爆豪くんの家に呼ばれたあの日、帰りの車の中で会話は一言もなかった。それでも、部屋に戻ってから駐車場を確認したら爆豪くんの車はまだそこにあって、部屋の電気がちゃんとともるのを確認してから帰るんだと気づいたら無性に泣きたいような気持ちになった。

あの気まずい別れ際から、私たちの関係もなにか変化するだろうと思っていたのに、次の日に爆豪くんから来たのは拍子抜けするくらいにいつも通りのメッセージだった。そして私も、いつも通り律儀に返してしまう。
遠く離れた後ろ姿を目で追わずにはいられなかった中学時代みたいに、彼のことを無視することが出来ない。いやむしろ、今は手が届いてしまうせいで余計にやっかいだ。

私は爆豪くんとどうなっていくつもりなんだろう。
自分のことなのに答えが見つけられなくて、初夏の訪れを感じるような青く澄んだ空を見上げる。
もうすっかり終わりきったと思っていた初恋は疑いようもなく再び熱を取り戻してしまった。だけど、彼と恋人として付き合っていけるような勇気もなく、その一方で爆豪くんとこうして定期的に顔を合わせることのない生活を今となっては思い描けないような気もしている。

洗い終わったばかりの洗濯物。そこから漂う柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐる。いつもの倍近く時間をかけて干しながら、近くのローテーブルに置いてあるスマホに頻繁に視線をやってしまうことに苦笑がもれる。
休日は一日ずっと寝室に置きっぱなしだったなんてことも珍しくなかったのに、こんなにも常に持ち歩いて何を待っているのかなんて考えるまでもない。

ここ三日ほど爆豪くんからの連絡が来ていない。
今をときめくトップヒーローの爆豪くんが暇なわけもなく、今までだって三日くらいなら連絡のない日もあった。そうやって必死に理解しようとしても、胸の奥のざわつきは止まらない。
こういうのを虫の知らせとでもいうのかな、と思ったらすごく嫌な気持ちになって、そんな考え脱ぎ捨てるように慌てて残りの洗濯物へと手を伸ばした。

そのとき、スマホが着信を知らせて震える。反射的に手に取ったばかりのシャツを放り投げて、ローテーブルへと駆け寄る。そして、通話ボタンを押そうとした指が止まる。

「緑谷くん……?」

そこに表示されていた名前は爆豪くんではなく、まさかの緑谷くんだった。そうそう都合よく爆豪くんからなんてことはないよなって、笑いながら肩を竦めてしまえ、と思っているのに、震え続けるスマホと表示される名前から目を離せないまま呼吸が浅くなる。

このあいだ食事に行ったとき、なんとなくの流れで連絡先の交換は確かにしていた。だけど実際に連絡を取り合うことなんてないと思っていた。ましてや電話がかかってくることなんて。
だって、緑谷くんがわざわざ私に話そうとすることなんて爆豪くんのことしかないんだから。

「……もしもし」
『あっ、みょうじさん? 急にごめんね、緑谷です』
「ううん、ぜんぜん大丈夫だけど……どうかした?」

平然を装いながら、内側では早鐘のように鼓動が鳴り響いている。言わないで欲しい。どうか何気ないどうでもいいような話をして。爆豪くんの名前なんて出さないで。

『それがね、実はかっちゃんが怪我してさ──』

その瞬間、吸い込んだ空気が喉に詰まって呼吸が出来なくなる。
思い出してしまうのは遠い過去の記憶。あの日も今日と同じような青空で、宙に舞った人影は逆光で黒い塊みたいに見えた。今では性別も年齢もおぼろになったその影が、スルスルと形を伴い輪郭を濃くする。そこに、爆豪くんの姿を重ねてしまう。

『──みょうじさん!』
「えっ! あ、ごめん……ちょっと、ボーッとしてた」
『いや、僕の方こそごめん……配慮が足りなかった。あのね、かっちゃんは大丈夫だよ』

たぶん電話越しに何度も私の名前を呼んでくれたのであろう緑谷くんが、幼い子供に言って聞かせるときみたいに声を柔らかくした。大丈夫の言葉に身体の力が抜けていく。

『三日前に少し大きな戦闘があって、かっちゃんのところ避難が遅れてたせいで少し不利な形勢で戦わなきゃいけなかったみたいでね』

落ち着いた声でゆっくりと話してくれる緑谷くんのおかげで、少しづつ冷静さを取り戻していく。
その事件のことなら確かにニュースでも取り上げられていた。だけど、テレビ越しでも悲惨に瓦礫の散らばる様子や逃げる人たちの姿を見ていると不安になって直視出来ず、どんなヒーロが出動していたかなんて確認していなかった。
そうか、あそこに爆豪くんもいたのか。そしてやっぱり、誰かを守るために傷ついた。

