01
枕元で持続的な震えを続けるスマホのアラームを止めて、もう一度布団を手繰り寄せる。しばらくそのままじっとしてから、なんとか重たい瞼を開いた。カーテンの隙間から漏れ出す光は、確かに朝が来たことを告げている。
朝が苦手という程ではないけれど、今日が仕事だと思うと体が重い。週に五回もそんな平日の朝が待ち受けているのは、どう考えても間違っていると思う。それでもなんとか起き上がって、隣で眠る彼の寝顔を盗み見ているうちに自然と目も覚めてきた。
2LDK。駅から徒歩15分。私が大学を卒業して社会人になるのを機に、二人でここで暮らし始めてから一年以上が経とうとしている。それなりに生活も馴染んできた。
「うっわぁ……天気いい」
昨夜は遅くまでバイトだったペーたんを起こさないように寝室にしている部屋を出て、リビングのカーテンを開ける。窓際に置かれた観葉植物に霧吹きで水を吹きかけ、その他諸々の朝のルーティンをこなす。
身支度を終えたところで、キッチンに立って昨日買っておいたお気に入りのパン屋の山型食パンを手に持った。それから冷蔵庫を開けて、卵をじっと睨みつける。
目玉焼きが食べたい気がするけど、朝から洗い物が増えるのは少し面倒くさい。そんなものぐさっぷりを発揮していると、後ろから戸の開く音がする。
「なまえ」
「あれ、もう起きたの?」
「……洗い物やっとくから、おれの分も」
「今日午後からなんだから寝ててもよかったのに」
「見送ってからまた寝るからいい」
まだ眠いのか、気だるそうにキッチンまで来たぺーたんはあくびを噛み殺しながら、私が開け放したままの冷蔵庫からコーヒー豆の袋を取り出す。私もそれに続くように卵をふたつ手に取る。
「あっ、コーヒー私も飲みたいなー!」
「わかってるって」
ぺーたんがバイト先のスペインバルから貰ってくるコーヒー豆はとても美味しい。特に詳しいわけでもない私にも違いがわかるくらいなのだから、かなりいいやつなのではないだろうか……なーんて、実は密かに思っている。
シンクの下にしまってある電動ミルを取り出すぺーたんを見ながら、私もフライパンを火にかける。しっかり熱したフライパンに卵をふたつ割り落とせば、じゅう、と音を立てた。それを聞いてから蓋をして、その間にパンをトースタに入れる。
「ぺーたん」
「ペーたん言うなや」
「なんかそれ、久しぶりに聞いた気がする」
ドリッパーにお湯を注ぎコーヒーを落とすペーたんに後ろから抱きつけば、自分でも久しぶりに言ったと思ったのか、ぺーたんが照れるように笑った。そして、空いてる方の手で私の髪を撫でてくれる。そうしている間もお湯を注ぐ手が止まらないのだから、さすが手馴れているだけのことはある。
そうこうしている間に出来上がった朝食をテーブルに並べれば、トーストの香ばしいにおいとコーヒーの芳しい香りが部屋を満たした。
「あー、美味しそう!朝から贅沢!」
いただきます、と手を合わせてトーストを齧る。朝から食べるのが、スーパーの安売りではなく、パン屋の食パンというだけでこんなに幸せになれるのだから、私の人生かなり単純なのかもしれない。いや、確実に単純だ。だって、同じようにトーストを食べるペーたんの一口が私よりもずっと大きいというだけで、こんなに嬉しくなるのだから。
窓の向こうの青い空に薄く伸びた雲がゆっくりと流れていくのを眺めて、ふうっと溜め息にも似た吐息を零れた。
「こんなに優雅な朝なのにどうして会社に行かなければいけないんだろう……」
「毎朝それ言ってるよな」
「これはもう一日を始めるための魔法の言葉みたいなものだから」
コーヒーを一口飲んだペーたんが「なんだよそれ」と瞳を細めて、それにつられて私も笑う。こうしてふたりで笑い合うところまでがこの魔法のセットなんだって思ったけど、教えてはあげない。
「あ、今日遅くなるかも」
「残業か?」
「そうー、今忙しいんだよね。ペーたんはバイトだっけ?」
「おー」
食べ終わった食器を流しに片付けて、軽く身だしなみのチェックをしてから仕事用のバッグを持つ。そうして玄関で靴を履いている間にペーたんが鍵を取ってくれた。
「じゃあ、気をつけて行ってこいよ」
「うん、ぺーたんもね」
大袈裟なくらいに手を振って、玄関の扉を開ける。窓越しに見て分かってはいたけど、本当にいい天気だ。強い陽射しを降り注ぐ太陽に目を細めて駅に向けて足を踏み出す。
これからあの部屋で、ペーたんは洗い物を済ませてくれて、そしてまたベッドに戻るのだと考えたら、いつもより足が軽くなって、ふふっと笑いが零れる。そんな一日のはじまりはやっぱり、とっても贅沢だ。
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