「おい、そこで寝んなよ」
「うっ……寝てないれす」
「呂律回ってねェんだよ」

ソファに横になってクッションに顔を埋めながら少しだけまどろんでいたら、突然大きな手のひらに頭をわし掴まれた。わしゃわしゃと遠慮なく髪を掻き乱す手つきに唸り声を上げて、爆豪さんに恨めしい視線を向ける。だけどそんなものが爆豪さんに効くわけもない。

「ほら、水。酔ったらすぐ眠くなんだから加減しろや」
「いつもなら全然平気な量でしたもん……」
「最近、色々立て込んでて疲れてんだろ。自分の体のことくらい把握しとけ」

起き上がって爆豪さんから手渡されたミネラルウォーターのペットボトルに口をつける。冷たい水が身体の中に流れ込んでいくと、少しづつ意識がはっきりとしてくる。ここは爆豪さんの部屋、そのソファの上。
先週から続いた爆豪さんの活躍の数々。その裏で私もまた帰りの遅くなる日が続いていた。それでもなんとか溜まっていた書類も片付き、今日は久しぶりの穏やかな一日だった。帰り際に「メシでも行くか」と誘われたのは、爆豪さんなりのこの一週間の私への労りだったんだろう。

「目、クマんなってんぞ」
「えっ、ほんとですか」
「こんな嘘つくかよ」

爆豪さんの親指がそっと目の下をなぞるように這う。多くのものを守るために固くなった指の腹でこうして優しく触れられると、自分がこの世界で最も柔らかくて壊れやすいものになってしまったような気になる。そんな夢に侵食されて満たされてしまう。

「あんま大変なら他にも人雇うから言えよ」

その声を聞いた瞬間、夢の底に穴が空いて幸福が瓦解していく。ああ、そうだった。何を浮かれていたんだろうと我に返る。
幼馴染に会ったあの日から、もう二週間が経とうとしている。答えは未だ決まらぬまま、爆豪さんにも当然何も話してはいない。

あの後、幼馴染から送られてきたのは新しい事務所についての詳細だった。それを確認しながら、ふと視線が止まったのは彼が事務所を建てるために土地の契約をしたという場所。それはここから数県離れた私たちの地元の名前だった。こういうことは最初に言うべきでしょ、と呆れながら、同時にどうしようもなく動揺もしていた。

「爆豪さん」
「ん」
「私のこと、好きですか」

唐突な私の言葉に、爆豪さんが一緒面食らったように瞳をきょとんとさせる。それから、眉がひそめられ、伸びてきた手がまた私の額を優しくぐりぐりと捏ねくり回す。

「めんどくせぇ絡み方してくんな、酔っ払っい」
「えー、ひどい。好きな人には好きって、ちゃんと言われたいときもあるじゃないですかぁ」

間延びした声で拗ねたような上目遣いで爆豪さんを見つめれば、目を逸らして舌打ちで返される。この仕草だけで、次に彼が発するのは私のお願いに応える言葉だと分かってしまう。

「……好きだわ、アホ」
「へへ、最後の余計じゃないですか?」

額に触れた手がすうと下りて、そのまま私の髪を梳いていく。ふたりで夕食を食べに行ってお酒を飲んだ日は、そのまま爆豪さんの部屋に泊まっていく。いつの間にか当たり前となった習慣。

この瞬間、私たちは間違いなく幸せな恋人同士だ。それなのに、その幸福を信じきることが出来ない。あの日、私が彼にかけてしまった呪い。爆豪さんは私が好き、の呪文。その解き方が分からないまま、こんなにも一緒にきてしまった。
私がそんな悪い魔女だということまで忘れてしまうことがないように、ときどき彼に強請る愛の言葉。爆豪さんが私を好きだと口にするたびに、これは断罪なんだと言い聞かせる。いつか失う痛みに耐えることが出来るように、少しずつ心を傷つけていく。

「風呂は」
「入ります!」
「それは分かってんだよ。シャワーで済ますか?」
「えっ、お湯入ってもいいんですか?」

いつもだったら、酔ってるときに風呂入んな、死ぬぞ! と怒られるので意外に思っていると、爆豪さんがいかにも悪そうな笑みを浮かべた。悪い予感がする。

「ひとりで入んじゃねぇならな」

ここは爆豪さんの部屋で、私と二人しかいない。つまり、誰と誰が入るかなんて一択だ。どこで爆豪さんのスイッチを入れてしまったのかと焦りながら、お風呂の準備に行ってしまう後ろ姿に追いすがろうとするけど酔いと驚きで上手く立ち上がれない。
だけど、部屋を出る手前でふと爆豪さんが足を止めた。そして何か思い出したような表情で振り返る。

