鳥籠の作り方

稽古を終え、見世を始める準備のためにバタバタと駆け回る禿たちの気配を背後に感じながら、二階の窓から欄干に凭れて都の町並みを見晴るかす。
瓦屋根の連なる長屋に挟まれた道を歩く人々の群れ。暮れゆこうとする落日は輝く光で山の稜線を染め上げる。

フーズ様のお屋敷で暮らすようになってから、簡単な文字の読み書きであれば、問題なくこなすことが出来るようになるくらいの時間が経った。文字の手習いを受けなくても一人で書物を読み過ごすようになり、また少しだけあの部屋の中で暇を持て余すようになった。そんな私を見かねたのか、都の遊郭で禿や新造たちの芸事の稽古に混ざるかとフーズ様に言われたときは驚いた。そして迷わず頷いたのだ。

だから、私はこうして花の都の狂死郎親分様の郭を訪れては琴や三味線、茶道なんかを習っている。遊女や遊郭がどのようなものなのかについては流石にもう理解していた。共に手習いを受ける物が皆、いずれその身を売るための術として身につける芸事を、ただ無聊を慰めるためだけに会得しようというとのは決して愉快なものではないだろう。

それでも彼女たちは、その顔に私への侮蔑など一切表さずに接してくれている。それは、人に会うことを極端に禁じられ育ってきたゆえに他人の心の機微に疎いせいもあるかもしれないが、少なくともこの郭に通うようになってから心無い言葉を投げつけられたことは一度もない。

淡い橙からぼやけた赤に近づく落陽に照らされた人波を眺めていると、その中に一際目立つ人影を見つけた。あの人が誰なのか理解し避けられているのか、ごった返す人並みにも関わらずその周囲だけがやけに閑散としている。その様子が可笑しくて、くすりと笑ってから一階の広間に向かうために立ち上がった。





「フーズ様!」

階段を駆け下り広間に着くと、フーズ様はその長身には少しだけ低い鴨居を潜るために頭を屈めているところだった。フーズ様に声をかけると、その目が私をとらえ、少しだけ意外そうに顎が上がった。呼ぶまでもなく私が現れるとは思わなかったのだろう。見つけられる前に見つけられたことが嬉しくて、得意げに胸を張ってみせる。

「フーズ様が迎えにいらしてくださるなんて珍しいです」
「たまたま都にいたんだよ」

私のためにわざわざ来たわけではない、ということを言いたかったのかもしれないけれど、近くにいようが、いつも通り部下に任せたってよかったところを自ら来てくれたことだけで私には十分すぎるほどの幸福だった。

「今日は琴を弾いたのです。フーズ様にも後で聴かせてあげますね」
「おーおー、分かったからさっさと帰んぞ」

初めて通してひとつの曲を弾けるようになったとき、嬉しくてフーズ様にその話をすると、翌日にはお屋敷の私の部屋に一面の琴が置かれていた。今では三味線もお茶の道具もある。だから、ほとんど毎日のように部屋に顔を見せてくれるようになったフーズ様に、あれやこれやと披露するのが毎夜の日課のようになっている。

「なんだもう帰るのでござるか」

背を向けてしまったフーズ様の後に続いて広間から出ようとした時、入れ違うように足を踏み入れてきた人影。その登場に周囲の空気が変わった。この場にいるほとんどの人間の視線が注がれている。
それはよく通る明朗な声のせいでも、人目を引く長身のせいでもない。こうして目の前に立った男がそれだけの価値を持つ人間だからだ。花の都の元締め、そしてこの郭の楼主──

「狂死郎親分様!」
「今日も稽古ご苦労だったな、なまえ」

もとより細い目がより一層細められる。一見、人好きのするこの笑顔の裏に、非道さも残虐さも秘められていることはもう知っている。
この郭に通うことになる際、フーズ様から狂死郎親分様には気をつけろと脅されていた。それが私を揶揄うための冗句であるのか、真摯な忠告であるのか推し量りきれないまま狂死郎親分様と出会い、そしてすぐにそれがどちらも真実であることを知った。

稽古の最中、見世先で狼藉を働く男の声がした。窓からその様子を覗き見たのと、ふらりと狂死郎親分様が現れたのは同時だった。ちょっとそこまで出掛けるとでもいうような気軽さで刀を抜き、気がついた時には男はその場に倒れ伏していた。刀身についた血潮を振り落とし鞘に収めたその顔は、今こうして目の前に立つ姿と何ら変わらない。もう、あの時殺した男のことなど覚えてもいないのだろう。

