誰にも話したことのないまま、一人でずっと抱えていた恋がある。叶うはずのなかった恋ではあるけど、それ以前に叶えたくなかった。大切すぎてとか好きすぎてとか、そんな甘酸っぱい理由ではなくて、好きになってしまった自分が許せなかったから。
──それでも、間違いなくあれは私の初恋だった。




中学時代、あのクラスが嫌いだった。
別に、いじめられていたとか友達がいなかったとか、そういうわけではない。決して目立つわけではないけど、それなりに上手くやっていたと思う。
数人の友だちと昨夜のドラマとか人気のアーティストの新譜の話とか、くだらない話をしながら過ごす休み時間、私はいつも窓越しに景色を見るふりをしながらクラスの中心にいた男の子を見ていた。
口が悪くて不遜なほどに態度がデカい。それでいて、彼には誰もが一目置かずにはいられないような完璧さがあった。あのクラスはまさに爆豪勝己のためのクラスだった。
だから、早くここから出たいって、そう、ずっと思っていた。

爆豪くんを思わず目で追ってしまう。そのことに気づいたのは彼とクラスが一緒になって割とすぐだった。目立つから自然と目につくのだろうと思っていたのが、いつしか意識的に彼を探すようになっていた。
朝の騒がしい教室に彼が登校してくると思わず背筋が伸びた。下校時、渡り廊下を歩きながら覗いた窓の向こうに帰宅する彼の姿を見かけるとつい足が止まった。

そういうことの繰り返しを経て、これが恋だと認めざるを得なくなったとき、それはそれは絶望した。爆豪くんのことを好きだと夢見るみたいにうっとりと語る女の子を何人も知っていて、心のどこかで少しだけ軽蔑していた。
それなのに、私もまた、そんな派手で人目を惹きつけるものを単純に好きな女のうちの一人になったことが信じられなかった。なんとなく、恋をするなら、あのクラスでいえば緑谷くんみたいな男の子かなって思っていたのに。だって、爆豪くんはあの頃から間違いなくヒーローになるって決まってるような人だった。

だから、徹底的にこの恋はひた隠しにした。あの年頃の女の子の大好きな恋の話はいつだって聞き役に徹して、卒業する頃には学年の恋愛事情をすべて把握する相談係みたいなポジションにすらなっていた。それに、爆豪くんと関わることも出来る限り避けた。言葉を交わしたことなんて必要最低限の数回しかなかったと思う。
それでも、どうしても忘れられない瞬間がある。

あれは三年生になって進路希望の話が出たときだった。教師のヒーロー科志望を煽る声にクラス全体がわあと湧き上がる中で、教室の一番隅の席で私は隠れるように身を縮めていた。個性を披露してヒーローになりたいと声高々に叫ぶクラスメイトに圧倒されながら、私は当然のように手を挙げなかった。

みんな凄いなって心の中で呟いて、いつもの癖で爆豪くんに視線を向けた時、心臓が飛び出るくらいに跳ね上がった。教室の真ん中、私の方なんて見る必要がないはずの爆豪くんが不自然にならない程度に首をこちらに向けていて、その瞳と目が合ってしまったから。
ほんの一瞬だった。他のクラスメイトたちも気づいてはいなかっただろう。だけど確かに私たちの視線は交わった。戸惑う私と対照的に爆豪くんの表情は何も変わらなくて、それからすぐに爆豪くんの雄英志望の話で教室はいっそう騒がしくなった。それだけ。

そのまま三年生の一年間は慌ただしく過ぎ去って、私は地元の進学校の普通科へ、爆豪くんは宣言通り雄英高校のヒーロー科へと進学した。これで私たちの道は完全に断たれた。あとはただそれぞれの人生を歩むだけで、もう二度と私たちが相見えることはないだろう。こうして、私の初恋は本当に誰に知られることもないまま終わりを迎えた。