「そういや、明後日あいつ、事務所寄るっつーから」

アイツ、という言葉にしばらく考えて彼女のことだと思い至った。立ち上がることは諦めて、背中からどんと背もたれに埋まる。

「あれ、産休入ったんじゃなかったんですっけ?」
「たまたま街で会ったら、おまえにも会いてェって」
「それは……嬉しいですけど、そんな出歩いて大丈夫なんですか? もう結構お腹大きいですよね」
「どうせ通院の日だから、だとよ」

なるほど、と頷いて、最後に会ったのがもう一年近く前になろうとする彼女の姿を思い描く。結婚式が終わって半年ほど経ってから、彼女に子どもができたことを聞いた。その頃から爆豪さんは、用があっても彼女を事務所に呼ぶのではなく自分から彼女の会社に出向くようになった。口では言わないけど、彼女の身体を気遣っているのは明らかで、一度もう向かってるからという彼女からの電話にブチ切れながら飛び出して行ったこともあった。

あの頃の爆豪さんが彼女に抱いていたのは、明確な好意や未練ではなく、それらすべてを包括した名残のようなものだった。持ち続けることも捨て去ることもできず、ただじっと持て余しているような。

彼女が産休を取る旨の連絡があったのは幼馴染と会った頃で、一斉送信のメールとは別に私個人に宛てたメールもくれた彼女のことをやっぱり素敵な人だと思わずにはいられなかった。
そんな彼女がわざわざ私に会いに来てくれることが嬉しくないはずがない。だけど、躊躇う心の理由はそれが爆豪さんとの関係への答えを出さなくてはならないことに繋がることも分かってしまうからだ。

「会えるの、楽しみです」

決して嘘ではない笑顔、本当になりきれない本音。爆豪さんが今度こそ浴室に向かっていくのを、もう止める気にもなれなかった。
一人きりのリビングで背もたれに首を預けて天井を見つめる。
あの日、彼女を迎えに飛び出して、そのまま会社まで送りミーティングを済ませて帰ってきた爆豪さんは、一人きりの事務所でパソコンと向き合う私を見て、ひどく気まずそうな顔をした。浮気なんて疑うはずもなく、爆豪さんの本当の気持ちさえ知っている私にそんな顔する必要はないのに、後ろめたさを抱えるその表情に安心した。大丈夫、私はまだ爆豪さんに必要なんだと確かめることが出来たから。

だけど次に彼女に会ったとき、爆豪さんがそんな未練も後悔も見せてくれなかったら、私はいよいよ認めるしかなくなってしまう。爆豪さんは彼女をいい思い出にしてしまったんだと、これからはもう私に寄りかかることなく別の幸せを見つけられるんだと。

幼馴染から引き抜きの話をされたとき、そして、そこがここから遠く離れた場所に行くことになるんだと知ったとき、思わずにはいられなかった。
これを理由に、私に囚われてしまった爆豪さんを解放してあげられるんじゃないかって。否、私が、私のために、この苦しみから逃げることができるんじゃないかって。




△ ▼ △ ▼






彼女がやってくる日、朝からずっと時計ばかりを気にしていたせいで爆豪さんには少しだけ怒られた。それでも、いつも通りに彼と話すことの出来る自分にホッとした。そして、だいたい時間通りに鳴った来客用の呼び出し。それ応じてエントランスに降りていけば、そこに彼女はいた。

「なまえちゃん、久しぶり」

青に埋め尽くされた完璧な空を背負って、優しく私の名前を呼んで微笑む彼女。その美しい光景に思わず目を奪われた。踏み出したはずの足が止まって、吸い込んだまま吐き出し方の分からない不格好な呼吸。
それでもなんとか、はっと我に帰って取り繕うように微笑みを浮かべる。

「お久しぶりです。こんなとこ来ちゃって大丈夫なんですか?」
「せっかく会えたのに第一声がそれ? この事務所は心配性ばっかりかな」
「あっ、会いに来てくれたのはもちろん嬉しいですよ! ありがとうございます」

