成り行きの恋でも


入学式後の始業式で新任教師として壇上に登る寿くんを体育館の端から見つめる。隣に立っているのは安西先生だ。
スーツ姿は今朝、家を出る時も見たはずなのに、こうして同僚の一人なのだと思ってみると面白いような気恥しいような複雑な気分だ。

住所が同じなので隠しようもないだろうと、私たちが同棲をしているということは事前に寿くんから伝えてもらってある。公私混同には気をつけるようにと私にも教頭先生からお達しがあったし、他の職員にもそれとなく伝っているようだった。

そんなことを考えているうちに、いつのまにか寿くんの名前が呼ばれている。教頭先生が読み上げる寿くんの経歴、そしてバスケ部の顧問になることが発表されると、ざわざわと体育館がざわめいた。驚いたように安西先生の方を見た生徒たちはおそらくバスケ部なのだろう。

「三井先生のこと、伝えてなかったんですか?」

コソッと安西先生に話しかければ、お決まりのホッホッホと肩を震わせた笑いが返ってきただけだった。私も肩を竦めて返して、また姿勢を正して壇上に目を向ける。

三井先生。声には出さず、もう一度呼んでみる。生徒たちや他の先生の前で間違って呼んでしまったりしないよう、家でも何度も練習をした。
数年前に寿くんと出会った校舎で、今度は三井先生と彼を呼ぶ。明日から始まる日常通りの学校生活を思いながら、私たちがいた頃と変わらない古ぼけた体育館の天井を見上げる。開け放たれた二階の窓からは、ちょうど満開を迎えた桜の花がその儚さを誇るように揺れている。









学校から出る時間はお互いに少しずつズラして、最寄り駅で合流をした。そのままスーパーに立ち寄って夕食の買い出しを済ませる。

荷物を持ってくれている寿くんの代わりに部屋の鍵を開ければ、玄関に荷物を置いて早々に唸り声を上げながらネクタイを緩める寿くんについつい笑ってしまう。着慣れないスーツは苦しかったんだろう。

「あー、しばらくは着たくねぇな」
「スーツもカッコイイけど、やっぱり寿くんはジャージが落ち着くね」

買ってきた食材を冷蔵庫にしまっている間に、寿くんがベランダから洗濯物を取り込んでくれる。そんな後ろ姿を眺めながら、これからは一緒に買い物なども出来るだけ控えた方がいいのだろうかと悩む。

高校のある駅よりは少し離れているし、この辺に住んでいる生徒の話もあまり聞かないけれど、プライベートと言えどもやはり同じ高校に務める教師同士の恋人としての一面を見られる可能性は出来る限り減らすべきなのかもしれない。今までと同じではいられない生活のペースを考え直さないと、と思う一方で、だけどそれも長くはないだろうと予感している。

新任の寿くんはともかく、私は今年は担任を受け持つものだと思っていたけれど、結局受け持ちのクラスは与えられなかった。それは恐らく、来年あたりに転任の話が持ち上がるということなんだろう。

「それにしても、相変わらずガラが悪いな」
「え?……あー、でも、昔の寿くんよりはマシだよ」

冷蔵庫を閉めたまま、ボーっとしていると寿くんに声をかけられて我に返る。
一瞬何の話かと考えて、すぐにうちの学校の生徒の話だと思い当たった。確かに近隣の高校の中でも、少しヤンチャな生徒が多いけれど、それを寿くんの口から聞くと、つい面白くなってしまう。

「いやー、あんな典型的な不良少年が、こんな立派になるとはね」
「うるせえ」

照れているの隠すように顔を背ける寿くんの背中に抱きついてみせれば、少し拗ねたように唇がへの字に曲がる。

「今でもあの頃の寿くんと付き合い始めたの信じられないな」
「なまえは真面目だったもんな」
「正直断ったらボコボコにされると思ってた」
「しねぇよ!そんなこと!」

クスクスと音を立てて笑いながら腰にまわした手に力を込める。引き締まった腹筋は固くて、鍛えている身体だなといつ触っても感心してしまう。

私が寿くんを知ったのは高校二年生のクラス替えのときで、一年も湘北の生徒をやっていれば素行の悪い生徒に見慣れもしたけど、まさか隣の席がロン毛の不良とは、と頭を抱えたのは忘れもしない。
だけど、それからポツポツと言葉を交わすようになって、その年の秋に放課後の教室で告白をされた。

言われた言葉が信じられなくてポカンと間抜け面を晒す私を見つめる真剣な瞳。夕日に照らされた寿くんの髪が、窓から吹き込む風に揺れる光景を今でも時々思い出す。

今思えば、あの時の寿くんは、私を好きだという想いにもう戻れない過去への執着を重ねていたのだろう。バスケから目を逸らすために、私を見つめていたにすぎなかった。だけど、それは私も同じだ。寿くんのことをあまり怖いとは思わなくなっていたけど、好きかどうかも分からなかった。ただ、なんとなく、断ってはいけないような気がしただけ。

あの頃の私たちは十年後まで一緒にいるなんて想像もしていなかったはずだ。ただ一時の息苦しさから逃れるための、青春の一断片としての恋だと思っていたに違いないから。

だけど今も、私はやっぱり、これから十年後の私たちの姿を上手く思い描けない。






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