そして今、高校も大学も卒業して手堅い銀行員となった私は昼休みにスマホを見つめながら、そんな青くて、出来ることなら忘れ去ってしまいたい初恋の記憶をよみがえらせている。
画面に表示されているのは中学のクラスのグループトークで、先週から来月の同窓会の出欠席が取られている。今やトップヒーローの一人である爆豪くんが奇跡的に参加したままのグループでは、彼とお近付きになりたいという願望丸出しの同窓会が定期的に計画されている。爆豪くんはそのすべてに既読無視のまま不参加らしく、それならいっそこんな煩わしいグルーブ退会してしまえばいいのにって、毎回律儀に不参加の連絡をし続けている私は思っている。









△ ▼ △ ▼








銀行員という職を選んだのは、とりあえず堅実かなと思ったからだ。福利厚生はちゃんとしているし給料だって手堅い。ヴィランによる犯罪の横行する世の中で、銀行強盗ってのは悪事の定番に思われがちだけど、だからこそ対策はきっちり為されてある。たぶん一生、ヒーローのお世話になることなんてないだろうって本気で思っていた。今日までは。

じくじくと足が痛んで、視線を向ければ防御力皆無のストッキングが避けて足首まで真っ赤な血が垂れている。痛くて痛くてうずくまってしまいたいけど、がっちりと掴まれたままの身体と首元に突きつけられた鋭利なナイフのせいで何も出来ない。ポタポタと私から流れ出した血液が床を汚していくのを見つめながら、何がいけなかったんだろうと考え続ける。

いつも通りの窓口業務のはずだった。お昼をすぎたおかげで人足もまばらになってきた頃、突然数人組のヴィランが現れたのが数分前。私がたまたま対応していたのが中の様子を偵察に来ていたヴィランの仲間で、奴らの突入と共に人質として捕まった。そして日常はこんなにもあっけなく非日常へと成り代わった。

私を人質にとってすぐ金銭の要求をしたヴィランは、逆らえば分かっているなと口にすると同時に私の脚をナイフで切りつけた。真っ赤な血液がナイフから飛び散って、声すらも出ない私の代わりにそばにいた誰かが悲鳴をあげた。

人質の脚を傷つけるなよ、と強がりの悪態を心の中でついてみるけど、逃走の際に私が歩けなかったところで担ぎあげてしまえばいいとでも思われているのだろう。そして、それよりも人質に危害を加える意思があることを示す方が有効だと判断された。
事実、私の脚から流れ出す血液にギャラリーはすっかり萎縮してしまっているし、駆けつけてくれたヒーローも動きあぐねているように見える。

「オラッ、さっさと金を用意しろ! あんまり遅くなると今度はどこ掻っ切るか分かんねェぞ!」

耳元で叫ぶ男の声に身体が強ばる。頭の中で必死に今の状況を客観的に見ようとしているのは精神を守るための本能みたいなもので、本当は怖くて怖くて今にも押しつぶされそうだった。助けてと泣き出してしまいたいけど、一定のラインを超えた恐怖っていうのは泣きたくても泣けないものらしいと初めて知った。
窓から見える人だかり、不安そうに何かを叫ぶ野次馬の声、それらを見下ろす青空は澄み渡った快晴でいっそ皮肉だなって思った瞬間──太陽が破裂した。
煌めく閃光、ガラスの割れる爆発音、焼けるような熱風、何かの吹き飛ぶ衝撃の気配。ほんのわずかな時間で私には認識しきれないような出来事が一気に起きて、気がついたらヴィランの腕から解放されて見慣れた職場の床にへたり込んでいた。

不安げだったギャラリーのざわめきは歓声に変わり、空には相変わらず太陽が輝いている。そう、太陽は破裂なんかしていていない。あの瞬間、眩いような輝きを放ったもの──

「……うそ」

煙立つ向こう側、さっきまで確かに私を拘束していたヴィランたちは積み重なるように気絶させられている。そして、そこに立つ私を助けてくれたヒーロー。
その後ろ姿はテレビ越しにもう何度も見たことがあった。だけど、こんなふうに直接まみえることなんて二度とないのだと思っていたのに。
彼が振り返った拍子に目が合うと、その赤い瞳がわずかに見開かれる。

