濁る中から恋をひとつ取り出して


二つの籠に分けた山盛りの洗濯物を庭に出して一息つく。ここ数日は生憎のお天気が続いていたので、こんなにも大量の洗濯物が溜まってしまった。だけど今日は久しぶりの晴天だ。青く澄んだ空からキラキラと照りつけるお天道様の日差しに目を細める。

「……なまえ」
「おはようございます。ページワン様」
「洗濯か」
「はい!天気がいいので、パーッと全部洗っちゃおうかなって」

よっこいしょ、と掛け声とともに籠のひとつを持ち上げる。それを見ていたページワン様が何やら溜め息を吐き出したかと思うと、廊下から庭へと飛び降りた。ざりっ、と砂を踏む音が小さく響く。

「手伝う」
「え?」

私の腕から籠を奪うようにとったページワン様が、残ったもうひとつの籠を器用に重ねて持ち上げた。私ではひとつ持つのがやっとだった物を軽々とまとめて持ち上げる姿に、つい見蕩れてしまってからハッと我に返る。

「いや、そんなことさせられませんよ!これは私の仕事です!」
「お前ひとりで何往復する気だよ……。いいから、なまえはあれ持って来いって」

クイッと顎で指された先にあるのは桶と板で、そんなものの重さなんてたかが知れている。じゃあせめて、籠のひとつも持たせてください、と言えば、面倒くさそうに眉をひそめるだけでスタスタと歩き出してしまう。

「ちょっと、ページワン様!」
「気にすんな。川か?井戸か?」
「川で……その、ありがとうございます」

これ以上何を言っても籠を返してくれはしなそうな様子に根負けして、大人しくお礼を言えば、こっちを一瞥した瞳が満足そうに細められる。その表情を見せられては、嬉しくなるのは私の方で、緩みそうになる口元を隠すように桶と板を抱え直して歩みを速める。

「おいおい、拗ねんなよ」
「拗ねてないです!」

少し後ろから聞こえる等間隔の足音。何度か見かけたことのある他の飛び六胞や大看板の皆さんと比べれば随分と小さな体躯のページワン様だけれど、ただの女の私と並べばその背丈ははっきりと違う。だから、簡単に追いつくことも追い抜くことも出来るのに、私が機嫌を損ねていると思って、敢えてゆっくりついてきてくれているのだろう。

こうして一緒に歩くだけで、木々の緑も空の青さも、流れる空気さえも、いつもよりずっと鮮やかさを増しているような気がするのは恋の魔法というやつなんだろうか。











そうして辿り着いた近くの小川で持ってきた洗濯物を洗っていく。こうして働き始めて数年、一通りの家事は生活の一部として難なくこなせるようになってきたけれど、その中でも洗濯は特に好きだ。漂う石鹸の香りと程よく冷たい川の水に心の奥の方まで、すうっ、と梳くように軽くなる気がする。

しばらく集中して手を動かしていると、肩のあたりが痛くなってきたので、凝りをほぐすために腕を回しながら振り返る。そこでは河原の近くに腰を下ろしたページワン様が、ちょうど飛び去っていく一羽の鳥を眺めているところだった。

「待っていて頂かなくても、先に帰って大丈夫ですよ」
「洗ったもんどうすんだよ。水吸ったら行きより重いだろ」
「何度かに分けますから平気ですって」
「それなら一緒に持って帰った方がラクだろ」

これで話は終わったとばかりに膝を抱えて座り直して、くあ、と欠伸をするページワン様。そんな姿を困ったような嬉しいような気持ちで見つめてから、視線を川面に移した。川を流れる水に太陽の光がキラキラと反射する。
一つ目の籠の分を洗い終えたことだし、少し息抜きでもしようかなと思い立ち、草履と足袋を脱いで水の中に足を入れた。くるぶしよりも上のあたりまでしかない浅い川瀬で、着物の裾を少しだけ持ち上げる。

「……何してんだよ」
「ちょっと休憩です。ページワン様もどうですか?」

そうは言ってみたもののページワン様が一緒に遊んでくれるとは思えないので、反応は確認せずに川の中をチャプチャプと水音を立てながら歩く。すると水面に影が落ち、それを追うように顔を上げればページワン様がいるものだから、思わず驚きに身体が固まってしまった。

「思ってたより冷てぇな」
「……本当に来てくれるとは思いませんでした」
「はァ?呼んどいてなんだよ」

心外そうに瞳を細めたページワン様と、二人で川の水に足を浸すこの状況がなんだかおかしくて、えいっ、と足を蹴りあげて水を飛ばす。やめろよ、と言われるものの、それがそこまで本気ではないことがちゃんと伝わるくらいの付き合いはしてきているつもりだ。

「ページワン様と水遊びしたなんて言ったら、うるティ様に怒られちゃいますかね」
「姉貴はなまえに甘いからな。怒られんならおれだろ」

ずるいでありんすー!とページワン様に噛み付くうるティ様を簡単に想像できてしまい、思わず笑いが込上げる。クスクスと声を漏らして笑っていれば、ページワン様が呆れたように肩を竦めた。

「でもまぁ、そもそもおれたちは能力者だから、水遊びなんてそこまで喜ばねぇだろ」
「え」

思いがけない言葉に、きょとん、とページワン様を見上げる。能力者というものについては少し説明してもらったことがある。不思議な力を使える妖力のようなもので、その代わりに一切泳ぐことが出来なくなるらしい。

「なんだ、忘れてたのかよ」
「……この程度の水でもダメなんですか?」
「別にこれくらいなら問題なくても、好き好んで入りたくもないんだよ。向こうの方は深くなるしな」

ページワン様もうるティ様もその能力者というもので、どうやら恐竜になれるそうなのだけど、ただ同じお屋敷で生活しているだけの私には、当然のようにその姿を目にする機会などそうそうない。だから、人の姿が変わるというのはどうも上手く想像しきれないのだ。

「じゃあ、どうして……きゃっ」
「あ、おい!」

どうして来てくれたのか、そう尋ねようとしたとき、川底のぬかるみに足を取られて、ぐらりと身体が後ろに傾く。ああ、これはびしょ濡れだ、と来たる衝撃に向けて目を閉じる。だけど、寸前で腕を引かれたことで、倒れ込むことはなく済んだ。
ゆっくりと瞳を開ければ、私の手を掴んだページワン様が、焦りと困惑のこもった瞳で私を見下ろしている。

「気をつけろよ……」
「す、すみません」
「ほら、もう戻るぞ」

掴んだ手は離されることなくそのまま河原へと連れていかれる。掴まれた手首の熱さと、けたたましく鼓動する心臓に上手く言葉が紡げない。

黙って俯いたたままページワン様の後に続けば、ゆらゆら揺らめく水面に手を握りあった私たちが映る。鏡面のように透き通った水。そしてこの水は流れゆく先で汚され、乾きに苦しむ人々が今日もまた倒れ伏すのだろう。

そう、この国の行く末は今よりも深い絶望と悲しみだ。いつの日か、この国には人など住めなくなるときも来るかもしれない。そして、今こうして繋がれたこの手は紛うことなく、その終焉へと導く一端となる。
だから、この恋はとても褒められたものなどではないし、多くの民からは咎められ蔑まれるものなのだろう。だけど、それがなんだとも思う。この恋さえあれば、私はどんな地獄でも生きていける。どれだけ恨まれようと貶されようと、奈落も地獄も受け入れる。この時間が少しでも長く続くのならば、どれだけの人間が犠牲になろうと構わないとさえ、本気で思えてしまう。








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