落ちると満ちる


あっ、やばい。そう思った瞬間にはもう遅く、手に持っていた古ぼけた箱は宙を舞い、ぶつかりあって派手な音を響かせた。そして同時にお尻を強打した鈍い痛み。舞い上がった埃のせいでゲホゲホとむせ返る。

「おい!凄い音がした……ぞ」
「あ、ページワン様。ちょっと起こしてもらってもいいですか」

戸が開け放たれたことで薄暗かった蔵の中に光が差す。何が入っているのかも忘れてしまった箱の中に埋もれながら、入口で、ぽかん、と私を見つめるページワン様に救いの手を求める。そこでやっと理解が追いついたかのように慌てて駆け寄ってきてくれた。

「落ちたのかよ」
「あはは、体勢を崩しちゃって」
「どこか痛むか?医療班呼ぶか?」
「大袈裟ですって。そこまで高いところでもなかったので大丈夫ですよ」

私の身体を助け起こしながら、あれこれと心配してくれるページワン様。このままお医者様のところまで連れて行きかねない勢いをなんとか制する。
すると蔵の外からまたパタパタと足音が近づいてくる。

「なまえー?なんかあった?大丈夫でありんす……か」

蔵を覗き込んだうるティ様がそのまま静止する。その反応がページワン様と一緒だな、と呑気に思いながらハタと気づいたけれど、人気のない蔵の中でページワン様の腕に抱きかかえられた今の状況はまずいのではないだろうか。

「あ、違うんですよ!私が棚から七輪を取ろうとしてたら落ちちゃって、そこをページワン様が……」
「えっ、大丈夫?なまえかわいそう〜」

そう聞くや否や、私のおなかに抱きつくように飛びついたうるティ様。それをページワン様が「やめろ!怪我してたらどうすんだよ!」と窘める。おそらく打撲すらしていないのに、こんなに心配をされてしまって申し訳ない。どうせこの蔵なんて入るのは私だけだしと、整理もせず棚にあれこれと詰め込んだ無精さを今更ながらに後悔する。

「ってか、七輪なんて取ろうとしてたのか」
「そうなんです。狂死郎の親分様がとってもいいお魚を届けてくださって、せっかくだから炭火で焼こうかと」
「はァ?じゃあ、なまえが落ちたのはアイツのせいでありんすか!」
「違います違います!それは私のズボラさです!」

狂死郎親分様は私をこの御屋敷に取り立ててくださった方でもある。本当にうるティ様がカミつきに行ってしまっても笑いながら許してくれるだろうけど、こんな情けない話が伝わるのは恥ずかしすぎるのでなんとしても避けたい。

ページワン様の腕から飛び起きて、今度は私がうるティ様のおなかへと腕を回して抱きつきながら引き止める。それを呆れたように見ていたページワン様が視界の端で、すくっ、と立ち上がった。

「七輪ってことは、アレを取ればいいんだよな」

指さされた先を見れば、探していた七輪が顔を出している。去年、サンマを焼くのに使ったまま棚の奥へ奥へとしまい込まれてしまっていたものだ。そしてその手前にどんどんと新しいあれこれを置いてしまい、それを退かす手間をこれまたサボった結果、腕いっぱいの荷物と一緒に落ちるといった先刻の結果を思い出して再び羞恥に襲われる。

うう、と情けなさのあまり呻き声を漏らしているとページワン様はその棚のもとへと歩み寄っていく。私の代わりに取ってくれようとしているのだろう。だけど、この立派な御屋敷の蔵だけあって、そびえ立つ棚はページワン様より遥かに高い。

「あっ、踏み台がいりますよね!すみません、私と一緒に箱に埋もれちゃってて、多分その辺に」
「いや、このままでいい」
「え。でも、それじゃあ……」

届かない、と言いかけたとき、ページワン様の姿がみるみる変わり言葉を失う。肌の色は黒く、見るからに硬さを増し、顔も人間のものから獣のように変化する。口からは牙が伸び、背丈も見上げるほどだ。そして、悠々と棚の一番上にあった七輪を手に取った。

「ほら、これでいいんだろ……なまえ?」

それを手渡されるものの、私の身体は思うように動かず、ぎこちなく受け取るのが精一杯だった。そんな私を見下ろしながら、ページワン様は何が合点がいったように頷く。

「あァ。こんな姿が怖ェよな、すぐに戻るから」
「ちが!違うんです!その……格好いいのと、嬉しくて」

ぼんやりと惚けていたせいで、あらぬ誤解をされていることに気づいて慌てて声を上げる。こんなおこがましいことを口にしてもいいものかと悩みながら発した言葉は、次第に尻すぼみになっていくもののページワン様にはしっかりと届いたらしく眉をひそめられる。

「嬉しい?」
「そういった能力をお持ちなのは聞いていたんですけど、見たいなんて言えなくて。だから……こうして見ることが出来て、嬉しいです」

ページワン様の顔を最後まで見ていられなくて俯く。顔が熱い。おそらく今私の顔は見るに耐えられないほど赤く染っているに違いない。ページワン様も何故か何も言ってくれないので、沈黙があまりにも気まずい。

「ぺーたんばっかりなまえに褒められてずるいでありんす!」

そんな沈黙を切り裂くように高らかに声を発したうるティ様に視線を向けると、これまたその姿が変化している最中だった。額から伸びる角に、ページワン様と似ているようで異なる姿かたち。

「ほら、なまえ!どうでありんすか?」
「わぁ、うるティ様も凄いです!格好いい。それに可愛いです!」
「……可愛くはねェだろ」
「あァ?ぺーたん、今何つった?」

こんなに姿は変われど、いつもと変わらぬ二人のやりとりにクスクスと笑いながら、そっとページワン様の腕に触れてみる。

「私は学がないので恐竜というものをあまり知らないのですが、こういった姿をしているのですね」
「いや、これはまだ……」
「なまえが見たいなら見せてあげるでありんす!」
「おい!こんな狭いとこではやめろよ、姉貴!」

うるティ様の姿がまた変わろうとしたその瞬間、庇うようにページワン様の腕に抱き寄せられる。その逞しい腕の感触に、とくり、と胸が高鳴った。そして今さら倒れていた私を抱き上げてくれたページワン様のことを思い出して、一度は引いたはずの熱が戻ってくる。
うるティ様とあれこれ言い合っているページワン様が、この赤く染った頬に気づかないことを祈りながら、そっと両手で口元を覆う。

この腕と力で、この国どころか海の外でも多くの人間を殺め、あったはずのその幸せと未来を壊してきたのだろう。想像するも耐えない、恐ろしく凶悪な残酷さが隠すこともなく目の前にある。そうと知りながら私は、この腕に包まれて、甘く優しいたおやかな心地で満たされていくのだ。






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