06
「はーい、じゃあ感想ノート書いたら解散で」
講義室のスクリーンを片付けながら声をかければ、今日の活動に集まった部員たちはガヤガヤと映画の感想を話しながらノートを回し始める。
映画研究サークルのノートといっても、書いてある感想なんて「面白かった」とか「あの俳優がカッコよかった」とかそんなものばかりだ。
「なまえ、これからご飯行くけどどーする?」
「あー、今日コレ返して、次の借りに行っちゃいたいからいいや」
「りょーかい!」
軽く手を振ってみせれば、声をかけてくれた友人も頷いて他の部員を連れ立って講義室を出ていく。おそらく行き先は近くのファミレスだろう。
そこでふと、まだ残った部員がいることに気づいて視線を向ける。
「ページワンくんは行かないの?」
「そっちに付き合おうと思って」
顎で差されたのは私の手元で、デッキから取り出したばかりのディスクが蛍光灯の人工的な光を浴びて輝いた。
「いいの?返して、次の借りるだけだよ」
「それ、おれのリクエストだし」
「そんなのみんな順番なんだから気にしなくていいのに」
「……あと、時間あればどっかでメシでも」
おそらくそれが核心だったと勘づきながらも、目を見張ってページワンくんを見つめれば、すうっと視線を逸らされた。その頬はわずかに赤く染まっている。
廊下を通り過ぎたどこかのサークルの楽しげな声が聞こえてきて、それがより私たちの間の沈黙を際立たせる気がした。
「……奢んないよ?」
「いらねェよ」
「ふふふ、冗談。じゃあ、カーテン戻してもらっていい?」
肩を竦めてから窓辺に近づくページワンくんを見送って、帰りの支度を進める。今日の参加者の感想の書かれたノートをしまおうとした手をとめて、ぱらぱらとページを捲っていく。
あの桜並木で彼に声をかけた日から、ほぼ毎回の活動に参加しているページワンくんの、綺麗ともまた違う、とめはねのしっかりした男の子らしい文字にそっと指を這わせた。
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店を出るとまだ残暑の厳しい夏の空気がまとわりつく。近くを通った居酒屋の看板に羽虫が集まっていて、思わず飛び退けば、隣を歩いていたページワンくんがクッの堪えきれなかったように笑った。
「今バカにしたでしょ」
「してねェって。被害妄想やめろよ」
「先輩への尊敬が足りない」
「しなくていいって言ったのはなまえだろ」
「でも、バカにしていいとは言ってない」
ページワンくんは私と二人の時、私を呼び捨てにするし敬語も使わない。それを私は許している。もちろん、彼が敬語が使えないとか、年上を敬わないとか、そういうことではなくて、気が抜けるのだと彼が言ったから。
最初にポロッと彼が私に対してタメ口を使ったのは、まだ入部してすぐの活動の日で、その日一番に来たページワンくんは諸々の準備を手伝ってくれていた。プロジェクターの使い方について尋ねる彼の口調からいつの間にか敬語が抜けてるな、とは気づいてはいたけど、それほど上下関係を気にする質でもないからそのままにしていた。
その時ハッと彼がこっちを向いて、謝罪の言葉と一緒に口にした「気が抜けて、つい」が、じんわりと胸に染み渡った感覚を覚えている。自分でも変だとは思うけど、そうか彼にとって今は気が抜ける瞬間なのだということが、どうしようもなく嬉しかった。だから、二人の時はそれでいいと言ってしまったのだろう。
「そういえば、今日のってページワンくんのリクエストだったじゃん。ああいうのが好きなの?」
毎週観る映画は部員のリクエストを順番に聞いていくことになっている。ページワンくんのリクエストだった、有名な恐竜映画のシリーズ一作目について尋ねれば、彼は一度考えるように宙に視線を向けて、それからまた私の方を見た。
「まァ、あのシリーズはわりと何度も観てる」
「そうなんだ」
「嫌だったか?」
少し困ったようなページワンくんの表情に慌てて首を振る。
「いや、好きだよ!私もシリーズは一通り見てる」
「あァ、でもあの監督だとナマエはあれの方が好きそうだよな。宇宙人のやつ」
「ああ、これ?」
人差し指を差し出してあの有名なポーズのマネをしてみれば、一瞬躊躇ってから彼も指を差し出した。ゆっくりと指先が触れ合った瞬間、どちらともなく声を出して笑う。
ふと、通りかかったオフィスビルを見上げる。もう二十時をすぎているけれど、どの階にも明かりが灯り、時折窓の向こうを通る人影が見えた。
「でもね、あの監督の作品で一番好きなのはそれじゃなくてね」
映画のタイトルを口にしてみると、ページワンくんは素直に知らないと首を振った。
通りの向こうでは工事中を知らせるライトがチカチカと点滅している。
こんなふうに私たちが過ごしている間にも働いている人がいて、社会が回っているのだということが不思議に思うことがある。あと二年もすれば私だってそちら側に行くという実感が持てなくて、それこそ映画や小説の出来事のように感じる。
ああ、きっと、こういうのをモラトリアムと呼ぶのだと思ったら、安っぽい感傷に突き動かされたことに急に自嘲的な気分になった。
「評価は分かれるけど私は好きでね、女性っていうか、人間の生きる強さみたいなのが胸を打つの」
「へェ」
ページワンくんの返事が決して興味のないものではなくて、私の好きな物に純粋に寄り添おうとしてくれている響きがあって、やっぱり好きだなと思う。そう、好き。私はたぶん彼に恋をしていて、だから彼のさりげない断片にいつも心を惹かれる。
「腹減ったな」
「そうだねぇ、どこで食べようか」
目の前から向かってきた自転車を、さりげなく私を庇うように避けたことにも、また静かに胸が高鳴る。
恋にはいくつかの種類があって、たとえば、激しく瞬間的に沸きあがるものと、ゆるやかな永続性を感じるもの。そして私は彼との恋にそんな時間の間断なさを感じている。彼との間には私たちをゆっくりと深めていく多くものがあって、その一つ一つを拾い集めていくのだろうという予感。
だからつい、勿体ないと思ってしまう。その始まりを告げる前の、この曖昧な距離感。それをもう少しだけ感じていたくて、視線の先で揺れる彼の手に触れれば、きっと握り返してもらえると知りながら、手を伸ばせないままでいる。
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