行き詰まり

ゆるやかに夕暮れの気配を帯びる都を狂死郎親分様と並んで歩く。道を行き交う人々は、親分様の姿を見るなり、ハッと慌てて道を開ける。そして、俯きがちの横目に不躾に此方を瞥見してくる。その視線にこもる恐れと侮蔑。過ぎ去った背後から風のように揺れ聞こえるさざめごともまた、聞いていて気持ちのよいものではない。
けれど、狂死郎親分様はそんなもの気にもとめず、飄々と薄ら笑いを浮かべて、自身にまとわりつく風を切るように歩いていく。その姿はやはり花吹雪のように鮮やかだ。

「どうかしたか?」

あまりに見すぎてしまっていたせいで、歩みをゆるめた親分様が私へと視線を向けた。細い瞳が弧を描き、愉快そうに私の顔を見つめる。なんでもない、と首を振ろうとしたとき、頭に過ったのは忘れることも出来ないあの人のことだった。

「……フーズ様は、お元気ですか?」
「そうだな、特に変わりはないだろう」
「そうですか」

出来るだけ平然と口にしたつもりの声は、思っていたよりもずっと、か細く掠れてしまう。一体、何を期待していたというのだろう。フーズ様が手放した私の安否を慮り、後悔でもしていて欲しいのか。あるいは、私を追いやったのはすべて意地の悪い冗談で、そろそろ迎えに行こうと思っているとでも言って欲しいのか。

そんなことがあるはずないと、十分すぎるほどに分かっているのに、勝手に悄然としてしまう愚かさ。それに打ちのめされていると、隣で狂死郎親分様がクッと喉を震わせて笑った。その顔を見上げると、細められていた瞳が薄く見開かれる。

「変わりなく過ごさなければ、いられぬのだろう」
「……どういうことですか?」
「惜しむくらいなら手放さなければよかった、という話だ」

惜しむ、というのが私のことを指しているのだということは聞くまでもなく分かった。私だって、何も思わずに捨てられたのだとは思っていない。口少なに背を向けたあの姿には、多少でも寂寞の念が宿っていた。けれど、それもただ、すぐに捨てるつもりだったガラクタに、余計な愛着が染みついてしまっただけのことにすぎない。

「最初に手放せと言ったのは、親分様でしたよ」
「そうだったか?」

郭の一室で交わされた剣呑なやりとり。それを忘れたわけでもないのに、親分様はとぼけたフリをして笑った。私も、それに倣ってゆるりと笑い返して、そっと視線を前に向ける。
気がつけば、随分と都の外れにまで歩いてきている。人々の喧騒が通りの向こうからわずかに届くだけの、寂れた路地。親分様が、おそらくはもう誰も住んではいないのであろう空き屋の壁に背を凭れさせた。

「……帰りたいか?」

暮れゆく夕陽に溶けるような声で投げかけられた親分様からの問いかけ。それに素直に頷くことは出来ない。もしも、私が帰りたいと泣き出したとして、親分様がそうなるように計らってくれたとして、それでもたぶん、その果てに私はまた、この地に捨てられてしまう気がする。

幾度の繰り返しを経ても、私の願いは叶わないだろう。あの人の中で、私はもう興味を持たれるような神から遠ざかり、かといって、無惨に撃ち殺すことが出来る人間ともまたたがってしまったのだから。

なんと答えたらいいのか分からず、ただ黙って空を睨む。燃えるような赤に染まった雲が、薄く刷毛で伸ばされたかのように広がり、ゆっくりと、けれど確実に流されていく。

「あの人の神になれたなら、私はまだあの場所にいられたのでしょうか」

ぽつり、と呟いた言葉に狂死郎親分様は返事をしてくれはしない。私ももとより、答えを求めていたわけではないので、変わらず空を見つめ続ける。
自分だけの神にする気かと、そうフーズ様を揶揄したのもまた狂死郎親分様であった。そして事実、私は本当にフーズ様だけの神になりたいと思っていた。
あの人だけを救い、あの人だけの願いを叶え、その見返りに私を傍に置き続け、祈るように膝を折って私と目を合わせて欲しかった。神は誰も救わないのだと宣ったこの口で、そんな撞着を抱えていた。

だから、フーズ様の指で胎を撫でられた日、突きつけられた神にはなれないという現実が涙が出るほどに怖かった。だけど結局、廃れた祠を目にし、私はもう神には戻れないことを受け入れた。そして代わりに、殺してくれるという約束に縋ってしまった。

「命の在り処が分からなかったんです」

命の在り処なんて普通は考えることもないのかもしれない。だけど、私はずっと自分の命を神のために捧げるのだと聞かされて生きてきて、生も死もひどく遠い場所にあるのだと思ってきた。それなのに、ある日突然、それをぽんと手のひらの上に乗せられて困ってしまった。
知らなかった命の重みは、この手のひらには大きすぎて、背負おうにも潰れてしまいそうだった。だから、委ねてしまおうと思った。

