった琥珀の結晶みたいに、味もせず溶けもせず、だけどその美しさに吐き出すことも出来ずにいる。

「ぺーたんだって同じだから」

そう言って初めて、うるティ様の視線が私から外される。そして、ついと襖の方へと向けられた。つられて私もそちらを見る。そして、まるで計ったように、その瞬間に襖が開いた。

「ペ、ページワン様」
「なまえ……それに、姉貴も何やってんだよ」

客間の真ん中で膝枕のような体勢になっている私たちを見て、丸く見開かれていた瞳がしだいに訝しげに細められていく。そこではっと、今の自分のはしたない格好を思い返し、慌てて起き上がり居住まいを正した。

「見てみて、ぺーたん! なまえの着物、私が選んだでありんす!」
「……まあ、確かに似合ってはいるけどよ、なんでこんなとこで」

似合ってるとページワン様に言われたことで、かあと頬を赤くしている間に、うるティ様が今日の出来事を語っていく。狂死郎親分様の見世に遊女として雇うべきだった、なんて冗談の話までしてしまうものだから、恥ずかしくてページワン様のほうを見れなくなってしまう。

「もう……私は夕餉の支度があるのでもう行きますからね」

これ以上ここにはいられないと、部屋を出るために立ち上がる。そのとき、不意に腕を掴まれた。骨ばった硬い指の感触。さっきまで私の髪を梳いていたうるティ様の手とは違う、ページワン様の手だ。

「あ、悪ィ」
「いえ……」

驚いてページワン様を見れば、ページワン様もまた驚いたように目を丸くしていて、ぱっとその手を離した。自分でも思いがけない行動だったのだろうと読み取れるその仕草に、このまま立ち去ることも出来ずに言葉の続きを待つ。

「なまえはここから出て行ったりしねェだろ?」

畳に視線を向けたまま、ぼそりと呟かれた言葉。それはきっと、狂死郎親分様の見世のことを指すのだろうと思ったとき、つい力の抜けるような笑いが零れてしまった。

「もちろん、私はどこにも行きませんよ」
「……そうだよな」

ページワン様の瞳に私が映る。それを見つめ返しながら、出来うる限りの慈愛を込めて、柔らかく瞳を細めた。

「許される限り、お二人の女中として、どうかおそばに置いてください」

ほんの一瞬、ページワン様の瞳が揺れる。その動きがまるで困ったように、あるいは悲しむように見えたけれど、きっと気のせいだったのだろう。






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