呆れ顔を浮かべた彼女。事務所に来るたびに優しい言葉をかけてくれて、私みたいにズルイ方法に頼らなくたって爆豪さんに好きになってもらえる人。

「ダイナマイトはいるの? 病院でニュース見てたら映ってたけど」
「はい。午前中は出動してましたけど、あんなクソ敵即殺だわって言いながらお昼には帰ってきました」
「あー、想像出来る」

普段彼女が来たときは階段での案内が多かったけど、今日は流石にエレベーターを使う。彼女と二人で長方形の箱に乗り込んで、一つ、二つと光る数字の変わるパネルを見つめる。

「連れてきましたよ」
「おー」
「ちょっと、何その興味無さそうな反応」
「この間会ったばっかだろーが、別に興味もねぇわ」

部屋に入るなり軽口を叩き合う二人の姿に、肩を竦めながらつい笑ってしまう。かつてはこの光景が見慣れたものだった。爆豪さんに恋をしてからも、私は本当にこの二人が好きだった。それが爆豪さんの幸せなら、喜んで祝福することが出来ると願った気持ちに嘘なんてないつもりだった。それなのに、たとえ表面的でも、私自身を彼の隣に当てはめた幸せに触れてしまっただけでこんなにも強欲になってしまった。

彼女に向けられる爆豪さんの優しい瞳。だけど、ずっとこの光景を見続けてきた私には分かってしまう。そこにかつてはあったはずの、熱く恋焦がれる愛の面影はない。
その時ちょうど鳴り響いた着信音。爆豪さんが取り出したスマホの画面を見て面倒くさそうに舌打ちをする。

「ちょっと出てくる」
「あっ、はい」

私の隣を通り過ぎながらかけられた声に、慌てて背筋を伸ばして返事をする。表情から察するに相手はデクあたりかな。
扉が閉まりかける寸前、ただ電話をしてきただけにしては理不尽な怒鳴り声が耳に届いて苦笑がもれる。部屋へと向き直れば、彼女もまた同じような苦笑を浮かべていて、目が合うなり吹き出すように笑い合う。

「どう最近?」
「えー、いつも通りですよ。相変わらずダイナマイトには振り回されっぱなしです」

彼女をソファへと案内してから、今日のために用意したノンカフェインの紅茶の準備をする。簡易的な給湯スペースでポットにお湯を注いでいたら、ふと彼女が意味深な笑みを浮かべて私を見ていることに気づく。

「それはさ、どっちの話?」
「え?」
「付き合ってるんだってね、ふたり」

それを聞いた瞬間、吸い込んだ酸素が喉に詰まる。見開いた瞳でとらえた嬉しそうな彼女の笑顔。ああ、なんて綺麗な顔で、なんて残酷な言葉を告げるのだろう。

私たちが付き合い始めたことを彼女に話したことはなかった。もちろん、人気のヒーローであるダイナマイトの交際なのだから知っている人の方が限られるのだけど、彼女に話していなかったのは信頼云々の問題ではないことくらい分かっていた。
だからそう、爆豪さんが彼女に私たちの関係を話したということは、彼の中の彼女に対する想いはきちんとした形を持って終わりを迎えていることの証明に他ならない。

「しかも私の結婚式の後からなんでしょ? いやぁ、もしかして愛のキューピットになっちゃったかな。でもほんと、おめでとう。二人が幸せになってくれて、すごく嬉しい」

運んできたカップを彼女の前に置く。伸ばした手が震えて、琥珀色の液体がグラグラと波打って溢れそうになる。そんな不安定さと、おどけたように、だけど幸せそうに笑う彼女を見ていたら、もう堪らなくなった。

「……ごめんなさい」
「え、どうしたの急に」

突然の謝罪に目を丸くする彼女。だけど、そんなこと構ってなんていられなかった。際限なく込み上げる罪悪感。
あなたへの爆豪さんの気持ちを、勝手になかったことにしてごめんなさい。爆豪さんのためだと言いながら、私が幸せになってごめんなさい。私の出番なんてもうないのに、いつまでもここに居座ってごめんなさい。

「……実は、ここ辞めようと思ってるんです」

溢れるように流れ続ける懺悔をグッと飲み込んで、代わりに口にした言葉に彼女はただ息を飲んだ。驚きで言葉を失うってこういうことを言うんだなって、変に冷静になった頭で思う。