愛した人に殺されて、そのまま無に還れたら、私のせいのすべてが報われる気がしていた。そういう、したたかな執着だった。

「私は、愛のために死にたかった」

狂死郎親分様が私たちの事情をどこまで知っているのかは聞いたことがない。私から話したことがない以上、フーズ様が話しているようには思えないから、こんなことすべて親分様にとっては頓狂な話でしかないかもしれない。

ちらり、とその顔を窺おうとしたとき、目の前を蝶が横切った。立派な翅を持つ揚羽だった。滴るような闇へと沈む夜、葉陰で眠りながら、この揚羽もまた優しい蛹の夢を見るのだろうか。羽化した自分が、もう二度とそこには戻れないのだと知りながら。







▼ ▼ ▼









先日の火祭りの後から、都の町はいつもより少し活気にあふれている。初めて見た火祭りは、思っていたよりもずっと楽しいものだった。華やかな明かりに灯され、人々が笑顔で踊りあう。心から楽しげに過ごす人々の本物の笑顔。
多くの願いを乗せた空船が高く飛び去っていく光景を眺めながら、店の老夫婦は涙も滲む声で「来年も一緒に見れたらいい」と声をかけてくれた。だけど、その瞬間に私の胸に去来していたのは、口にはできない憂慮だった。来年、そんな未来の自分が、どれだけフーズ様と過ごした私からかけ離れてしまっているのか考えることが怖かった 。

ふう、と息を吐き出して足元の小石を蹴ると、数回跳ねて草むらへと消えていった。店の遣いの帰り、これで今日の仕事は終わりなので急ぐ道でもないと思うと、自然と歩みが遅くなる。
ここ最近、親分様と顔を合わせることも少なくなっていた。郭へと配達に伺っても、親分様が顔を出すことはなく禿や妓夫によって受け取られる。
身体に染み付いた都の匂いと、薄れゆく神域の記憶。何も選べぬまま俗世に帰属させられたことを、私は、憤ってもかまわなかったのだろうか。そんなことを最近よく考える。

「なまえ」

思慮の糸をぷつりと途切らせた声に振り返ると、常連の大工の若衆がこちらに向けて手を振っていた。軽く目礼を返して足を止めると小走りで駆けてくる。その背後には迫り来る夕闇がやけに大きく見えた。

「遣いの帰りか?」
「はい。これで、あとは店に帰るだけです」
「おれも今日はこれで終いなんだ」

そう言って闊達に笑った青年の顔は、陽光の下で仕事をする男らしく日に焼けて精悍だ。帰る方向が同じであれば、自然と二人並んで歩くことになる。店では何度も顔を合わせてはいるものの、こうして二人きりになることは初めてで、何を話したらいいものかと言葉に悩む。それは男も同じらしく、いつもは軽口の続くところを今日はやけに口少なだった。
手持ち無沙汰に空を仰げば、群青に染まり始めた空をカラスが巣へと帰るために飛び去っていく。カア、と鳴いた声が尾ひれを引いて収束しながら響き渡った。

「なァ」
「はい、どうされました?」

男が立ち止まる。私もそれに倣って、ゆるやかに足を止めた。群青を背負う男の顔はやけに真面目で、わずかに唇が震えたのが見てとれる。男の躊躇いに合わせて、あたりの空気もぴんと張り詰めていくのを肌で感じた。

「なまえは、なんであの店にいるんだ」
「……それは、店主の遠縁で」

狂死郎親分様からそう言うようにと習ったままの言葉を口にすれば、男は眉を顰める。出会った時にも同じように紹介されたのだから、当然男が求めた答えではなかったのだろう。

「じゃあ、その前はどこにいたんだ」

思わず息を飲む。男の真意は察しながらも、答えるべき言葉は見つけられないままだった。嘘で塗り固められた都の私。親分様によって誂られた偽りの居場所。この場所に据え置かれ、平らかに馴染んでしまったと思っていたのに、ぽろぽろと奥へ奥へと隠したはずの、染まりきれない私が引き出されてしまう。剥がれ落ちた嘘の向こう側、そこにあるのは清澄で透明な無色ではない。ただ、色がないだけの虚ろだ。

「おれは、前に都でなまえを見たことがある。あの郭で、近くに飛び六胞の男もいた」
「それ、は……」

自然と声が震える。フーズ様の後をついて、あるいは稽古のためにと何度も足を運んだ都。その中で私の姿を見たことがある人間もいるとは思っていた。しかし、そうやってフーズ様や親分様の傍らにいた女が、素知らぬ顔で都の生活を送っているなど思う者はいないだろう。だから、たとえ私の顔に見覚えがあると思われても気のせいで済まされるはずだった。事実、今日まで誰にも声をかけられたことなどなかったのだから。
何も言えずに立ち尽くす私をしばらく見つめていた男は、そっと瞳を伏せた。

