雨に煙る町にて


店を出るとさっきまでは晴れていたはずの空に黒く重苦しい雲が垂れこみ、雨粒が、しとしと、と降り注いでいた。激しく打ち付けるようなものではなく、微かに地面に跳ねる水音が聞こえる程度の雨ではあるものの、ちょうど店で買ったばかりの包みを見て思わず溜め息が零れる。

今日は時折貰える休日で、都にまで買い物に来ていた。十分なお給料が貰えるだけでなく、こうして休暇まで貰えるのだから、本当に待遇のいい職場である。
目の前の通りを色とりどりの番傘を持った人々が通り過ぎていく。こうして待っていれば、この雨は止むのだろうか。いっそ私も潔く傘を買うべきだろうか。

「雨宿りか」
「あら、ドレーク様」

ふと隣に立った影に気づいて顔を上げれば、何度か見かけたことのある人物で驚いた。ページワン様たちと同じ飛び六胞の一人、ドレーク様。町を行き交う人々もその存在に気づいたようで、ちらちらと私にまで視線が向けられる。

「まさか雨が降るとは思わなくて。これくらいの雨なら走っていもいいんですけど、今日はこれを買ってしまったので」

手に持っていたお菓子の包みを見せれば、ドレーク様はしばらく躊躇うように何か考える素振りをしてから溜め息混じりに肩を竦めた。

「……送っていこう」

ばさり、と手に持っていた黒色の傘が目の前で広げられる。当然だけれどドレーク様は傘をひとつしか持っておらず、必然的にひとつの傘に二人で入る形になる。しかし、最初こそ緊張したものの、入ってみればドレーク様と私の背丈の差が随分とあるせいかあまり相合傘という感じはしなかった。

ぽつぽつ、と傘に跳ねる雨粒の音が普段より高い位置から降るように聞こえてくるのが変な感じだ。空は相変わらず重苦しい雲に覆われ、道端にはもういくつもの水溜まりが出来上がっている。

「それにしても」
「なんですか?」
「……この雨の中を走るつもりだったとは、なかなかお転婆だな」
「あっ、それは……!」

何気なく口にしてしまった、このお菓子さえなければ走っていたという言葉。降り続く雨は夕立ほどの激しさはないものの、確かに年頃の女が走り抜けるには雨足が強いかもしれない。それをまるで幼子のようにお転婆などと評されて、カッと頬に熱が宿る。

「ドレーク様は、意外と意地悪にございますね」
「別に揶揄うつもりでは……」

拗ねた私の眼差しに気づいたドレーク様がこちらを一瞥すると、ふと視線が私の手元で止まる。大事に抱き抱えた菓子屋の包み。

「少し量が多いようだが、それは、あの二人と食べるつもりなのか」
「はい、うるティ様とこの間ここのお菓子が美味しいって話をして、せっかくなのでお土産に」
「随分と、仲がいいようだな」
「……ええ、よくしてもらってます」

言葉に剣のこもっていたような気がしてドレーク様を見つめ返せば、やはりそこには拒絶のような冷たさが見てとれる。最初に傘に入れてくれた時とは違う。今、はっきりと壁を作られた。

「とてもただの女中には見えないな」

傘を打つ雨音と脈を打つ鼓動が混ざり合い、嫌な不協和音を響かせる。うっかり踏んでしまった泥濘で、跳ねた泥が真っ白な足袋にいくつかの黒い染みを作った。

「あまり情は入れ込み過ぎない方がいい。おれたちは住む世界が違う」

おれたち、というそちら側にページワン様もうるティ様もいるのだろう。同じ屋敷の中に住んでいても、共に食卓を囲んでも、越えることの出来ない絶対的な境界線。

「どんなに親しくしたところで、おれたちがこの国を踏みにじっていることには変わりない。命じられたなら、君だって手にかけられるだろう」

こちらを盗み見ながらヒソヒソと声を潜めて話し合う町人の近くを通り過ぎたとき、断片的にその声が耳に届く。「あの旅館に働いていた」と「可哀想に」という言葉。それが可笑しくてつい笑ってしまいそうになるのをなんとか堪える。

そうか、この人たちに私は望まぬ奉公をさせられている可哀想な娘に見えているのか。私がどれだけこの毎日を幸せに思っているかも知らないで、その幸せのためならこの国も民もどうなってもいいと何度思ったかも知らないで、私を哀れんでくれている。

風に潮の香りが混ざり始める。もう港はすぐそこだ。ドレーク様を見据えなおして、口元に笑みを浮かべてみせる。

「そんなこと百も承知の上で慕っているのだと、そう言ったらどうされますか?」

一瞬大きく瞠目したドレーク様が何か言いかけたとき、今度は爆ぜるように前方に視線を向けた。なんだろうと私もそちらを向いてみると霧の中から現れた思わぬ姿に呆然とする。

「……なんでここに」
「傘持たないで行ったろ。そっちは雨だって聞いたから、どうせ濡れて帰ってくる気だと思って……」

ページワン様もまさかこんな所で私に会うとは思わなかったのか、私と、そして隣に立つドレーク様を交互に見る。

「……なら、おれはもういいな。まだ都での仕事が終わっていないからおれは戻るぞ」
「あっ、ドレーク様!」
「おい、濡れるぞ!」

大きな溜め息を吐き出してから踵を返して港の方に戻って行ってしまうドレーク様。遮るものがなくなり、頬に冷たい雫が数滴あたる。雨に烟る視界に消えていこうとするその背中を追おうとすると、腕を掴まれてページワン様の傘の中に引き込まれる。わざわざ送ってくれたお礼も言えず、言いかけたあの言葉の続きも聞きそびれてしまった。

ページワン様にもお礼を言わなければと振り返ると、思ったよりも近くにその顔があって驚く。さっきまでドレーク様といたものだから、なんとなくその感覚で考えてしまっていた。ひとつの傘の下で、肩と肩の触れ合う距離。

「……ほら、これ」
「あ、ありがとうございます」

同じように気まずげに目を逸らしたページワン様が、その手に持っていた私が普段使っている傘を差し出す。それを受け取ってページワン様の傘から出れば、その間に開いた距離が随分と離れたように感じる。
いつまでも同じ場所で雨を凌がせてもらえるわけではない。ぶつからないように、邪魔にならないように、出来るだけ近づこうとするこの場所が、私にとっての精一杯。

「じゃあ、戻りましょうか?」

船に向けて歩きだしてみるものの、何故か動こうとしないページワン様に首を傾げる。

「どうかしました?」
「あー……少し散歩をしてから帰るか」

首のあたりに手を当てながら、言いにくそうに口にしたページワン様の言葉。それがじわりと鼓膜に馴染む。ぽつぽつ、と相変わらず止む気配のしない雨粒が、それぞれの傘にあたっては別々の音を立てる。
色違いの傘を差して、雨粒の壁で世界から隔つように二人で並んだこの時間をページワン様も少しは愛しく思ってくれているのだろうか。そうだとしたら、こんなにも泣きたいくらいに嬉しく思う私の気持ちは一体どこまで届いているのだろう。

「……はい!喜んで!」

海から流れ込んだ霧によって、数歩先も見えぬほど視界が悪い。例えもし、誘われたこの先が深く暗い奈落に続いているのだとしても、私は迷うことなく足を踏み出すことが出来る。









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