「幼馴染がヒーローやってて、その彼が今度自分の事務所を持てることになったんです。それで、そこに来てくれないかって誘われていて……それを受けるつもりでいます」

どうして今になるまで気づけなかったのだろう。私がこの事務所に雇われたときにはもう、彼女を見る爆豪さんの表情は特別だったから、爆豪さんがいつから彼女のことを好きになったのかは知らない。だけど、そこには恋に至るだけの時間も思い出もあったはずなのだ。そして、それは私なんかが勝手に触れることも、ましてや消してしまうことなんて、考えるまでもなく、してはいけないことだった。

それは爆豪さんだけの想いだった。そして、向けられていた想いの正体を知らなくたって彼女だけの想いだった。そんな大切なものを、私は善人みたいな顔をして土足で踏みにじってきた。
それなのに、今こうして祝福までされている。やめて欲しかった。胸が痛くて痛くて押し潰されそう。すべての罪を吐き出してしまえば楽になれるのかもしれない。だけど、それは爆豪さんが隠し通すはずだった想いまで打ち明けるということだ。
そんなこと出来るはずもないから、迫り上がる言葉を吐きそうになりながら何度も飲み込む。

「その、事務所の場所が私の地元なんです」
「なまえちゃんの出身って、確か」
「はい。ここからは少し遠方ですね。だから、爆豪さんとは……」

その先まで言葉を次ぐことは出来なかった。ただ付き合っているだけなら遠距離恋愛だって可能なのかもしれない。だけど、学生の恋愛ではないのだ。幼馴染がヒーローを続ける限り、私がここに戻る理由もない。
彼女が何か言葉を探すように視線をさ迷わせて、それから諦めたように息を吐いた。

「それ、ダイナマイトは……」

黙って首を振る。彼女はさらに何か言おうとして、だけどやっぱり目を伏せる。彼女にこんな顔をさせてしまった申し訳なさに、気づかれないように唇を噛んで窓へと視線を見遣る。
だけど、その途中でハタと動きを止める。そこに立っている人影。苛立ちを通り越した、静かな怒りを湛えた瞳。

「んだよ、その話」
「……爆豪さん、いつ戻って」
「悪ィ、あとは二人で話す」

私の問いは無視して彼女に向けられた声。それに頷いて荷物を持って立ち上がった彼女が、去り際に爆豪さんの耳元で何かを囁いた。爆豪さんも神妙な顔でそれを聞いている。そんな光景を、私はただ別の世界の出来事のように見つめている。これが本当の距離なんだって言い聞かせながら。

「で、詳しく話聞かせろよ」

ふたりきりになった事務所の一室。爆豪さんがどこから私たちの話を聞いていたのかは分からないけど、表情から察するに大事なところは全部聞かれてしまったはずだ。
決めた以上は早いうちに話さなくてはいけないと思ってはいたけど、それにしては早すぎる展開に何も言うことが出来なくて唇を噛む。

「ウチじゃなんか不満なんか」
「そんな! ただ……いつまでも今のままではいられないと思って」

尻すぼみに言葉が萎んでいく。不満なんて何もなかった。悪いのは全部私で、だけどその罪すべてを告白することが出来ないから、軽くて喉越しのいい理由ばかりが口をついて出ていく。

「ここで培ったこと、活かして欲しいって言われて素直に嬉しかったです。事務仕事なんて誰がやっても同じだって見なされがちなのに、ちゃんと私を必要としてくれて……」
「そのモブより、俺のがよっぽどおまえのこと必要としてんだろーが」

私の言葉を遮るようにして発された爆豪さんの声。毅然としているのに、どこか力ない、爆豪さんらしくない声だった。

「いつまでも今のままってなんだよ、それ。こんだけ一緒にいて、変わらねぇでいられるわけがねェんだよ」

思わず爆豪さんを見つめたら、私を見下ろしていた瞳が歪む。それから「ちょっと待っとけ」と言って自分のデスクへと向かっていく。
状況を理解しきれないまま言われた通りに待っていれば、戻ってきた爆豪さんがテーブルの上に何かを置いた。結局、彼女に一口も飲む時間を与えられなかった冷めきった紅茶のカップの隣に所在なさげに佇む立方体の箱。それが何の箱かくらい、蓋を開けるまでまもなく分かる。

「……これ」
「俺は、俺たちの関係を変えてく気しかなかったんだわ」

息を飲んだまま言葉の出ない私に、爆豪さんは「こんな渡し方する予定じゃなかったんだからな」と悪態を漏らす。早鐘のような鼓動と浅くなる呼吸。
ため息を吐き出しながら爆豪さんが箱の蓋を開けると現れるシルバーのリング。そこについた石が、この無機質な事務所の蛍光灯の光を受けて輝く。
これ以上見ていられなくて、逃げるように顔を背ける。

