05
満開を迎えていたキャンパス内の桜は少しずつその花を散らし、アスファルトを斑なピンクに染上げる。まだ新たな学生を迎えたばかりの学内はどこか浮き足立っていて、すれ違う彼らを見ては自分も二年前はこうだったのだと懐かしい気持ちになった。
そんな話を友人にすれば、たった二年で何を老け込んでんのと言われるけど、大学という小さな枠組みの中ではやはり二年という歳月は大きいと思わざるを得ない。
「あの」
「はい?……え、こわ」
そんなことを考えながらぼんやりと歩いていたら急に呼び止められた。振り返ったら、厳つい目付きに、鮮やかな紫の髪は何故か片側だけ長く伸ばされ、さらに黒マスクときた柄の悪そうな姿が目に入って思わずポロッと口をついた言葉が零れてしまった。
はっきりとそれを聞いたであろう彼が瞳を大きくするので、慌てて口を押さえるも時は既に遅し。私たちの間に何とも言えない気まずい空気が流れる。
「あ、いや、ごめん、違うの……ほんと、ごめんなさい」
「いや……」
「えっと、なんのご用で……」
「あァ、301教室が知りたくて」
見ない顔だとは思っていたけど、やっぱり新入生だったかと心の中で頭を抱える。入学早々先輩に不躾なことを言われるとは思っていなかっただろう。
彼が傷ついていないことを願いながら、手早く教室の場所を教えて、最後にもう一度謝れば、彼は目を逸らしながら軽く会釈をして去っていった。
「ってことがあって、本当に申し訳なかった」
「なまえってすぐ思ったことが口に出るから」
「違うの……不意打ちだったからつい」
午前の講義がすべて終わり、食堂へ続く並木道を歩きながら、今朝この道であった出来事を話す。呆れた、とでも言いたげなナミの視線を感じながら、肺の底から空気を絞り出すように深い溜め息を吐き出す。
「それよりサークルの方はどうなの?今年から部長なんでしょ」
「うーん、まあそこそこかなー。思ってたより入らなかったけど、まあ別に人が多くなきゃいけない活動でもないし」
「映画研究サークルとか敷居高そうだものねー」
「実際は大教室で映画上映してるだけなんだけどなぁ」
先週まであった新入部員の勧誘期間で集まった入部届けは十六枚。例年の経験からしたらそのうち半分以上は幽霊部員となるんだろうな、という予感がしている。
毎週の活動に顔を出すのは多くて十数人なのに、飲み会となるとやけに人が多くなる部の伝統は今年も継続となりそうだ。
「ナミもいい加減入ろうよー」
「嫌よ。そんなのお金になんないし、バイトの時間が減るじゃない」
駅前の居酒屋をメインに、日雇いの派遣にも登録しているナミの多忙さは知っているので、もともと頷いてもらえるとも思っていない。「そうだよねー」とあっさりと身を引く。
きゃあ、と明るい楽しそうな声がして、中庭に置かれたテーブルに集まる男女のグループをぼんやりと見つめていると、ふいに肩を叩かれた。
「あ、アレじゃない?さっきなまえが言ってた」
「あっ、そう、彼!」
「丁度いいじゃない。勧誘しとけば?一年なんでしょ」
「え?」
工学部の講義棟から出てきた集団の中に確かに今朝見かけた彼の姿があったので頷くと、ナミは颯爽とそこに向かって歩いていってしまう。思いがけない展開に頓狂な声をあげてから慌てて追いかければ、ナミはもうすでに彼に話しかけてしまっている。
その後ろでどうしたものかと居心地悪く躊躇っていると、ぽんっとナミの両手が私の背中を押した。
「この子が話があるって言うから。じゃ、私は先に食堂行っておくわね」
「ちょっと……!」
またしても颯爽と今度は食堂に向かっていくナミ。陽光に照らされたオレンジの髪はいつも以上に鮮やかさを増し、通り過ぎた数人の男子学生が彼女の方を振り返るのが見えた。
一方で、取り残された私たちの間には今朝とはまた違う気まずさが漂う。
「なんか、ごめんね……」
「……話って」
「あ、えっと、サークルってもう決めてる?」
「いや、まだ」
先週使った勧誘用のビラがまだ残っていたはずだと、肩にかけたトートバッグからサークル用のファイルを取り出す。そこに入った春休みに部員たちで作った映画のフライヤーを切り貼りしたビラを彼に手渡した。
「これとか、興味無いですか?」
「映画研究?」
「といっても、ただ週に二回好きな映画を見るだけで、事前にその日に見る映画は伝えるから気になるやつの時だけ来てくれたらいいんだけど」
改めて説明すると変な活動だな、と思いいつつ、ビラの文面を見つめる彼の顔を見上げる。最初こそ怖いとは思ったものの、こうして見ると数ヶ月前までは高校生だった名残のあどけなさもあり、少し可愛いかもしれないなんて邪な考えが頭をよぎる。
「……見学とかって」
「うん、大歓迎!この時間に来てくれてもいいし……よかったら連絡先教えてくれたら、観る映画とか教えるよ」
スマホを見せれば、彼もまたポケットから黒いカバーに縁どられたスマホを取り出した。そうして交換した連絡先。メッセージアプリに追加された彼の名前を口に出してみる。
「ページワンくん、か。じゃあ、よければぜひ連絡ください」
意外にも好感触だったことを嬉しく思いながら、ずり落ちそうになったトートバッグを肩にかけ直してページワンくんに軽く微笑みかける。彼も最初あった時のように小さく会釈をして、図書館の方へと歩いていった。
遅くなってしまったので日替わりのランチは残っていないかもしれない。少し焦って食堂へと向けて足を向ける。
その時、春らしい強い風が吹き抜けて一度は散った桜の花びらを再び空に舞い上がらせる。それを追うように振り返ると、少し離れたページワンくんもまたこちらを見ていて、その瞳と視線が重なった。
舞い散る桜吹雪に、見つめ合う男女。これがもし映画のワンシーンだったら、ここから恋でも始まりそうだな、なんて現実味のないことを考えたら可笑しくなってきて、ついクスッと笑いが零れてしまう。いきなり笑った私に困った様子の彼に軽く手を振って、再び食堂を目指す。踏み出した足取りは、朝よりもずっと軽かった。
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