『ちょっと傷が深いから入院はしてるんだけど、本人は元気だし、退屈してるみたいで退院させろって騒いでてさ……だから、よかったらお見舞いに行ってあげてくれないかな?』

お見舞い、と心の中で繰り返す。そんなところに私が行っていいのだろうかと躊躇いながらも、どうするかなんて答えも決まっていた。

「うん。それなら、今から行こうかな」
『ほんと? よかった。病院と病室教えるね。僕はさっき行ってきたところなんだけど、今日はもう検査も何もないみたいだから、いつ行っても大丈夫だと思う』

念のため病院と病室を近くのメモ用紙に書き留めて、緑谷くんにお礼を言って通話を切る。心臓の脈拍はまだいつもより速い。だけど、これは不安や緊張のせいだけじゃないことも自覚している。
三日間、なんの音沙汰もなかったくせに入院を必要とするような怪我を負っていたこと、そして緑谷くんが連絡してくれなかったら私は何も知らずにいたのだということ。そんなことに今、静かに腹が立っていた。

友達とすら自称してもいいのか分からないような曖昧な関係で、私に怒る資格なんてないのは分かっている。それでも、苛立つ感情の抑え方も分からなくて、まだ少しカゴに残ったシャツの数枚は放ったらかしにして鞄を掴んで部屋を飛び出していた。






△ ▼ △ ▼







緑谷くんに教えられた通りの病院まで辿り着き、ナースステーションで受付を済ませてから爆豪くんの病室の前で立ち止まる。締め切られたドアの前に立つと今さらながらに急に緊張してきた。
思えば、いつも一方的に呼び出されるばかりで自分から彼のもとを訪ねるのは初めてのことだ。手に力を込めると、途中で買ってきた焼き菓子の紙袋がかさりと揺れた。深く息を吐き出してから、意を決してドアに手をかける。
開いていく扉の向こうで、音に反応してこちらに顔を向けた爆豪くんが大きく目を見開いて動きを止めた。

「は? なんで、ここに」
「……緑谷くんが教えてくれた」
「あのクソナード……」

爆豪くんの逞しい身体にはぜんぜん似合ってない病衣と、顔も身体も包帯やガーゼだらけの姿に思わず言葉に詰まる。緑谷くんの言っていたとおり確かに元気そうではあるけど、その姿は想像以上に痛々しい。
ある程度の治療は施されたうえでこれなのだから、この病院に運び込まれたときはさぞかし酷い怪我だったのだろう。それこそ、一歩間違えれば死んでいたかもしれないくらい。
そう思ったら急に胸の底が苦しくなって、唇を噛み締める。

「……死なないって言ったじゃん」
「死んでねェわ! よく見ろ! 信じらんねェなら、個性も使って見ろ!」

そういうことじゃない、って言い返そうとしたけど、どことなくバツの悪そうな爆豪くんの表情を見て、開きかけた口を閉じた。ベッドの隣まで近づいて、壁に立てかけてあったパイプ椅子を広げる。

「三日も連絡ないと思ったら、こんなことになってたなんて」
「こんなとこにいるせいで特に話題もねぇんだわ」
「なんかあるじゃん、病院食とかお見舞いとか」
「ンなこと言ったら入院してんのバレんだろ」

サイドテーブルに置かれたお花や果物、お菓子の箱の山の中に私が持ってきた袋も混ぜるように置いた。爆豪くんにしては乱雑な開け方をされた菓子折たちは、ときどき話にだけ聞いたことのある雄英時代のクラスメイトのことを想像させた。
みんな、私は知らなかった爆豪くんの傷を知る人たちなんだって思ったら胸の奥が苦しくなるくらいに締め付けられる。腰をかけたパイプ椅子が軋んで嫌な音をたてた。

「なんで、バレちゃいけないの」
「……おまえが、不安になると思ったんだろーが」

視線を逸らして投げやりに呟かれたセリフ。それは十分に想像できたことだった。私の過去を気遣って怪我のことは伏せて、治っところで何事もなかったかのように私の前で振る舞うつもりだったんだろう。
それが爆豪くんの選んだ私への優しさで、私を頼ることを選択肢に入れさせなかったのは、彼の想いを拒み続けた私自身だ。