「なまえの琴の才は見事なものだと、みな口を揃えて言っていたぞ」
「そんな、私なんてまだまだです」
「なに、今はまだ技量がついてこないだけだ。すぐにその才が秀でてくるさ。なまえさえその気なら、いつでもうちの見世の遊女にしてやるからな」

狂死郎親分様がそう言って大きな口で笑った時、背後から苛立たしげな舌打ちが聞こえた。振り返らずとも分かる、フーズ様だ。

「正気か? ついこの間まで文字すら書けなかったガキだぞ」
「なに、すぐに覚えたではないか。ナマエは器量がいいから、他の芸事も人並み以上に出来るようになる。どうだ、今度は一度座敷に出てみるか?」

何と返せばいいのか分からず戸惑っていると、狂死郎親分様の手が私の頭を撫でようとするように伸びた。その瞬間、一段と大きな舌打ちが響き、グイッと腰を引かれる。その勢いによろめき、二歩三歩と後ろに下がってしまう。伸ばしかけていた狂死郎親分様の手は空を切り、そうして出来た隙間にフーズ様が立ちはだかる。

「おい、ガキ相手にあまりふざけたこと言ってんじゃねェぞ」
「そうしてなまえをガキだガキだと言うが、なまえと同じ年頃の娘はとっくに客を取っているぞ? 言うほどガキでもないことくらい、お前だって分かっているだろう」

何やら剣呑な雰囲気が漂っていることは分かるものの、まるで私を背に隠すように立ったフーズ様の影にいては、どことなく蚊帳の外にいるような気分になる。
フーズ様と狂死郎親分様の声を聞くでもなく聞きながら手持ち無沙汰に辺りを見渡していると、中途半端に開かれた襖の影から禿の少女が一人、此方をじっと見つめていることに気がついた。

共に稽古を受けたこともある少女で、確かここの遊女が客との間に孕んでしまった娘であったはずだ。この郭で暮らす女たちの出自をすべて知っているわけではないけれど、その多くはあの少女と同じように此処で生まれ育ったり、口減らしに故郷を追われたり、あるいは飢えや病で両親と死別した者であった。みな、ここでしか生きていけぬ者たち。

そんな彼女たちから私はどんな目で見られているのだろう。かの飛び六胞に名を伍する男に飼われ、それでいて手酷く扱われているようにも、かといって寵愛を受けているようにも見えない女。
私がかつて山奥の祠に住まい、神の依巫として育てられたことは知らないだろうが、つい最近まで文字の読み書きも満足に出来なかったことから、まともな出自ではないことくらい察せられているはずだ。

呑気に稽古だけを受けに来て、好きでもない男に身体を売る必要もなく満足な食事も取れている。そう恨めしく思われているだろうか。
あるいは、生殺与奪のすべてを他人に握られ、自分の足で自由に歩き回ることも叶わない不幸な身の上だと哀れまれているのだろうか。
どちらであったにせよ、幸福も不幸も計り比べることの出来るものではないことに違いなく、私自身もまた自分が幸福とも不幸とも思わなかった。ただ生かされているから生きていて、いずれあの手で殺されるのを待っている。それだけでしかない。

「この先、なまえをどうするつもりだ」

自分の名前が呼ばれたことでハッと意識が引き戻される。フーズ様の影から身体を覗かせ、睨み合うように向かい合う二人の顔を見上げる。

「文字を教え、楽器を与え、茶や華の道にも通じさせ、随分と過保護に育てている。このまま光の君にでもなるつもりか」
「あ? なんだそりゃ」
「ハッ、大したことではない。気にするな」

不機嫌そうに口元を歪めたフーズ様を狂死郎親分様が一笑すると、次第に張り詰めていた空気が解けていった。腑に落ちないと言いたげなフーズ様の横顔を見て口を開きかけたとき、狂死郎親分様と視線が交わった。口角がにやりと吊り上がり、わずかに首を振られる。何も言うな、と言外に告げられている。

狂死郎親分様の揶揄した光の君が何であるのか、それを私は知っていた。つい最近借りた本で読んだのだ。その皇子をフーズ様とするのなら、溺愛を受けた姫が誰になるのかなんて分かりきっている。
フーズ様が何を考え、未だに私を生かしているか。それを図り知ることは出来ないけれど、確かに光の君の話をすればフーズ様が怒るであろうということは私にも分かるような気がしてギュッと唇を噛み締める。その様子をフーズ様が見咎めた。

「何してんだ」
「……お気になさらず」
「あー、もういい加減帰んぞ」

煩わしそうに首元を掻いたフーズ様が、付き合ってられないとでもいうように嘆息して部屋を出ていく。その後を追う手前、狂死郎親分様に小さく頭を下げる。その目は相変わらずゆるやかな弧を描いていた。







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