「……おれの親父は、あの狂死郎に殺された」
「え?」

思いがけないその顔を見つめるも、男がこちらを見返すことはない。何かを堪えるように噛み締められる口元が、そのまま男の苦しみを表しているかのようだった。
二人きりの道端。そこを通り抜ける風はやけにもの寂しく、宵闇はもう私たちをすっかり飲み込もうとしている。

「ある日、突然あの男が家に来て、親父に巫女を知っているかと言ったんだ。その瞬間、親父は血相を変えて巫女様に何をしたと怒鳴り出した」

巫女、と声も出せないままに唇が震えた。黒い羊のまま都の罪なき群れに紛れこもうとしていた罪過を咎められると思っていたのに、喉元に突きつけられたのはもっと鋭利な刃の切っ先だった。呼吸が浅くなる。心臓は鼓動を速め、警鐘を鳴らし崩れ落ちんばかりだった。

「……気づいてはいたんだ。親父が変な信仰に傾倒していることには。だけど、神様が巫女様に宿ればこの国はきっと変わるって、そう穏やかに語る顔を見て止めることも出来なかった。馬鹿な親父だけど、本気でこの国を救いたがってたんだ」

救うことなんてできなかった。そう叫びたくなる。
救いを求める言葉はいくつも聞いた。私の元に的はずれな助けを求めたがる信徒たち。そのどれがこの男の父親であったかは分からない。信徒の顔なんて、ひとつだって思い出せないのだから。
だけど、話を聞く限り、生き残っていた信徒を見つけたと親分様からの話があった時のことだろう。本当に親分様が手にかけたとは言いきれない。あの話の後、フーズ様もまた私を屋敷に置き、再び姿を消した。だけど、どちらにせよ、男の父親は家には帰れなかったのだ。

「……なァ、なまえはその巫女なのか」

目線を上げた男の瞳が、まっすぐに私を見据えた。その瞳を揺らす感情が、願いなのか否定なのかは分からない。だけどその切実さが胸に刺さり、穴の空いたそこから必死に保ってきたはずの何かが抜け落ちていく。
ひたひたと迫る絶望。色もなく音もない森閑とした祠の奥底で、たゆみない微笑を浮かべたまま祀られていた記憶が目を醒ます。

「そうであれば、どうするんですか?」
「……は? どうって」
「謝罪をしろというのならいくらでも致しましょう。だけど、それ以上は何も出来ない」

じっと男を見据えたまま澱みなく結んだ言葉。私の言葉を聞いた瞬間に男の瞳に宿ったのは驚愕、困惑、そして拒絶だった。唇を戦慄かせながら男の手が肩に触れる。

「お前も、無理やりに狂死郎やあの飛び六胞の男に従わされていたんだろ? それでやっと、都に帰ってこれたんだろ?」
「私は、捨てられたんです」

宵闇に陰る男の表情。男が私に求めていたのは、ただの傷の舐め合いだったのだろう。お互いにつらかったと慰めあって、手を取り合って生きていきたかったのか。あるいは、私を救うことで、父親を無力に連れ去られた罪悪感を晴らそうとしていたのかもしれない。どちらにせよお門違いだ。いっそ憤懣さえ感じるほどに。

だって、私の本当の願いは。願うことを許されていたのなら──

「本当は、ずっと、あの人の隣にいたかった」

それは決して口にしてはいけないと自分に言い聞かせてきた願いだった。だけど、あの人の隣にいるほどに、私だけに与えられているのだと錯覚しそうになる優しさに触れるたびに、募りゆく想いを愛だと自覚するほどに、そんな烏滸がましいことを願ってしまいそうになる衝動を抑えられなくなっていた。私のものではなかったはずの命をこの身に返され、それを代わりに捨ててくれと言うならまだしも、拾ってくれなど言えるはずもないのに。
だから、殺して欲しいと乞うた。愛のために生きることが出来ない代わりに、愛のために死にたかった。そのどちらもを失うことを恐れるあまりに、結局すべてを失った。

男の瞳が見開き、頬が紅潮する。真っ暗な闇に飲み込まれて二人、目の前にあるのは避けようのない怨嗟の念だった。慰みの手を差し伸べようとしたまま裏切られ、憎しみに変わった怒り。男が怒鳴るように何かを叫んだとき、脇腹に感じた灼熱。
視線を落とせば、じわりと滲み出す赤が目に入った。男の手に持つ鉈からは、ぽたりぽたりと赤い液体が滴り落ちる。不思議と痛みは感じず、男の仕事道具をこんなことに使わせてしまったことへの罪悪感が胸を過る。
本当はフーズ様の手で染めて欲しかったはずの深紅。それが真っ赤な血溜まりを作るのをぼんやりと眺めているうちに、視界が少しづつ闇に侵食されていく。







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