「おまえ」

ツカツカと私の前まで歩いてきたヒーロー……もとい爆豪くんはしゃがみこむなり私の顔を凝視する。数年ぶりに目にする初恋の相手に勝手にいたたまれなさを感じながら、なんとか処理落ち寸前の頭を稼働させる。

「あっ、えっと、助けていただいて、ありがとうございました」
「うるせェ。てめェ、みょうじだろ」

まさか感謝の言葉を言ってうるさいと返されるとは思わなかった。そのうえ、クラスの中で一番に忘れられたと思っていた私の名前が口にされたことに驚いていて、爆豪くんの顔を見つめたまま固まってしまう。そうしたら、あからさまな舌打ちが降ってきて慌てて首を振る。

「そ、そう! 久しぶりだね、爆豪くん。まさか私のこと覚えていてくれてるなんて思わなかったから、びっくりしちゃった」
「ア? 俺の記憶力舐めんな。忘れるわけねぇだろ」

忘れるわけない、なんてセリフに一瞬引っ張られそうになりながら、そういえば爆豪くんは成績も良かったなって懐かしい記憶を呼び覚ます。
何か言わなきゃと思いながら身動ぎしたら、あまりに怒涛の出来事の連続で忘れかけていた脚が鋭く痛んで思わず顔をしかめる。こうしてちゃんと傷口を見ると随分とぱっかりと切れてしまっている。

そんな私と血だらけの傷口を見た爆豪くんはもう一度舌打ちをしてから立ち上がって窓の向こうに向けて「さっさと来いや!」と怒鳴り声を上げた。何だ急にと驚いて、私もその視線の先へと顔をあげれば人だかりを掻き分けるようにして救急隊の人が駆けつけて来ようとしているところだった。
それだけじゃない。グチャグチャに割れた窓ガラスに沿うようにして出来た人だかり。駆けつけたメディアや私たちに向けられるカメラのレンズ。その光景に、改めて事の大きさを理解して青ざめる。

今日のニュースのトップとか飾っちゃうかもなって思うと流石に笑えない。だけど、私は今それだけの危険にさらされていたのだ。爆豪くんが来てくれなかったら、もしかしたら今もまだこの首にはナイフが突きつけられたまま、身体の傷は脚だけでは済んでいなかったかもしれない。
それなのに、さっきのうるさいと一蹴されたお礼しか言ってないことに気がついて慌てて爆豪くんを見上げると、なぜか彼もまたひどく不満そうな表情で私を見下ろしていた。

「……えっと、爆豪くん?」

視線の鋭さに負けて躊躇いがちに彼の名前を呼べば、爆豪くんは乱暴に近くのデスクの上にあったメモ用紙を手に取った。そして、手早く何かを書き付けたその紙を私に向けて手渡してくる。

「無くすなよ」
「これ……」
「俺の電話番号」

見慣れた三つの数字から始まる十一桁の数字の羅列。それが携帯の電話番号であることはすぐに分かったけれど、私が聞きたかったのはどうしてそれを渡されたのかの理由だった。手元の数字と爆豪くんの顔を見比べて呆然とする私に、爆豪くんがハッと不敵に笑う。

「いいか、今日中にぜってェ連絡しろ。職場は割れてんだ、しなかったら乗り込むぞ」

それだけ言って背中を向けて去っていく爆豪くんと担架を持って現れた救急隊の人達がすれ違う。慌ただしく傷口の確認をされながら、手に持ったメモ用紙をそっと手の中に包み込む。
ヴィランに襲われる日が来るなんて思わなかったし、それ以上にヒーローに脅される日が来るとはもっと思わなかった。









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