目の前の傷だらけの爆豪くん。きっと、これから先もこんなふうに誰かのための傷を負うことになるんだろう。そして、私はそのたびに蚊帳の外に置かれる。

「不安になるよ……だって、爆豪くんのことが好きだもん」

何か言いかけたまま爆豪くんの動きが止まる。

「爆豪くんの言う通り、私の前で傷つくような人が嫌だった。私は私を守るために爆豪くんとは付き合わないつもりだった。近くにいなければ、爆豪くんがどんなに怪我をしたって平気だって……それなのに今日、緑谷くんから連絡が来て、すごく怖かった」

こんなことを言おうと思って来たつもりじゃなかった。用意してきたわけでもないめちゃくちゃな言葉が溢れ出して止まらない。病院まで来る電車の中で、どんなに爆豪くんは元気だって繰り返しても頭を離れてくれない、もしもの可能性。
爆豪くんに本当に何かあったとして、私はそれを緑谷くんから聞くことになっていたんだろうか。そんなの、耐えられるわけがないじゃないか。

「お願いだから、私の目の届かないところで死なないで」

まるで悲鳴みたいな私の声が病室の無機質に白い壁に溶けるように消えていった。息を吐き出すことすらためらうような沈黙の後、爆豪くんの視線がすうと窓の外に向けられた。私もまた後追うようにその瞳の先を眺める。

春先には花を咲かせていたのであろう中庭の木々は青々しい葉をつけ、ゆったりと流れていく雲と青い空からはまだ柔らかさを残す木漏れ日が射している。
綺麗な景色だ。だけど、これからもっと世界は色を濃くしていく。眩しいくらいに太陽は輝きを増し、その光に答えるように植物は力強く空を目指す。そういう美しささえまとめて爆豪くんは守っているんだってことが、急に胸に迫った。

「昔、中学の近くでヴィランが暴れてたことあったろ」

窓枠に切り取られた景色を見つめたまま唐突に爆豪くんが始めた昔話。そのときのことならよく覚えていた。
まだ入学して間もない頃、通勤や通学で多くの人が行き交う時間を見計らって現れたヴィランによってあたりは騒然となった。だけど、すぐに駆けつけたヒーローによってヴィランは取り押さえられ、大事になることはなかったはずだ。

「そこにいたヤツらがみんな興奮して騒いでんのに、おまえだけが祈るみてーな横顔してた」

ヴィランと戦うヒーロを前にした人々の歓声や喝采。記憶を甦らせても浮かんでくるのはそんなことばかりで、近くに爆豪くんがいたなんて知りもしなかった。

「別にそのときから好きだとか、そんなことはねぇよ。ただ、雄英入って、まあ色々あってからも、なんでかずっとその横顔がチラついて離れなんだ。だけど、そんなことでわざわざ何処にいんのかも知らねェやつ探す気にもならねぇし……と思ってたら、あの銀行の事件だろ」

ただ目の前にあった文字を読んでいるみたいに滔々と語っていた爆豪くんがふいに私の方を向く。つられて私もその瞳を見つめたら、もう動けなくなっていた。

「あの日、お前の顔見てよく分かった。俺はずっと、その顔で俺のこと見とけやって、そう思ってた」

真っ赤な双眸は強い光を持ち、私を射抜いて放さない。心臓はバクバクと脈を打ち、何か熱いものが込み上げてくる衝動。そんな私を見て、爆豪くんは不敵に笑った。

「だから、今は悪い気がしねェ」
「なにそれ……」

思わず声が震える。当たり前だ。あの時に自分がどんな顔をしていたかなんて知らないけど、そんなよく知りもしないヒーローよりも、爆豪くんを見つめる今の方が願いだろうが祈りだろうが強いに決まっている。だって私はもうその脈拍を特別だと認めてしまった。

笑えばいいのか怒ればいいのか分からないまま、爆豪くんから目を逸らすことも出来ずにいたら、すっと伸ばされた爆豪くんの手が私の手を取った。
細かな傷の残る無骨な手にひっぱられ病衣の隙間から覗く胸へと触れる。見ているだけでは分からない確かな鼓動の感覚が、手のひらから私の全身へと伝わっていく。

「最期の一瞬まで全部くれてやる。だから、泣こうが吐こうが絶対目ェ離すなよ」

窓の下の中庭から無邪気に遊ぶ子供の声が響いた。その声を聞きながら、ずっと逃げ続けてきた覚悟が深く私の中へと沈み込んでいくのを感じる。
そうだ。その脈拍すべて見届けて、私の祈りのすべてをくれてやる。





再来する脈動


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