「なあ、俺が好きなのはおまえなんだろ? 他の誰でもねぇ、おまえがそう言ったんだ。忘れてんじゃねえぞ」
「……そうです。私が、そうやって爆豪さんを引き込んだ」

この期に及んで、都合のいい理由で後味のいい別れを企てた自分の弱さ。結局、逃げ場など失ってどん詰まりの愚か者。
俯いたまま、込み上げる涙を必死で耐える。だって、ここで私が泣くのはあまりに違う。目の前の指輪が示す、あったかもしれない私たちの未来。いっそ吹っ切って、その幸せを享受していたらよかったんだろうか。だけど、そんなの結局いつかは綻ぶに決まってる。私がかけた呪い。私が刷り込んだ幸せの紛い物。

「ああ、確かに始まりはそうだった。けどな、それを選んだのは俺なんだよ」

凛とした声だった。怒るのでもなく批難するのでもなく、優しく諭すような、そんな声だった。

「俺が選んでおまえの言葉に乗って、おまえを利用して、今となっちゃおまえが好きだ」

選ぶという言葉の持つ強い響き。それを今、生まれて初めて知った気がする。ずっと、私が爆豪さんに私を選ばせたのだと思っていた。彼の恋心を上書きする、とてもズルイ方法で。
だけど、それさえも爆豪さん自身が選んだというのなら、この幸せが本物の二人の幸せだと信じてもいいと、そう言うんだろうか。

「勝手に俺の責任をてめェのもんみてェな顔して、自分で全部背負うことに酔ってラクになってんじゃねぇぞ。俺のもんは俺に返せ。そんで、自分のもんだけしっかり持っとけ」

爆豪さんが指輪をケースから外して私の手に握らせる。これがプロポーズだというのなら、夢に見てきた理想とあまりに違う。甘い愛の言葉もなければ、優しく左手を握ってももらえない。

「今すぐ自分で嵌めろ。それがおまえの選んだもんだ」

震える右手で薬指に通した指輪。ぴたりと嵌ったそれに自然と涙が流れ落ちる。ああ、そうか。これが私の選んだ幸せ。
滲む視界で爆豪さんを見上げれば、その顔があまりに優しくて、そして瞳にはどうしようもない愛を湛えているものだから余計に涙が止まらなくなる。そうか、私が彼の幸せになることができたんだ。





それからすぐに幼馴染には断りの電話を入れさせられた。しばらくは人の幼馴染をモブだと罵っていたけど、そのくせ何だかんだ彼に知り合いの事務員を紹介してくれたりもした。
婚約についてもメディアに公表することになり、アナウンサーからプロポーズについての質問され「事務所で、てめェで指輪嵌めさせたわ! 文句あんのか!」なんて答えるから、私はすっかり世間の同情を集めることになってしまった。

そして今日、無事に出産を終え、落ち着いたから遊びにおいでと誘われて彼女の家を訪れている。

「ニュース見てたよ。ネットも奥さん可哀想ってめちゃくちゃ言われてて笑っちゃった」
「いや……それは本当、お恥ずかしい限りで……」

嘘ではないんだけど言い方が……なんて頭を抱える私に彼女が軽やかな笑い声をあげた。そして、あの日見たのと同じ幸せそうな微笑みを浮かべる。

「私がダイナマイトと会ったの、指輪の受け取りの帰りだったの。だから、あんな展開になってびっくりしちゃった」
「え?」

驚いて彼女を見つめながら、あの日、帰り際に爆豪さんと話していた二人の姿を思い出す。そこまで知っていたなら、さぞかし気を揉んだことだろうと申し訳なさに肩を縮める。

「でも、よかった。本当に、おめでとう」

衒いない心からの祝福。それをこんなにも素直に受け止めることができる。込み上げそうになる涙を堪えてお礼を言えば、少しだけ声が詰まって、それすら含めて二人で笑い合う。
私たちの隣には、窓枠に切り取られる青に埋め尽くされた完璧な空がある。今なら私もこの青を背負えると胸を張れた。両手いっぱいに爆豪さんの幸せ、そして私の幸せへの祈りを抱えて。






ホープ・フォー・ハピネス


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